それってつまり結局は

TEAM NACSとジャニーズのブログ。

北海学園大学演劇研究会まとめ〜キャンプにバンドに初舞台〜

 
みなさんーー!!!ハナタレ全国放送楽しかったですねーー!!!
 
 
オンタイムでは興奮しまくっていたのであれですが、2回目3回目と見て(オンエア当日の段階で3回見ちゃいました)改めて、出会って3ヶ月で5人組になった大学生の20年後だと思うと貴重な85分間だったと思いました…!ありがとうスタッフ…!
 
 
感想を書こうと思ったのですが、それより見終わった後に「この人達の大学時代のエピソードに埋もれたい…!」と思ったので一生懸命このブログをまとめることにしました(笑)。全国放送を見てナックスが気になった方も大分いるようなので、分かりやすくをモットーに頑張ります。そもそも全国放送をきっかけに見てくださってる方はこの後このエピソードにどんな気持ちを抱くのか不安です(笑)。そして例によって長いです…。
 
 
さて、前回のエントリーでは、6月の地方公演で完全に5人組扱いとなり、帰ってきてから「なっくす」という名前を付けられました。それからというもの、5人は森崎さんの家を中心に集まってつるみ始めます。
 
 
1996年春に森崎さんと安田さんが卒業してしまったので、彼らが大学生活を全員で過ごしたのは1994年春からの2年間ほどなのですが、どっちの年の話なのかよく分からないエピソードも沢山ありまして。ちょいちょい挟みこめたらと思います。まずは、森崎さんの家に集まった時に関する、時系列不明のエピソードを。
 
 
森崎さんは今は亡きお父様・七之さんが故郷の東川町から単身赴任していた道営住宅に一緒に住んでいましたが、若さ溢れるジャイアンにはお父様との生活は少々ストレスの溜まるものだったらしく、「もう嫌だ!」と飛び出して縦長のアパートに一人暮らしを開始しました。この家はメンバーが「聖地」と語るほど何度も訪れたそうです。
 
 
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↑聖地の間取り図
 
 
留年しまくりの森崎さんのためにみんなで小さなカンペを作ったり(よい子はマネしないでね)、お金の無かった戸次さんは、森崎さんの家のお風呂を掃除してお小遣いをもらったこともあるそうです。親子か君たち。*1
 
 
それほどまでにお金がなかった戸次さんは、大学時代のマニフェストとして「地下を歩け」を掲げていました。札幌に地下街があってよかったですね。お金がなくてひと冬灯油なしに過ごしたこともあるとか。
 
 
大泉:あの頃シゲは貧乏だったなー。私もだったが、シゲはひどかった。二人でヤキソバ弁当作って、少しでも麺の量を増やそうとしてお互いお湯捨てなかったもんなー。ちょっとでも相手より増やそうとして。結局お湯を捨てた時にはほとんどお湯なくて、食べたら麺が口の中で溶けたもんなー。 *2
 
 
なんという理想のFANTAN。ちなみにやきそば弁当とは北海道にしか売っていないローカルカップ焼きそばですが、やきそばを作るためのお湯でスープも飲めるというもの。麺の量を増やしてたなら、スープはどうやって飲んだのでしょうね。 

 

 
大泉さんは子供の頃から料理好きだったため、森崎さんの家に行くとよく料理をしていたそうです。
 
 
安田:彼は非常に料理が大好きで。出会った頃に先輩の家で料理をしてくれたんですよ。じゃがいもを千切りにしてサッと軽く炒めたものを作ってくれて、それがとても美味しかったんですよね。*3
 
 
あまり手をかけない、素材の味が残る料理は安田さんの大好物です。また、当時お弁当屋さんで人生初のアルバイトをしていた音尾さんは、残ったおかずをつまみ代わりに持ってきていたのですが、ある日40個近くの煮玉子だけをボウルにいっぱい入れて森崎さんの家にやってきたことがあるそうです。たまたま大量に余ってしまったというその煮玉子に誰も手をつけず、「食わないの?みんな。俺食べるよ」と9個もパクパク食べたとか。9個という数字は森崎さんが結構な自信で断言していたので、みんなでいくつまで食べれるか数えて遊んでいたのでしょうか?「ニシキヘビだ」と音尾さんをからかったそうですし。*4せっかくならあと1個食べられなかったのかね音尾さん。(無責任)
 
 
お金がないため、基本的に森崎さんの家で宅飲みだった5人。ある日酔いつぶれた安田さんに、みんなで油性マジックの赤で顔中に落書きをして遊んだそうです。そして翌朝、落としてはならない授業のために一度家に帰ろうと、爆睡している4人を起こさず、置き手紙を残してそっと部屋を出た心優しい安田さん。愛用のママチャリを漕いでいると途中で車に止められ、ちょっと強面のお兄さんに「おい!お前顔ひどいことになってるぞ!」と教えられて初めて落書きに気づいたとか。*5北海道の人は強面でも知らない人に優しいですね。
 
 
 
男子大学生ですので、当然下品なお遊びも。これは2005年に初めて暴露されていたエピソードなのですが、酔っ払って寝ている森崎さんの大事な部分を、戸次さんが割り箸で持ち上げてみんなでゲラゲラ笑ったそうです。なんと屈辱的…!本当に爆睡していて知らなかった森崎さん、それを10年以上経って、しかもテレビで暴露されるなんて。屈辱的…!*6
 
 
ついでに、他のメンバーでも家に行き来していた時のエピソードを。安田さんは室蘭から出てきて鍵無しの下宿(!)に住んでおり、音尾さんは旭川から出てきて豊平区のアパートの1階に住んでいました。
 
 
安田さんには大学時代、得意料理が一つありました。それはマルちゃんのダブルラーメン。
 
 
北海道にしか売っていないインスタントラーメンなのですが、「安田先輩のダブラー」と呼ばれ後輩の中で語り継がれるメニューでした。「安田先輩のダブラー」を食べるためには、安田先輩の家で朝まで飲まないとお目にかかることはできません。散々飲んだ朝方、おもむろに「ダブラー食べるかい?」と立ち上がる、もちろん服など着ていない安田先輩。そのまま台所に立って勇ましく料理をしてくれたそうです。
 
 
戸次:安田先輩は作る時も盛り上げてくれるから、裸エプロンで作ってくれるんだよ。「先輩パンツ履いてください!」「大丈夫大丈夫、風邪はひかないよ」「いや先輩そうじゃなくて!」って。
大泉:俺覚えてんのが、安田がダブラー作ってくれて、「さぁみんなで食べな、あぁ~!」ってこぼしたんだよ*7
 
 
さすが無類の不器用・安田さん。みんな全体的に『ハイスクール!奇面組』なのかというほどのキャラの濃さですが、安田さんは本当に期待を裏切らないキャラクターを地でいってます。
 

 

ハイスクール!奇面組 20 (コミックジェイル)

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そんな中、末っ子の音尾さんの家には人が集まるというよりかは、一方的に押しかける場合がほとんどでした。
 
 
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↑押しかけられる音尾さんのアパートの間取り図。ちなみに1階だったので窓から入れたそうです。
 
 
彼女に振られた戸次さんがショックで酒瓶を持って音尾さんの家に行き、「音尾、一緒に飲んでくれるか?」と言って一緒に日本酒を開けたこともあったそうです。しかし、「音尾だめだ。こういう時ってお前、いくら飲んでも酔わないな」と言って一向に帰らない戸次さん。*8
 
 
これに似たエピソードが2005年11月にもありまして、当時まだ東京の仕事があまりなかったナックスは、東京で仕事をするときはホテルより安いので事務所が借りたマンスリーマンションに泊まっていました。マンスリーなので仕事のタイミングによっては契約の途中で泊まる人が入れ替わることもしばしば。音尾さんが東京の仕事のために、事務所から受け取った鍵でマンスリーマンションのドアを開けると、そこには髭を剃っている上半身裸の戸次さんの姿が。音尾さんに明け渡すためにその日から事務所が取ったホテルに泊まることになっていた戸次さんは、オフだったので朝寝坊をしていたのです。


結局、二人でお昼ご飯を食べ、ショッピングをし、カフェでお茶して、また更にマンスリーマンションに戻って洗濯していたパンツを干して、戸次さんが札幌から持参したDVDを見て、22時頃ようやく戸次さんはホテルへとマンスリーマンションを出ました。これをリアルタイムでアップし続けた二人には感謝の言葉しかありません。
 
 
話は逸れましたが、大学時代音尾さんを偉く気に入り、執拗なスキンシップをして「愛してる」「一線を越えても構わない」と曲がった愛情を投げかけていた安田さん。毎週火曜日に飲み明かしていたことは以前のエントリーでも紹介しましたが、それ以外にも酔っ払って音尾さんの家に訪れることも。


音尾さんとともに更にお酒を飲んで服を脱ぎ、靴下一枚になった安田さん。音尾さんがお風呂を沸かしていたことに気付いて勝手に入浴。しかしせっかくお風呂に入ったのに、酔っ払ったままの安田さんは、黒マジックで自分の大事な部分を塗ってティッシュで形を取り、「これ俺のちん拓。貼っといて」と音尾さんに渡し、お尻にもマジックを塗ってベッド付近に「もん拓」まで残したそうです。そんなことをしているもんだから、「風邪ひいた」と言ってあっさり帰っていったそうです。*9いつだって被害者な音尾さん。いつだって変態な安田さん。
 
 
8月
  • 演研サマーキャンプ
  • なっくすバンド結成
 
 
上記の愉快な自宅エピソードは何月のものかは不明ですが、演研は夏休みになってすぐの8月初旬にサマーキャンプ(通称:サマキャン)に出かけていました。当時30人ほどいた演研は5人を「はみ出し者」として扱っていたため、5人の意見が通ることはほとんどなく、キャンプでも一部屋に集まり文句を言って遊んでいたそうです。
 
 
そして、やきそば弁当の件を見ていただければ分かるでしょうが、すでに戸次さんと大泉さんは現在のように大親友且つ大のライバル。二人でサマキャンの帰りに、学園大までキャノンボールをしたそうです。
 
 
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↑戸次さんの眉毛と大泉さんの江口洋介ヘアーに時代を感じる。
 
 
戸次さんはギャラン、大泉さんは音尾さんの自転車に負けたというファミリアの八五郎(当時のナンバーにかけたあだ名)。
 
 
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↑ギャラン
 
 
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↑ファミリア
 
 
 
戸次さんのギャランはすでにエアコンは故障。大泉さんのファミリアはエアコンをつけると遅くなるため、そんなものはつけずに窓を開けて競ったそうで、同乗していた部員にとってはとんだ地獄絵図。 どちらが勝ったのかは不明ですが、楽しそうで何よりです。
 
 
ちなみに、戸次さんは車に関する持ちネタがあり、「80キロで走って窓から手を出してモミモミすると空気の抵抗はおっぱいと同じ。100キロは外人だ」というもので、おそらくどこかのエッチな雑誌で見たのでしょうが(笑)、大泉さんたちが入学する前に安田さんを下宿まで送っていく際、あんまりにも安田さんが喋らないものだから(通常運転ですが)、気を遣って「安田さん、おっぱい揉んでみますか?」「どうですか安田さん?」と機嫌を伺っていた思い出もあるとか。*10このラジオでは常識人・森崎さんが「お前ら80キロだとか100キロだとか話してるけど、もちろん高速での話だよな?ちゃんとことわっておけよ」と一言。「もう時効だよ」「今は安全運転だ」などどぎゃーぎゃー言っていたメンバーでしたが、こういう細かいことを訂正してくれる大人がいてよかったです。
 
 
サマキャンは学園大で解散した演研ですが、そこからまた5人は森崎さんの家に向かったのか、サマキャン終わりに戸次さんと大泉さんの車二台に分かれてメンバーで移動したエピソードが。
 
 
戸次:2台で移動してて、オレが前を走ってたの。で、信号待ちになって。
森崎:なんか格好良かったのさ。「いいからオレについて来い!」とか言って。俺らが後ろになって「なんかあいつ格好いいな。ムカつくな」「これどうだ、ぶつけるか」ってなって、そしたら大泉が「うん。いいよぶつけて」って(笑)。それで信号待ちの後ろからガン!って
戸次:信じられなかったもん!え!?って思って後ろ見たら、ケラッケラ笑ってんの(笑)!「ギャーッチャッチャチャ!!」って笑ってんのが見えんの!もう怒るより先に「え!?何でこの人たちオレにぶつけて笑ってんだろう?」っていう信じられない気持ち。
森崎:ぶつけるったってコツンぐらいだよ?
戸次:でもしっかり壊れてたんだよ!?びっくりしたよぉ。
森崎:うそぉ。イメージ的には傷がついたっていうか、記念の印ができたぐらいな(笑)。
戸次:ヒドイよねぇ。でもどうやら罪に意識はないらしいってわかってさ、オレもあんまり怒るのもなって。
森崎:「ぶつけたらびっくりするね、あいつ!」なんつってぶつけたらホントにびっくりしてるから。いつもシゲって期待以上のリアクションをくれるじゃない、それが嬉しくてね~。
戸次:そんなこと褒められてもしょうがない!*11
 
 
大泉さん、すでに八五郎は廃車が決まっていたからぶつけていいと言ったようで。ぶつけられた戸次さんも、罪の意識がないと分かって怒らなかったなんて、天然なのかなんなのか(笑)。彼らの学生時代のエピソードを聞くといつも「一歩間違ったら絶交ものだよな…」と思うのですが、その一歩のズレがない所が今に繋がってるのでしょう。
 
 
夏休みと言えば私の好きなエピソードが一つ。大泉さんが夏休みに家で寝ていると、突如一本の電話が。相手は森崎さんで「おぉ、何やってんだ。バンドの練習するぞ」といきなり大学に呼び出しを食らいました。大泉さんがふてくされていたあの「地下4」にすっかり仲良しになった5人が大集合。安田さんは高校時代に初めてバイトして買ったギターを持参し、音尾さんと戸次さんもギター、森崎さんがベース、ボーカルに大泉さんという構成でバンドを結成しました。ユニコーンのカバーをし、ライブ出演を目標にしてオリジナルソング「もりのテーマ」もできましたが、スキルの足りなさに断念したそうです。
 
 
安田:「モリのテーマ」とかやったでしょ。
全員:もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫
戸次:エンドレスですよこれ。
大泉:そんでモリが自分のタイミングで「んー!グッド・もーりんぐ!いやー!いいなぁー!」って言うんだよ。ジャイアンみたいだったからね当時。*12
 
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THE・大学の先輩のようなジャイアン森崎さんも笑えますが、4人が一斉に「もりのテーマ」を歌い出し、一つもズレなかったことに地味に感激しました(笑)。たった一瞬のバンドでしたが、みんなの印象には残っていたようで。そして何より、仲良くなったからノリで夏休みにバンドを結成したけど、グダグダで断念したなんてどこの青春ギャグ漫画なんだ。
 
 
10月
安田・大泉・音尾
 
森崎・戸次
  • 劇団イナダ組第9回公演「TAKEDA2」
10月14日-16日 ルネッサンス・マリア・テアトロにて
 
大泉・音尾
  • 劇団イナダ組に入団。
 
 
楽しい楽しい夏休みを過ぎると、5人は本格的に舞台へと取り組み始めます。1年生だった安田さんが演研が楽しそうだと入部を決めた、北海学園大学恒例の「十月祭」。これに演研の1年生だけで公演をするという企画が生まれました。そこで白羽の矢が立ったのはもちろん大泉さん。人生で初めて脚本を書き「D.O.A(Dead Or Alive)」というほぼコントのようなお芝居を作りました。同じ一年生の音尾さんはもちろん、安田先輩もサポートして笑いを取ります。
 
 
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↑大泉さんとサポートする安田先輩
 
 
残る森崎さんと戸次さんは、所属していた劇団イナダ組の第9回公演「TAKEDA2 」に出演していました。森崎さんが歪んだ愛に振り回される男役で、戸次さんはこれがイナダ組デビュー作品でした。*13
 
 
戸次さんが森崎さんと安田さんに憧れたように、一瞬で仲良くなったとはいえ、大泉さんや音尾さんの目から見ても、学生なのに社会人劇団に参加していた先輩三人は密かに憧れの的でした。
 
 
音尾:もしかしたらリーダーはずっと前からいて、第一線で演劇研究会のメンバーとは違うところで活動してきたから日の目を見ないっていう印象になってるのかもしれませんけど、後輩の目から見たらピッカピカでしたよ。*14
 
 
そしてこの時、ファンの間では有名なナックスの親友・川井J竜輔さんも観劇していました。体調を崩して仕事を辞め、演劇に興味を持つも、「札幌の劇団てつまんないよね」と思っていたJさん。しかし、この「TAKEDA2」を見て「なんだこいつらすげえ面白いじゃないか」と思い、12月に演研の定期公演で大泉さんと音尾さんを見てさらに興奮し、森崎さんに連絡をして翌年早々にはイナダ組で稽古を始めました。
 
 
思うに、TEAM NACSの一番最初のファンはJさんなのではないでしょうか。現在はラーメン屋さんをやっていますが、まだ役者を辞めたわけではないようで、ナックスとの交流も続いています。個人的にVS嵐にナックスが出演した際に、コロコロバイキングでナックス側に一人足りないからとゲストが登場することになり、「他の大学の友だちですか?」と嵐に突っ込まれた時「大学の友達ではないけど、Jさんだったら笑うなぁ」と思っていました。今となってはおにぎりあたためますかの他にも、全国放送のバラエティーで大泉さんが映画の宣伝のために出演する際にテレビにちゃっかり出始めちゃっているので、もし今後またVS嵐に出ることができた時には、本当に出かねないと思います(笑)。
 
 
話は逸れましたが、森崎さんはイナダ組の公演を観に来た大泉さんと音尾さんを稲田さんに紹介し、男だけの芝居を作ってくれないかと提案します。
 
 
稲田:森崎が「まだうちの演劇部に面白い人間がいるので、 1度男だけの芝居を作ってくれませんか」とお願いされた。そして大泉と音尾を紹介された。 (中略) 夏の終わりから稽古を始めた。大学で芝居をやっていたとはいえほとんど素人に近かった。基礎的な稽古が長く続いた。ダンスの稽古などもした。年が明けても公演の目処はたたなかった。来る日も来る日も稽古が続いた。その稽古は約半年以上。準備期間も含めると8ヶ月以上公演に至るまでかかったと思う。そして 1本の芝居が出来上がった。その芝居が『 NO FUN』である。 *15
 
 
95年の6月まで、妥協せず辛抱強く稽古をしてくれた稲田さんに感謝です。ここでは歌やダンスレッスンもしており、ナックスの芝居にはよくダンスが使われていました。昔はキレッキレでぴったり揃っていたんですよ、兄さんたち。中でも新体操部出身とはいえ、抜群のリズム感とキレで天性の身軽さを発揮していた若かりし頃の音尾さんは凄かったです。音尾さんはイナダ組で振り付けも学び、ナックスの公演で振り付けも担当していました。ミュージカルスターになりたかった音尾さんとしては大変喜ばしかったことでしょう。
 
 
その稽古をしながらも、12月に控えた演研の定期公演も動き出していました。脚本演出は森崎さん。5人揃っての初舞台です。
 
 
12月
「CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜」
1994年12月22(木)23(金)。ルネッサンス・マリア・テアトロにて2ステージ。350人動員。
 
 
大泉さんと音尾さんにとっては地演や十月祭を除いては初舞台。おそらくコントに近いものではなく、2時間近い本格的なお芝居は初めてと言っていいでしょう。しかし、森崎さんは主演に安田さんを置いた他、ナックス5人がメインのストーリーを作りました。


ちなみに、このお芝居のタイトルが「R」で終わり、副題に「〜続ける」と付けたことから、TEAM NACSの本公演において、大泉さんと戸次さんが作演出をした二作品を除いて全てタイトルが「R」で終わり、副題に「〜続ける」と付くものになっています。こういうポリシーが割と好きだったりします、私。
 
 
おかげ様で、今年は5名の新入部員をもうけることができました。春には演劇の”え”の字も知らなかった連中が、8ヶ月経った今ではこうして舞台に立っているのです。2、3年生なんかはアイツらのほうがいい役だとヤキモチを焼いて僕を苦笑させています。入部理由を尋ねても「ただ、なんとなく…」としか言えなかった連中は、今では演劇を続ける理由を聞かれた時ハッキリと答えることが出来るのでしょうか。みんな「個性」と呼ばれるものはそれぞれ持ち合わせていますが、不器用で憎めない連中です。*16
 
 
この先輩からのヤキモチは大泉さん音尾さんの二人に対するものだと思われますし、おそらく森崎さんは2人に向けて書いていると言っても過言ではないあとがきなのではないでしょうか。
 
 
ストーリーとしては、三方向から見た椅子の話で、本当は死んでいるのに死にきれていない男の話でした。幽霊として存在しているけれど、それを認められない。目の前には椅子があって、彼がするべきことは、その椅子に座ることだけ。ずっと立ちっぱなしだった男が、その椅子に座る、死を受け入れることで成仏できるというストーリー。ジェイコブス・ラダーというホラー映画に触発されて作った物語だそうです。
 

 

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サブタイトルの「立ち続けることは苦しいから」というのを見つけて、「これって第三舞台のパクリ?」とか言う人には、微笑みながら否定して、そしてギクリとします。*17
 
 
第三舞台とは鴻上尚史さんが主催する劇団で、早稲田大学演劇研究会から結成されたもので、筧利夫さんや勝村政信さんも出身した劇団。この第三舞台の代表作品でもある朝日のような夕日をつれての中に「立ち続けることは苦しいから」という言葉の入ったモノローグが最後に流れるそうです。
 
 
劇団の主宰者としての鴻上は「演劇で食っていける劇団」を標榜し劇団員のテレビなどの出演にも積極的に取り組み、岩谷の後を埋めた筧利夫勝村政信が人気を博すようになっていく。*18
 
 
この劇団としてのスタンス、今のTEAM NACSとかなり似ていますよね。実は第三舞台は1987年からルネッサンス・マリアテアトロの前身であった札幌本多劇場でも度々公演をしており、イナダ組所属だった戸次さんはその第三舞台のパンフレットにイナダ組のチラシを入れに行ったこともありました。他の発言等で聞いたことはありませんが、20代の頃に森崎さんは「TEAM NACSを東京からオファーされる劇団にする!」と意気込んでいた話もあり、演劇で食べていくというスタンスにおいても影響された面があったのではないでしょうか。
 
 
定期公演のチケット代は500円で、新入部員・戸次さん編のエントリーでも触れましたが、ビジネスマンとしても腕のいい森崎さんの元にいた4人はチケットノルマの達成率も上位だったといいます。確実に今のTEAM NACSが出来上がっていくのが分かり、それはお芝居の作り方にも表れていました。
 
 
「何となくいいと思うけど、でも話の筋はよくわからない」と言われると「うるせえバカそんなの考えないで早く台詞覚えろ」と思いながら丁寧に話の流れを説明してあげます。*19
 
音尾:昔は、やっぱりリーダーが圧倒的に大先輩で力を持っていて、彼に従うことが第一でしたけれども、その中でも大泉とかは、自分の個性を発揮して『ここをこうしたほうが笑えるよ』っていうことを積極的に言ってましたし。そういうことが積み重なって、だんだん5人イーブンのもの作り体制が出来上がっていったんじゃないかと思いますけどね。*20
 
 
かつて戸次さんは大泉さんを「一番冷静に自分たちの芝居に対して意見できる人」と表現していました。通常、劇団は座付き作家や演出家が表現するものに役者が合わせることが多く、ドラマや映画でもそのパターンの方が多いでしょう。しかし、TEAM NACSの場合は脚本の段階からみんなで意見を出し合ってダメ出しをします。もっと言うと、リーダーが汗水流して書いた脚本を滅多斬りにすることも少なくありません。こういった作り方は、この定期公演から始まったようです。
 
 
個人的な考えですが、5人は仲良くなったきっかけ、地方公演で全員が心の底から笑った経験をしているから、現在も作品作りでぶつかるのだと思います。5人全員が100%面白いと思うものはこの世に絶対に存在すると実体験してしまったのです。それが遠いのか近いのかわからないけれど、絶対に存在するものだと一番わかっているのは5人自身。だからそこに向かってぶつかり合い、口を利かないメンバーたちが出ても妥協せず、芝居が終わればチャラにしてまた何も考えずに笑い合う。私は劇団としてこのTEAM NACSの作り方が潔くて、彼らにしかできなくてとても好きです。
 
 
定期公演の打ち上げは演研常連の焼き鳥屋さん永柳。お酒が弱い大泉さんはコップ1杯の乾杯のビールで酔っ払うほどでしたが、お父様からの遺伝の酒好き・安田さんは古風な飲み方で戸次さん、大泉さんを唖然とさせました。ひとしきりビールを飲み終わると日本酒を頼み、ビールを飲んでいたコップに塩を持って、指で舐めながら日本酒を一杯。
 
 
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↑「佐〉」というのは戸次さんの旧芸名・本名佐藤です
 
戸次さん、大泉さんは「あれ俺たちと同い年か…?」「大人ってああやって酒飲むんだ…」と圧倒されたそうです。現在でも安田さんはお酒を飲むと急に先輩ぽくなり、大泉さんのことを「おい、ひよっ子」と呼ぶ可愛らしいエピソードもあります。*21
 
 
飲んで騒いで笑い合う楽しい大学のサークル。この頃、5人は普通に就職する気持ちが大きかったでしょうし、20年後に揃ってレギュラーのバラエティーが全国放送されるなんて微塵も思っていなかったでしょうね。
 
 
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↑2006年に永柳で凱旋乾杯する5人。
 
 
 
また長くなってしまいましたが、出会った初年度はとりあえず終了。次回は伝説のナックスキャンプを含む1995年をまとめます。95年は全員で過ごす最後の年。思いっきり楽しもうとはしゃぎまくりですが、それがまた上二人の卒業までのカウントダウンというか、途中で泣いちゃう人がいたり、後ろ髪惹かれる人がいたり、面白いんだけどちょっと切なかったりもする。あんたたち、今も一緒でよかったねえ。
 
一応、「なっくす」から「TEAM NACS」となった公演が1996年なので公式には96年結成としていますが、この濃密な2年間は何物にも代えがたいので、私の中では94年が5人のスタートだと思っています。そのつもりで今後もまとめていこうかなという意思表示です(笑)。


余談ですが、この年、大学三年生にして初めて異性と付き合った安田さん。その彼女と8年お付き合いし、結婚して生まれた娘ちゃんは今年11歳。素敵なお話です。こういう、奥様やお子さんの話をメンバー含めて微笑ましく受け取るのもナックスファンのやめられないところ(笑)。次回の更新まで、またしばしお待ちを~!
 
 
 
 
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*1:ハナタレナックス』2006年4月27日放送

*2:OFFICE CUE リレーエッセイより

*3:『Cut』2008年5月号

*4:ハナタレナックス』2005年10月20日放送

*5:ハナタレナックス』放送

*6:ハナタレナックス』2005年5月13日放送

*7:ハナタレナックス2005年10月20日放送

*8:ハナタレナックス』2004年10月15日放送

*9:ハナタレナックス2006年4月27日放送

*10:NACS GOTTA ME!』2002年10月15日放送

*11:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*12:ハナタレナックス』2006年1月26日放送

*13:TEAM NACS OFFICIAL SITEより

*14:『Cut』2009年4月号

*15:劇団イナダ組HPより

*16:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より

*17:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より

*18:Wikipediaより

*19:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より

*20:『Cut』2009年4月号

*21:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより