それってつまり結局は

TEAM NACSとジャニーズのブログ。

北海学園大学演劇研究会の 5人がTEAM NACS に就職した話


最近、やたらと TEAM NACSが「続けよう」「続けるためには」と言っている気がします。現在 TEAM NACSというものは、5人で集まって芝居をする演劇ユニットというより、もはや森崎博之安田顕と戸次重幸と大泉洋音尾琢真共存する”という意味合いを持っているように感じます。


そんな NACSも来年で20 周年ですが、そもそも劇団が 20年も定期的に活動し続けるというのは珍しいことです。先駆者としては、現在も一年に一度定期公演を行っている、大竹まことさん、きたろうさん、斉木しげるさんによるシティーボーイズではないかと思っています。


そもそも劇団というのは、役者にとって独り立ちへのステップ。「この劇団で学んで、映画やドラマに出る俳優になるんだ!」などと思う役者が一般的でしょう。これは私が好きなジャニーズに例えると、SMAP以前のアイドルは解散することが一般的」であることと似ている気がします。「劇団員は劇団から羽ばたくことが一般的」で、現に、劇団”出身”役者は多く活躍しています。


しかも、元々は北海道の仲の良い大学生が勝手に名乗っていただけの劇団。ジャニーさんのような偉い人に指名されたわけでもない、実はあやふやな存在。将来を考える中で一般的な役者と同じように独り立ちしていってもおかしくはなかったでしょう。


ではなぜ、そんなあやふやな存在の彼らが来年 20周年を迎えようとしているのか、 TEAM NACSが5 人で続けていこうと思うようになるまでどんな心境の変化があったのか色々過去の雑誌を漁っていたら、ふと思ったことがあります。


TEAM NACSって会社のようなものだと。


アルバイト感覚で始めたものに経験値がついて価値が生まれ、そこに一応就職することにしたけれど、特に腹を括ったわけではなく、転職も視野に入ってきて。東京で個人個人で出演し始めて、やっぱり NACSに終身雇用を望み、そのためには会社を存続させなければならなくて、それは同じ気持ちなのに時にぶつかり合いながら実績を上げる。現在は中間管理職から役員が見えてきているくらいになり、自分個人だけではなく会社のさらなる発展と安定した信頼性、長続きをさせようと思っている気がしたのです。


そして、今やっと本当に楽しく TEAM NACSができているように見える、森崎博之安田顕と戸次重幸と大泉洋音尾琢真がどうやって TEAM NACSに就職するまでに至ったのか、本人たちの言葉からそれは汲み取れました。


  • アルバイト感覚の再結成当初

誰しもが岐路に立つ大学卒業時。森崎さんにおいては芝居を一切諦め、安田さんは社会人として働きながら個人的に俳優活動をしていくことを決めましたが、森崎さんが諦められる訳がなく、TEAM NACSは復活しました。しかし、復活と言っても本格的にTEAM NACSで食べていけるとは誰も考えていませんでしたし、 5人でずっとやっていくと考えていた人は一部でした。

戸次:僕の場合は大学入学した時から決めてたんですよ。卒業したら東京に行こうっていうのは。「 FEVER」って芝居をやった時に、 2500人呼んだんですよね。それぐらいの時に、ちょっと考え始めましたね。「東京行くのどうしようか」っていうのを。すごくいい感じなんですよ。俺が単身東京に行って、劇団の研究生から始めて、舞台役者としてなんとかなるのと、北海道でまず何万人も呼べる劇団になって、逆に東京の方からオファーがあって「うちでやらないか」っていう、東京の方から目をつけてもらうほど大きくなるか。どっちが道早いだろうかなとか思ったんですよね。で、それは森崎さんが帰ってきた時に掲げてた夢だったんですけど、僕もきっちり感化されちゃって。「そうだよな、この調子で行ったらモリの言うとおりになるかもしれない」って。だったら北海道で人気出てる状況を蹴ってまで単身東京に行くのはもったいないなぁと思い始めたんですよね。それが 1回目の4 年生のときかな (笑)*1


若さもありますし、打算的な考えもあったのは当然でしょう。それくらい、戸次さんは本気で役者になりたかったのです。一方、役者になりたいというよりかは、 5人で一緒にいたいという思いのほうが強かったのがエースの大泉さん。

大泉: (動員数は) 倍々でしたね。 1000、2000 、4000とか。倍にしていこうって頑張った時期がありましたね。これあんまり色んなとこで言ってないんだけど、俺はなんとなく北海道でやって行けたらいいなとは思ってたの。だけどね、一時期音尾が不安だったね。音尾が「辞める」って言うんじゃないかって。あの人ってなんか、早いんだよね。スパンって自分の中で見切りを付けるのが。こうだって分かったらツーっと行っちゃう、ある意味ドライかもしれないけど、やっぱり賢いんだわ。だからどっかで音尾が「芝居をやるんだったら東京に行く」って言い出すんじゃないかって、俺なんかは実はちょっと不安だったんだよね。だから「北海道でもやれるじゃないか」っていうのを早いうちに言っておきたかったの。「ほら!こんだけ客入るじゃん!」っていうのでみんなをまとめようとした時期ってのはあったね。これリーダーもあったと思うな。だから動員というものにこだわった時期がありましたね。とにかく増やしていこうと焦った時期はあったね。 *2


そんな大泉さんの不安は的中していました。森崎さんにすっかり感化された戸次さんの裏で、何を考えているのか意外とわからないダークホースの末っ子。

音尾:俳優としては東京に行かなきゃいけないとずっと思ってました。日本という国を舞台にして、活躍するのは僕にとっては理想的なことですから。北海道だけにいなきゃいけないのかなって思ってた時期って、北海道だけにいるローカルタレントって立ち位置って僕の中ではちょっと、やっぱり東京のキー局で活動している人に比べると低いんです。これはすごく一般的な庶民の考え方として思っていただきたいんだけど。改めてこの世界で生き残ることを考える、すごくハングリーな世界に触れたし。 *3


水曜どうでしょう』から派生して、札幌のテレビ局 HTBからの需要があったことは大きかったと思います。テレビに出てお金をもらうことが出来始めたため、一番最後に大学を卒業した、東京に行こうか迷っていた戸次さんと音尾さんは一切就職活動をしませんでした。 (5人でやりたい派の大泉さんは、ちゃっかり教員免許を取るために、卒業後に教育実習までしてましたが )


とりあえず、大学を卒業しても 5人で続けていた90年代後半から 00年代前半。東京でジャニーズがマルチな活動で需要を広げる中、同じ年代でグループ活動をする TEAM NACSは北海道の局からジャニーズのようなマルチな立ち位置を求められていきます。ラジオにレポーターにバラエティータレント、司会進行など。劇団というよりアイドルグループに近い仕事のやり方はここで形成され、長時間番組や特別番組を任されたりと、北海道で確固たる地位を築き上げました。

  • ローカルタレントと役者の間で「やりたいこと」を探し転職を考える時期~東京公演当初~


北海道では老若男女に絶大な知名度を誇っていた 00年代。しかし、メンバーはその人気に段々「いつか飽きられるのではないか」と不安を感じていた他、バラエティーの仕事が多く、顔と名前は一致するが、 TEAM NACSの本業が役者であることを知らない人も出てきました。


会社員で言うと、就職して三年ほどでしょうか。ちなみに、ちょっと違うかもしれませんが 2015年上半期のクリエイティブ系の転職理由トップ 3は「幅広い経験・知識を積みたい」「専門知識・技術力を習得したい」「ほかにやりたい仕事がある」だそうです。 *4


2004年にはそれを打破しようとしたのか、ゴールデンの 1時間番組として、初めて東京公演を行った『 LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』のドキュメント番組が放送。出会ってちょうど 10年の彼らが真剣に演劇に取り組む姿が全道に放送され、反響を呼びました。


その中で大泉さんの「北海道の人たちが僕らを見ているよりも東京の人たちの方が僕らをちゃんと見てくれるんじゃないか」という発言から、東京に巣立ってしまうことを恐れたファンの声もありました。

大泉:あの放送を見て不安に思う方もいるようですね。僕の発言なんですけど。僕が思うのは、「北海道でやっていければいい」と思ってるじゃない?北海道でこういうような仕事ができてさ、お芝居ができて、やっていければいいなって俺も思うわけ。だけど、たぶんさ、「北海道でずっとやっていければいいな」って思った人は、その先がないんじゃないのかなっていうふうに俺は思ったんだよね。「北海道でやってればいいや」って思ってたらたぶん北海道でもできなくなる。北海道でもダメになっちゃうと僕は思ったんです。先に進もうと思ってるやつしか、やっぱりこの世界は生き残っていけないんじゃないかなと、僕思ったんですよね。

だから、じゃあどうするの?って言ったら、東京のレベルは高いわな、やっぱり。かかるお金が違うし、もっと昔からこの世界でやってる人もいっぱいいるし、層も厚いし、いろんなことを考えている人がいっぱいいる中で俺たちが何が出来るのかな、そこで何が出来るかって思っていかないとやっぱり北海道でやっていけなくなるなって僕は思ったんです。だからあくまで北海道でやっていくために、もっともっと俺達がスキルアップしなきゃいけないっていう意味で僕は言ってるつもりなんですね。

あとは、全部が熱狂的な俺達のファンではないじゃない。そうじゃない北海道の人たちがどういう風に俺たちを見てるかってのがさ。北海道でやってんだから俺達の事を応援しろよっていうのは、そんなのは関係ない話じゃない。北海道でやってるからどうしてもローカル臭さがあって、じゃあ他の (キー局の) 番組見ようってなっちゃう。だから東京で仕事して、ある程度俺達が東京で認められないと、北海道の人が認め直さないっていう現実がこれ、あるんだよね。俺はそう思う。結局日本人て、海外で評価されないと日本人が評価しないところもあるじゃない。今までそんなに入らなかった映画が海外で賞とった途端にみんな見に行くんだよね。北海道の人がみんなそうだとは思わなけど、やっぱり俺達ももう一つ次の壁を壊さないと、北海道の人が俺達を見る目がもう一つ変わらないと思ったんですよね。

だから俺が別に天狗になってるとか、「北海道の人たちは分かってねえんだよ」っていう意味ではなくて、あの発言は。北海道の人たちより、東京の人たちのほうがずっと隣にいたわけじゃなく普通に見てくれるよねっていう。俺達は勝手に東京に対して自分たちをローカルってだけでコンプレックスを持ってる。東京の人たちが「こいつら田舎もんだ」ってバカにしてるかって、僕が仕事した人達に限って言うとそうではない。ちゃんと見てくれている。じゃあ俺達のまわりがどうなんだ、俺達を含めて俺達の周りも自信を持って東京と対等に戦っていかなきゃならないなって。*5


この発言は、『水曜どうでしょう』に出演していたことも大きかったでしょう。どう考えても面白いと当初から思っていた番組を作っており、それはやはり全国でも面白いと証明されました。その自信から、もっと自信の持てる活動を北海道でも増やしたかったのでしょう。

森崎:『僕らが北海道を捨てない』のではなく、『僕らが北海道に捨てられないように』 っていうのは基本です。 (中略) 実は、北海道が一番クールなんですね。僕自身もそうなんですが、熱しやすく冷めやすい気質。好きなものがどんどん変わって、しがみつかないんです。だからシゲとか、大泉もよく言ってますけど『僕らにはもうファンは増えないから、みんながファンをやめないでくれ。そしたら僕らは長く出来るんだ』と (笑) 。*6


エースによる「全国でも活動するローカルタレントという新しいビジョンが生まれ始め、刺激されたメンバーも東京で活動をして場数を踏んでいきます。森崎さんが結成当初思い描いていた NACSの将来がちょうどこの時で、この先をまだ考えられていませんでした。

森崎:僕たちが卒業した北海学園大学演劇研究会には、「地方公演」という全道各地をバスに乗って、一週間くらいの旅行をしながら地方の小学校を巡り、児童劇を観せるという行事がありました。 1日に2 校訪問し、宿に到着すると毎晩反省会が開かれます。

その日、 20名の劇団員は201 号室に集まる予定。

しかし、「会議なんていくらやったって、面白い芝居なんかできやしねーよ!」と言って、隣の 202号室でバカ話を続けた5人。これが TEAM NACSです。

安田がパンツを脱ぎ、シゲがそれをかぶり、大泉が音尾の動きに MCをつける。それを見て笑いながら、僕は明日の舞台より 10年後を考えていました。

22歳の僕が考えた10年後の理想像は、「札幌で稼ぎがあって、趣味で芝居続けてて、 3000人くらい呼べる」これが当時考えうる最高の理想でした。理想は夢幻に過ぎず、結局僕たちは一度きりの花火を打ち上げ、解散します。( 1996年 LETTER)

が、色々ありまして。今こうして 10年後も5 人で舞台に立っています。

とにかく、僕達はまだ続けています。「続ける」ことが一番大切だと思って、これまでの僕の書いた芝居には必ず「〜続ける」というサブタイトルを加えています。 10年前の僕の理想像は間違いなかった。むしろ、理想を上回ってる。

これからです。

これから TEAM NACSはどうなっていくのか。頭の中で描きもしなかった TEAM NACSが次を求めて動き出しました。 *7


思いのほか続いてきた TEAM NACS。気づいたら転職のチャンスを失い、ここにいるしかなくなった。自分自身が役者として大きくなりたいと願う 5人の役者は、ならばTEAM NACS自体も大きくなってもらわないと困ると、高みを目指し、少し焦り始めます。

安田:『もう、こいつらとはやりたくない!』ってまだ思ったことがないんですよ。ここからが NACSの第二章だと思うので、頑張らなければと思ってます。今、ここで抜けるのは非常にもったいないですしね (笑)*8 

戸次:打算的な話になっちゃうかもしれないけど、「 NACSであることの利点」がないと、ここまではこれなかった。 (中略) あとは「そんなことを考える余地がなかった」っていうのもある。考えるまでもない状況で今まで来たから、他の選択肢がないっていう。 *9


正直、まだこの先どうなるのか分からないけど今辞めるのは間違っていると考えていた安田さん戸次さん音尾さん。彼らは大泉さんのような東京での知名度はないけれど、いち役者として成長したいという気持ちが強かったと思います。


ここで、個人のために NACSも成長しなければと考えていた人もいれば、みんなでやろう!という人もいて。気持ちにズレが出始めました。これが、東京で俳優として活動していく 4人と森崎さんの間に結構な長い間居座り続け、 10周年を迎えつつも、もがく 30代を過ごしていきます。




  • 経験を積んでもなお満たされない「成長したい」~本公演をしなかった 10周年~


初の全国公演「 COMPOSER〜響き続ける旋律の調べ〜」では、楽しさの反面、責任や「全国に向けたものとして、これでいいのか」という葛藤がちょうど半分ずつだったように思えます。また、この全国公演では、北海道だけで活動してきたにも関わらず、日本全国に待ってくれている人がいると初めて5人は肌で感じたのではないでしょうか。TEAM NACSはもう 5人だけのものではありませんでした。


その翌年、 TEAM NACSは10 周年を迎えるのですが、なんとまさかの本公演はなし。「 10周年だ!わーい!」とできないほど、本公演は肉体的にも精神的にも彼らにのしかかるものだったようです。さすがのアニバーサリーバカと言われる森崎さんでさえも、その決断をすることができませんでした。


しかしそれは、初めてメンバーが「続けよう」と振り返るいい時間になったようです。

大泉:みんな真面目になった、っていうとアレだけど、もっともっと頑張っていろんな世界を知らなきゃと感じるようになったよね。
音尾: 5人が、ずっとNACS を続けていきたいという願いがあって。じゃあ、続けていくためには、どんなことに挑戦していかなければいけないかを、特に 2006年は漠然と考えられる年でした。 10周年にNACS の公演はなかったですけど、だからこそ、自分たちのチームのことを考えられたなと。いい 10周年になったと思いましたね。
安田:確かに、それぞれの共通した気持ちが確認できたという感じですね。 *10

10周年を振り返るイベントでさえ 2006年の間には行われず、2007年 1月に行われましたが、その分彼らは大きなものを得て、現在の NACSのスタイルを形成しました。

大泉:この 5人について僕が思うのはね、 NACSが修業の場、道場のような稽古を続けてたら疲れるんじゃないかなと。 NACSっていうのはなんだろうね…オリンピックだったり、サーカスだったり。個人で体力をつけて、集まった時にそれまで学んできたものをサラリとまとめて観てもらうって集団じゃないと、長くは続かないでしょ。 *11


10周年という節目で、個々の活動をしながらグループ活動も深めていく、ドリフターズ形式」を意識し始めた TEAM NACS。見事にこの時期に戸次さんがドリフターズを口にしています。

戸次:あいつ (大泉さん) も外の現場で、ピンの方々といろいろ共演することで、自分がグループを持っていることの強みを認識している部分があると思うんですよ。例えば、加藤茶さんが『ドリフターズ加藤茶』を持っているように、大泉洋も、もう一つ『 NACSの大泉洋』を持ってる。そんな風に NACSと思ってくれてるのかもしれないです。 *12


しかし、ドリフターズ形式をとれば誰でも順調にいくことではありません。離れてみて初めて気づいた TEAM NACSの大切さですが、翌年には最大の解散の危機が訪れました。




北海学園大学演劇研究会の 5人がTEAM NACS に就職した話 その2 - それってつまり結局は




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北海学園大学演劇研究会の 5人がTEAM NACS に就職した話 その2 - それってつまり結局は

*1: 『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』特典映像

*2:『LOOSER ~失い続けてしまうアルバム』特典映像

*3:ハナタレナックス特別企画 演劇ユニット TEAM NACS の真実」

*4:職種別の転職理由ランキング<2015年上半期> |転職ならDODA(デューダ)

*5:NACS GOTTA ME!』 7月10 日放送

*6:『ピクトアップ』 2007年8月号

*7:『LOOSER 〜失い続けてしまうアルバム』パンフレット

*8: 『ピクトアップ』 2005年2 ・3月号

*9:『LOOSER 〜失い続けてしまうアルバム』パンフレット

*10:ダ・ヴィンチ」2007年 2月号

*11:ダ・ヴィンチ」2007年 2月号

*12:『ピクトアップ』2007年 8月号