北海学園大学演劇研究会まとめ~きら星の挫折と世界の弟~
お待たせしました。ついに北海学園大学に残る二人が入学し、5人が揃います!が、音尾さんの入部は描きますが大泉さんの入部は次回!理由は読んでいけば分かってくださると思いますが、なぜ北海学園大学に入学したのか、その経緯から説明しないと、次回の大泉さんのやさぐれ具合に説明がつきません(笑)。
大泉さん、現在の姿を見れば分かるように、根っからのお調子者で、子供の頃から割りとクラス、或いは学年の中心にいるような人でした。まず小学校の頃に落語にハマるという時点でTHE・大泉洋が形成されていきます。
家族旅行に行く車の中で母親が落語を聞いていたのがきっかけで落語にハマる。柳亭痴楽「ラブレター」、春風亭柳昇「課長の犬」「寄り合い酒」は暗記してしまうほど聞きこむ。周りの子はファミコンやガンダムに熱中していたが、全く興味がなく友達とおしゃべりするのが生きがいという一風変った少年であった。授業中も毎日おしゃべりし過ぎで、とうとう先生に喉仏のところにガムテープを貼られる始末。*1
見事に期待を裏切らない大泉少年ですが、その前にお母さん、家族旅行のお供に落語って(笑)。落語においてはどちらかというと柳亭痴楽さん(4代目)の方に影響を受けたのでは?と思います。名作「ラブレター」における話し方が、「水曜どうでしょう」で様々なキャラクターを演じたベースになっているように感じます。完全に個人的な印象ですが。
そんな大泉さんは小学5年生の時に転校という経験をします。有名ですが、これがまた面白い話で。故恒三おじいさんと同居することになって江別から札幌へ引っ越しが決まったのですが、人気者の大泉さんが盛大なお別れ会をして帰宅すると、恒彦お父さんから「転校が延びたぞ!」と報告。お別れ会の次の日に登校するというなんともいたたまれない経験をします(笑)。結局「嘘つきじゃないか大泉!」と、オオカミ少年的な扱いのまま転校へと至ってしまいます。かわいそうに…。
はじめのうちは新しい学校になかなかなじめなかったが、得意の田中角栄、寅さんのモノマネでじわじわと友達を増やしていく。そして一泊校外学習の時初めて人前でネタを披露し、一躍スターになり、それと同時に「洋ちゃんブーム」を巻き起こす。*2
絶対に話を盛っているとは思いますが(笑)、そもそもクラスの中であまり目立たない子が校外学習でみんなの前で出し物をするということは滅多にないことで、モノマネで友達を増やし始めた時にはある程度の人気はあったと思います。校外学習でやったネタというのは、同級生と三人でファッション研究家のコントというもので、漫才というよりかはやはり演じることに通じるものだったのではないでしょうか。*3
この頃から遅刻ぐせがはじまり、登校の迎えに来た友人を玄関で何分も待たせる。しかし、祖父(故恒三さん)がラジオを玄関先に持って行き、待っている友人たちに聞かせてフォローしていたという涙ぐましいエピソードも。*4
本当に、大泉家って素敵ですよね。とにかく人を楽しませようとする意識は、ご家庭で培われたのではないかと思います。口達者なお母様に、イタズラ好きのお父様、芸術センスのあるお祖父様。見事に大泉さんに遺伝しています。
中学校の入学式で、スキーで骨折したため松葉杖をついて参加し、母に支えられながら退場した際に何故か拍手喝采になってしまった*5というエピソードも天性のコメディアンぶりを象徴しており、安田さんとは正反対の子供時代。昔から人を自然と笑わせる対象だった大泉さんですが、密かにコンプレックスを持っていました。
それは7歳年上のお兄さん。少し年の離れたお兄さんですが、これがまた成績優秀。大泉さんのご両親は教師をなさっているので、見事に受け継いだお兄さんだと感じます。札幌の進学校・札幌北高校から早稲田大学に入学したお兄さんを見て育った大泉さんは、自分も東京の大学に行くのだと流れで感じていたようですが、知らず知らずのうちにそれがプレッシャーになっていたようです。しかし、決して仲が悪い兄弟ではありません。
兄弟というと、僕には思い出す景色があります。よく子供の頃、暗くなるまで近所の公園で遊んでいると、ボロボロのジャージを着た兄貴が、「洋、ごはんだぞ」と迎えに来てくれました。夕焼けの中、ポケットに手をつっこみながら、めんどくさそうに僕を迎えに来る兄貴。その風景が、子供の頃の記憶として残っているのです。*6
それ相応の、年の離れた男兄弟の微妙な距離感。女の私には少し羨ましいくらいです。最初に大泉さんを知った時、あまりの奔放さに大泉さんは絶対に一人っ子だと思っていた私ですが(ごめんよ洋ちゃん)、可愛い弟だったようです。
そんな大泉さんは、現役時代に法政大学に合格しましたが、お兄さんと同じ早稲田大学を目指して進学せず、浪人生活を送ることになります。合格したのが法政大学だったというこれ、結構いろんなところに書かれていますが、情報ソースがあやふや。2007年のNHK『トップランナー』の未公開SPだった気がするんですが、イマイチ断定できない…本編の『トップランナー』ではないことは確かなんですが。
この二人大好きです。さて、そんな孤独な浪人時代を大泉恒三さんがつけていた日記で振り返りましょう。
「平成6年2月10日。洋くん、北海学園大学入学試験。午後4時頃帰宅し、午後6時頃すぐに東京の大学受験のため出発。」
「3月23日。大泉洋くん、大学入試失敗。
洋くんは本年二浪しているので、希望校に入るべく、北大他、東京の六大学などの大学及び北海学園大学など10校ぐらいに挑戦したが、誠に残念ながら、力不足と言おうか、不運と言おうか、ついに北海学園大学のみで残りは全部失敗した。誠に情けない次第である。本人は無論、両親も情けないと思ったことであろう。仙台軍はユミコが一浪し、看護の福祉関係の私大へ入学。コウタロウくんは仙台で体育関係に有名な育英高校に入学し、まずまず一安心というところだ。札幌軍は惨敗した。結局、洋くんは北海学園大学に入学することだろう。」*8
洋くん惨敗(笑)。後から振り返ると大泉さん本人も笑いながら話していますが、当時は人生最大の一大事。大泉さんは途端に全てを投げ出すようになってしまいます。
人生で初めての挫折感と屈辱感を体験。来る日も来る日も部屋から一歩も出ず、しまいには大雨の日、家から傘も持たずに飛び出し風邪をこじらせて死んでやろうとするが、悲しいかな、こじらせるまでには至らなかった。登校はするものの、同じクラスにいるのは年下ばかりで全く馴染もうとせず、自分で壁を作っていた。そんなことではいけないと、入学から2ヶ月ぐらい経った時、サークル活動をしようと決断。落語研究会に入ろうと思ったが存在しなかったので、少々興味のあった芝居をやろうと演劇研究会に入部する。本人曰く、受動的人間がこれまでの人生の中で後にも先にもこれが能動的になった唯一の出来事だったという。(この時既に、森崎、安田、戸次が先輩、音尾も入部していたので、本来ならばNACS5番だったのではという説もある)*9
そう、実は音尾さんのほうが大泉さんよりも先に入部しているのです!しかし、入学二ヶ月くらいという期間は疑問に感じることがあり、次のエントリーで大泉さん入部の時系列をまとめたいと思います。という訳で、やさぐれた大泉さんが他のメンバーと最悪な出会いをする前に、少し時系列を戻して音尾さんがなぜ北海学園大学に入学したのか、演劇研究会に入部したのかをまとめます。
親の勧めで6年間水泳をやるはめに。本人はあまり気乗りしないで水泳教室に通っていたが、大会では素晴らしい成績をおさめていた。
- 小学校時代
- 中学校時代
水泳生活から解放され、特になんの部活をすることもなく、のほほーんとした3年を過ごす。
- 高校時代
こちらもTHE・音尾琢真といった感じで育ってきています。器用なので気乗りしないものでもいい成績をおさめられるし、根性はあるから続けられるし、でも何もしないときは何もしないでもいられる、自分でやりたいことを見つけたと思ったら突拍子も無い思考だった、という。個人的に、音尾さんが自分でやりたいと思ったこと=突拍子も無い思考というのが、前述した体操部への入部、後述する演劇研究会への入部を経てオッティオットマンにまで繋がっていて、ブレないなぁと感心します。
安田さんもかなり変わった思考の持ち主ですが、私は音尾さんが一番変わっていると思っています。本気で意図がわからないときがあって、人間て面白いなっていうもはや動物学的観点にさせてくれる音尾さん。
国語の授業で教科書を読むと先生が「いい声だ」と褒めてくれ、また歌や踊りが好きだったことから、ミュージカルスターになりたいという夢を見ます。突拍子も無い。
高校の終わりくらいに「役者になりたい」という気持ちが芽生える。しかしながら目指していたのはなんとミュージカル役者!東京の芸大に行こうとしたが、親の反対もあり、演劇研究会のある北海学園大学へ。すぐさま演劇研究会の門をくぐる。*11
実は大阪芸大に合格して行く予定だったんですけど、「学費を払えないからダメだ」と親の猛烈な反対があり、行かせてもらえませんでした。*12
東京と大阪どっちなの音尾さんー!これはもう本人に聞くしかないと思いますが、個人的には大阪芸大が本当かな?と思っています。CUE HISTORY MUSEUMの方はインタビュー形式で、会報の方はスタッフがまとめた生い立ちという感じなので、大阪芸大の方が本当なのではないかと踏んでいます。
- 1994年
4月
森崎、4年生に進級(在籍5年目)。
安田、3年生に進級。OOPARTS公演『HOMO-SAPIENS』出演。
戸次、2年生に進級。
やっと入学〜。音尾さんは戸次さん同様、演劇がやりたくて入部した新入部員でした。しかし、音尾さんの背中を更に演劇研究会へと押した人物が、実はひとり。
音尾:爽やかすぎたよね。僕は、新入生の時の部紹介で戸次さんを初めて見たんですよ。ステージに当時の会長とイケメンがひとり立ってて、それが戸次さんだった。僕、正直それまで演劇部ってものに、あんまりいいイメージがなくてね。
大泉:なかったよね、あの頃。
音尾:中学や高校の演劇部って、美男美女が集うような華やかなイメージってなかったでしょ。だから大学でもそうかと思ってたんだけど、戸次さんを見て、「こんな爽やかな人がいるなら、入ってもいいかも」と思ったんですよ。
大泉:じゃあ、戸次さんのおかげで今があると言ってもいいくらいだ。
音尾:そうですね。まあ、安田さんでも大丈夫だったけど、森崎さんだとちょっと…。*13
戸次さんを見てイケメンがいるから入ってもいいかも、なんていう少女漫画の主人公のような気持ちだったとは(笑)。こうして入学早々に演劇研究会の門を叩いた音尾さんは、当時在籍5年目で演劇研究会の会長も引退し、ヌシと呼ばれていた森崎さんと出会います。森崎さんの右腕である安田さんは3年生に進級していましたが、前述の音尾さんが戸次さんを初めて見た発言でも別の方が会長であったようですし、安田さんが会長になったという話は聞いたことがないので、その性格からおそらく全力で遠慮したのでしょう。
音尾:発声練習を教えてもらっている時に、バーンと大会議室の扉が力強く開いて、「あーえーいーうー!」と、すごい声を出しながら入ってきた人がいたの。青いジャージを着て。*14
リアル扉をバーン!です。森崎さんて本当にキャラクターみたいな人ですよね。大泉さんは絶賛やさぐれ中でありましたが、音尾さんは前のエントリーでも少し出た森崎さんの名言「世界の弟」キャラを発揮。新入部員が初めて参加する日に、意気揚々とやってきた森崎さんは、演劇がやりたいと入ってきた同じ高校出身の弟キャラ・音尾さんを初日からたいそう気に入ります。こんな最強データ、森崎さんが好きになる要素しかない。
森崎:そしてその夜、君を飲みに連れて行ったと記憶しています。ただ、他に一緒にいくというやつが5講目があって、俺達はもう4時前から待ってるんだけど、そいつの講義が終わるのが6時くらいになて…まぁ、俺はそれシゲだったと思ってるんだよね。安田とシゲだったと思ってるんだけど、それを待ってたんだ。で、待っている間にきみとあと山下っていう男と、3人でトランプをした記憶がある。負けた奴は1枚脱いでいくって決まりをつくって。
音尾:あー、それは覚えがあります!
森崎:で、まずお前は、入部早々パンツ一丁にさせられた(笑)
音尾:それって、入部そうそうだっけ?
森崎:だと思ってる。俺はね。俺はあんまり負けないんだけど、まず負けてズボン脱いで、2回め負けた時にパンツを脱いだんだよな。そん時にお前がものすごく喜んだのを覚えている。
音尾:「まず、ズボンからすか!」って喜んだ気がする。
森崎:だからその時、なにか感じたんだろうね、俺も。「ハッ…こいつは…」っていう(笑)。「俺がパンツを脱いだ時にこいつは指を差して笑った!引いてない!」っていうものを感じたんだろうな。*15
森崎さんが安田さんと戸次さんの授業が終わるのを待っている間に音尾さんと意気投合。もともとの感性が人とはちょっとずれてる集団・ナックスが見事に集まっていく…。またもや、現役合格の音尾さん(3月誕生日の早生まれ)の入学早々なんてバリバリ未成年ですが「飲みに連れて行く」と載せちゃうOFFICE CUE(笑)。
また、この頃安田さんは順調にOOPARTSの舞台に立っていましたが、4月に「HOMO-SAPIENS」という公演で必死に覚えたダンスのあとに舞台から飛び降りて捻挫してしまったそうです。
安田:OOPARTSという鈴井貴之さんがやってた劇団があるんですけれども。
(中略)そこでの舞台でねえ、ファクトリーホールでやったんですよ。もう何年前でしょうねえ?1994年とかだから、もうずいぶん前ですねえ。10年くらい前でしょうかね?踊りながら人に持ち上げられて、その2階ぐらいの高さから落とされるっていう役をやったんですね。
僕必死にやってたんですけど、今考えるとスポットライトも何も浴びてなくて、誰も僕が落ちたことは分からなかったんだけど(笑)。元々その設定上落ちるっていう設定だったんですけれども、下にクッションかなんかあるのかな?って。何も無いんですねえ。「段ボールをとにかくバーッと並べとくから、そこ目がけて落ちてください」って言われたんですよ。
でも私の場合やはり天才ですから、もちろん段ボールなんかは落ちないワケですね。段ボールとちょっとずれたところにガタッと落ちましてね、捻挫をしたままやったとかね。*16
音尾さんと大泉さんが出会った頃の天才・安田さんは捻挫していたようです。それはさておき、会場はサッポロファクトリーホールなので、安田さんは他の4人よりも大きな会場で公演する経験が早かったのではないでしょうか。
さて。とりあえず、ナックス4人は一足早く形成されました。いつまで経ってもイジられる弟キャラの音尾さんですが、お芝居に対しての真摯な姿勢や物事を合理的に捉える面をメンバーは評価しています。何事も器用に飄々とこなす音尾さんですが、お兄ちゃん達4人はそれ以外のちょっぴりおバカな弟気質を「変わらないでいてほしい」と口を揃えて言います。
私は以前、音尾さんはナックスの末っ子、弟をきちんと自負していると知り、こりゃ絶対に変わらない!と感じました。
今後もたっぷり甘えていきたいですけど…ただ待って、お兄ちゃん達。僕はお兄ちゃん達に甘えていくけれども、「最強の弟」になるよ、と。「最強の弟」として使ってちょうだい、ということですね。今後の展望は「最強の弟」で!*17
自らこんな弟発言をできるなんて、結局4人は「最強の弟」の掌の上なのかもしれない。
さて、次回はいよいよやさぐれた大泉さんがみんなと馴染んでいく様子を、地方公演を軸に時系列でまとめたいと思います。大泉さん、話がお上手ですが、正確さに欠けるので(笑)、見解も含めて時系列にまとめると、いかに5人が急速に仲良くなったかが浮き彫りになります!日数にして見ると本当に面白いです。しばしお待ちを!
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*1:会報2004年6月号より
*2:会報2004年6月号より
*3:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』特典DVD「NACS CAMP2004」
*4:会報2004年6月号より
*5:会報2004年6月号より
*6:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*7:TBS『ぴったんこカンカン』2012年12月14日放送
*8:AIR-G’『GOLGOLGO』2001年8月17日放送
*9:会報2004年6月号より
*10:会報2002年9月号より
*11:会報2002年9月号より
*12:CUE HISTORY MUSEUMより
*13:『下荒井兄弟の、スプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*14:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より
*15:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より
*16:AIR-G'『GOLGOLGO』2003年8月1日放送
*17:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより