それってつまり結局は

TEAM NACSとジャニーズのブログ。

北海学園大学演劇研究会まとめ~解散までの前編・伝説の旭川旅行~



お待たせしました。いよいよ解散の年になりますが、もちろんその後の再結成の話も書きたいですし、漠然とですが東京公演までの5人の歴史がすごく好きなので、どうしよう、すげー長くなるじゃんと迷いながらいけるところまで行こうと思ってます。言っちゃったよ(笑)!後に引けない!


さて、1995年は5人でいれる最後の学生時代。最後なんだ!と意識していたのかは不明ですが、この年5人は旅行だなんだとかなり思い出を作りまくっています。そのため、1995年は2つのエントリーに分けます。今までも長かったのでそうしろよ!って話ですが(笑)。


そして、前回お仕事関連の話題を入れるのをすっかり忘れていましたので94年の補足を。立ち上がったばかりの事務所「CREATIVE OFFICE CUE」に所属してタレントとしても活動していた安田さん。新千歳空港でアルバイトしていたことが起用につながったのかは不明ですが、オーディションに受かって「白い恋人」のCMに出ていたのです!「千歳空港デュエットしあわせ編」と題されたそのCMは、まさしく女の子とデュエットしているもの。


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「迷いだしたら~キリがないけど~恋だってもう一度しないわけじゃない~」と歌うふたりや、恋人を空港の柱の陰で待つ彼女と、抱きしめ合う二人。見れば一発で分かる、牧瀬里穂さんのJRのCMを意識してる感(笑)。ちなみに安田さんは自分で髪を切って前髪がオン・ザ眉毛になった姿で出演。かなり頑張って明るく振舞っています(笑)。できあがったCMは、もちろんメンバーの大爆笑をかっさらいました。*1


1995年
4月
  • 森崎・安田、4年生に進級。(森崎さんは在籍6年目)
  • 戸次、3年生に進級。
  • 大泉・音尾、2年生に進級。


無事に皆さん進級できました。森崎さんは留年の連続で小学生と同じくらいの期間学んできましたが、ついに卒業へと動き始めます。おそらく、現役入学した唯一の真面目学生・安田さんが留年するとは思えず、なら一緒に卒業しようと思ったのでしょうね。学生時代のエピソードを聞いていると、森崎さんは安田さんが4年生になるまで就職活動をしていたとは思えないので、ついにタイムリミットがやってきた、といった印象だったのではないでしょうか。


そんな5人は、新年度早々、新入学生を対象に勧誘を行う「サークルガイダンス」を担当することになります。思い出づくりに立候補したのか、それともまだ地位の低かった「なっくす」が押し付けられたのかはわかりませんが、文化棟の「大会議室」という場所で爆笑寸劇を上演。そのおかげでなんと16人も新入生が入部しました。大泉さんと音尾さんが入部した1年前は、2人を含め5人の新入部員で、演研全体で30名ほどだったといいますので、これはかなりの快挙です。そのおかげで部内での「なっくす」の地位が上がったそう。


それまで音系サークルの使っていた「地下4」を月曜日と木曜日にだけ間借りしていた状態だった演研ですが、一気に部員が増えたことや、「なっくす」5人のお陰で動員数が増えたことなど実績を作ったことにより、「地下4」ではなく、文化棟の隣にある北海学園会館の9・10番会議室や、「サークルガイダンス」を行った大会議室でも稽古することになります。


6月
  • 劇団イナダ組第10回公演「NO FUN」
2日−4日
森崎・戸次・大泉・音尾 出演
ルネッサンス・マリア・テアトロにて

  • 文化系サークル対抗ソフトボール大会


前回のエントリーで触れましたが、戸次さんが初めて参加した劇団イナダ組の公演で、森崎さんは大泉さんと音尾さんを稲田さんに紹介し、男芝居を作って欲しいとお願いしました。そして稲田さんは「NO FAN」という作品を作りましたが、いかんせん大泉さんと音尾さんには経験が少なく、その作品をするにあたっての技量が足りずにいました。そこで稲田さんは根気よくお芝居の基礎を叩き込み、94年の10月から8ヶ月間の稽古を経てついに上演されました。安田さんは見に行ったでしょうか?


ちなみに、おそらくこの稽古中だと思われるエピソードが一つ。中学一年生の夏休みに宿泊学習から帰ってきたら突然天パになっていたという大泉さん。以降チリチリヘアーで街を歩けば人が振り返るほどの面白ヘアーになってしまいましたが、ついにストパーをかけようと決心して森崎さんと一緒に美容室に行きました。森崎さんは天然ストレートヘアーの持ち主なのでおそらくカットだけでしょうか?そこで思わぬ大事件が起きます。


当時ストレートパーマはまだ技術が進歩していなく、下敷きのような何枚もの板に髪の毛を張ってピンと伸ばした状態を記憶させるというもの。


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↑当時のストレートパーマ


森崎:彼の頭が矢印になったんですよね。三角に。
大泉:髪まだビッチャビチャなんですよ?ビッチャビチャなのに、「はいできました」て言うんですよ。ビッチャビチャだからそりゃ真っ直ぐなんですよ。で、「はい、まっすぐですね」「あ、ですねぇ」つって、リーダーと「ありがとうございましたぁ」って出たんですよ。で、ビッチャビチャの髪がだんだん乾いていったんです。で、乾くに従ってまっすぐだった髪の毛がじわじわ巻きを戻し始めまして、下だけ膨らんできて矢印みたくなったんです。
戸次:その格好で稽古場に現れて、大泉さんがとにかく上を指してるから*2


それを見たメンバーが上を向いて「上に何があんだよ」「いや俺別に指してないから」という遊びをした再現をしていますが、安田さんは初耳のようで爆笑。全員学生時代に安田さんがいない稽古ということなので、おそらくこのイナダ組の稽古のことだと思われます。



そして同じ6月初旬に、北海学園大学では毎年月寒公園で文化系サークル対抗ソフトボール大会というものをやっていまして。もちろん演劇研究会も参加していたのですが、すでに4年生だった安田さんは応援ということで会場へ向かう途中、トラックに引かれそうになってびっくりして脱糞してしまったそう。しかも到着後、後輩たちに背中を押されて代打で出場し三振。散々な一日でした(笑)。*3そのトラックが大型ではなく軽トラックだったということを嘘をついてメンバーに話していたのはよく耳にしますが、他のメンバーがそこにいた話がないので、おそらくイナダ組で忙しい4人に代わって安田さんがひとり参加したのではないかと思っています。6月の5日くらいまでには行っていることなので、本当に時期が本番と丸かぶりですし。


7月
  • 演研サマキャン

  • エリアコードドラマ011『テレビ局物語 今にみてろ!』
森崎・大泉出演


95年もサマキャンの季節がやって来ました。この年は新入生が多かったために地方公演に1年生を連れて行くことができず、かわいそうだということでサマキャンはとある先輩達が新入部員を連れてキャンプに行くという行事に変更されました。


森崎:そうだ、1年生の子たちを俺とシゲとでキャンプに連れて行ったことがあったな。
戸次:行った!いや~いい思い出があるじゃないかモリキャン!
森崎:とにかく俺とシゲで張り切って車2台で「楽しむぞお前ら」って、支笏湖に。俺ら二人が張り切って後輩たちが「はいはいはい」ってついてくるみたいな(笑)
戸次:どうやら、あんまり楽しくなかったみたい(笑)。あとで聞いたら「なんか先輩二人が行こう行こうって言うから行ったんです」みたいな(笑)。
森崎:例年だと1年生は地方公演で交流を深めるんだけど、この時は新入生が多すぎて行けなかったのね。それがかわいそうだったから「もてなしてやろうよ」って行ったんだけど。*4


他の三人は参加しなかったといいます。張り切る森崎先輩と戸次先輩は他の先輩部員数人とともに新入部員を穂別に連れて行ったようですが、例によって戸次さんの車(ギャラン)だけがエアコンが壊れていたようで。


戸次:窓開けたくらいじゃ暑さ解消されないのよ。そこで俺の武器シーブリーズ。後輩連中にシーブリーズ渡して「いいか?暑くなったら顔や腕にシーブリーズ塗れ!そいつが気化するとき気化熱でお前らの体は冷える!」って(笑)。「戸次さんだめですすぐ暑くなります!」「バカ!暑くなったらまたすぐ塗れ!」って。自分エアコンっていうのをやってましたけどね。
音尾:すごいですね。THE・大学の先輩って感じだなぁ*5


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音尾さんの言うように、まさに大学の先輩エピソードって感じがしますね。同じ時期、大泉さんはついにテレビデビューを果たします。それは「エリアコードドラマ011」というものでした。


ソニー・アンティノスレコードの笠井一二が手掛けたプロジェクトであり、地方局のエリア限定で放送するという希少性や地域密着性をセールスポイントとし、ソニー・アンティノスレコード所属アーティストの楽曲を主題歌に使うという狙いのもとに作られた。表題の数字(011、025、098等)は、その番組を放送する放送局の本社所属地方自治体(市)の電話番号市外局番にちなんでいる。*6


他には新潟、名古屋、静岡、大阪、福岡、熊本、沖縄でも放送され、沖縄のドラマ『青い夏』はなんとオーディションに合格した仲間由紀恵さんのデビュー作。すごいですね。北海道では北海道テレビ(HTB)で毎週金曜深夜23:30-24:00に放送されていました。


大泉:初めてのテレビの仕事、といってもアルバイトだったんだけどね。当時HTBで「エリアコードドラマ」っていう深夜のドラマを作ってたの。東京の俳優さんが出てて、いろいろな作品が放送されたんです。で、その番組から当時所属していた北海学園大学の演劇研究会に「アルバイトとして出演してくれる方、誰かいませんか?」って話がきて、僕とモリと当時の後輩でアルバイトに行った。それが一番最初じゃないかなぁ。僕が出た回はテレビ局を舞台にしたお話で、B-21のヒロミさんと中村繁之さんが出てましたね。*7


ヒロミさんが出演していて、TV局のお話ということなのでおそらく7月から9月まで放送されていた「テレビ局物語 今にみてろ!」だと思われます。「ビックリ素人のオーディション」という企画を考えたディレクターのお話で、 ヒロミさんはそのディレクター役。そこに集められた素人という設定で大泉さんと森崎さん、演研の後輩が出演しました。



大泉:HTBに行ったらいきなり(本物の)ディレクターさんに「は~い、じゃあ皆さん一人一芸考えて~」って言われた(笑)。あげくのはてには「は~い、皆さん掃除してくださ~い!1分でやろう!はい、スタート!」って、スタジオの掃除とか片付けまでやらされた(笑)。「何でオレらが片付けんのよ!?」って思いながら(笑)。*8

大泉:そんで、「一芸考えなきゃいけない、どうしよう!」って考えて…僕はただただ、乳首に目を描き、乳首をクマさんの顔に見立てて、「乳首が喋ります」というネタをやった(笑)。乳首を出して「やぁ!こんにちわ!」とかなんとか言いながら、乳首を振るわせて喋らせたの(笑)。「エントリーナンバー2番!乳首がしゃべります!」みたいな (笑)。ドラマの設定としては素人の芸が最悪につまらなくて、「どうすんだよこの企画!」ってヒロミさんが中村繁之さんに怒る…っていうシーンだったん だけど、あまりにも僕の芸がくだらないもんだから、思わずヒロミさんが吹出しちゃったんだね。で、NGになってた(笑)。でもその時は嬉しかったなぁ。「わぁ、ヒロミさんが笑ってくれた」と思ってねぇ(笑)。*9


この時のこと、ヒロミさんは覚えていたりするのでしょうか?そして、おそらく夏の出来事として、ついに二泊三日の5人旅に出かけます。この5人旅のことを、彼らは自分たちで「NACSキャンプ」略して「Nキャン」と名づけています。


普段一緒にいる5人が「プライベートでどこまで遊べるのか」というところからはじまった。*10


とされており、おそらく数年後の室蘭旅行の時に名づけたものだと思われます。最初の5人旅の時にはまだ「なっくす」だったので「N」という頭文字をつけるか微妙ですし、室蘭旅行の際にはすでにみんなテレビに出ていた頃ですので、「プライベート」という言い方になったのでしょう。大学時代はいつでもプライベートですからね(笑)。


そんなNキャン最初の旅は旭川方面への旅行でした。森崎さんの実家のある東川を森崎さんの思い出とともに巡り、旭川にある音尾さんの実家に二泊したそうです。


この旭川旅行の中で私が一番好きなエピソードを最初に。旅の前に、おそらく就活関連で森崎さんが東京に行った際、そのついでに当時佐々木蔵之介さんが所属していた劇団『惑星ピスタチオのお芝居を観たことがあったそうで。この『惑星ピスタチオ』は当時北海道のテレビ局で公演が放送されており、5人はビデオに録画して何度も何度も見ては研究するほどの大ファン。森崎さんが5人分の『ピスタチオ』と書かれたキャップをお土産に買って帰ると4人は大喜びし、みんなでお揃いのキャップを被って旭川旅行に行ったそうです!*11お揃いのキャップ被ってたなんてだいぶ後に知ったので可愛すぎて息止まるかと思いました。



集合しておそらく最初にみんなが笑ったのは安田さんの持ち物でしょう。二泊三日の旅だというのに、荷物は手塚治虫さんの「人間昆虫記」とそこら辺のコンビニで買ったワンカップのみ。そしてあのエアコンの壊れた戸次さんのギャランに男5人がギュウギュウに乗り込み、出発しました。安田さんは出発早々、後部座席の真ん中でいきなり脱いでワンカップを飲み始めたそうで、全力で楽しもうとしています。


人間昆虫記(1) (手塚治虫漫画全集)

人間昆虫記(1) (手塚治虫漫画全集)




運転はおそらく森崎さん。「この沢が綺麗なんだ」「俺がバイトしてた江別のセブンイレブンだ」「この先に熊がいるぞ。おいちゃんて言うんだ」*12などと思い出を語りながら旅路を進んだそうですが、結論からするとその話にあまり興味が無い安田さんのお酒が進むばかり。江別で森崎さんオススメのたこ焼きやさんに寄り、車の中で食べることにしましたが、すでに酔いの回っている安田さんが「俺のたこやき食べる?」と大事なところを掴んで遊び、みんなで「楽しいなぁー!」と大爆笑していたとか。*13なんと平和な5人でしょうね(笑)。



札幌から江別と徐々に旭川に向けて北上していた5人は、なぜか芦別にある真勝寺で地蔵菩薩を見ようかという流れになりましたが、迷ってしまったようで。


森崎:「芦別のお地蔵さん見に行くか」なんて言ってよ。行ったけど途中でやめて深川の山ん中に入ってきたべや。したっけ俺も見たことない、初めて見る深川の夜景を山の上から見た時に俺たち5人一台の車ん中でよ、ちょっと感動したじゃん!
音尾:恥ずかしい(笑)
森崎:一切街灯がなくてよぉ、でも白い服着たおばあちゃんとかが横にいてよぉ、「こえー!」なんて言いながら山登っていってだ。下りの時に初めて見た光がその深川のバン!っていうきれいな夜景でそれで「俺たち一生一緒にやっていこう」って言ったべや!*14


芦別の真勝寺は北海道八十八霊場の第5番札所でもあり、それで迷った挙句おばあちゃんを見て怖い怖いと騒いでいたのでしょう。しかし、森崎さん一生一緒なんて言ったんですね、就職するのに…。もしかしてこの時はまだ芝居を続けたかったのかもしれません。後に出てくる就職宣言の前の話ですし。そう考えると、本当に今は一緒にやれていてよかった、なんて思っちゃいます。



その日の夜、近所の大きめなサウナにみんなでいったそう。お風呂を上がってくつろげるスペースに移動すると、思いの外広くてテンションの上がる5人。そんな中、飲み物を運んでくれる店員さんがチラチラ戸次さんを見ていたそうです。さすがイケメン、とみんなで囃し立てていましたが、その理由はなんと戸次さんがパンツを履いていなかったから。サウナに用意されていた短パンのようなものを着て、上からバスローブのようなものを羽織っていたらしいのですが、公共の場ですから普通は下着か、その短パンを着てバスローブを羽織りますよね。しかし戸次さんは素直にバスローブ一枚だったために完全に見えちゃっていたのです。そんなサウナでは事件がもう一つ。


安田君の荷物が増えているのだ。何やら弁当箱のような、袋に包まれた何かを持っている。しかしそれはよく見ると、パンツにくるまれた『人間昆虫記』だったのだ。そう、彼はちゃっかりサウナの短パンを履いてきていたのだ。そしてそれを知り悔しがったのがシゲだった。「そんな短パンあったの!」彼はその存在すら知らなかった。*15


変人安田と残念戸次は昔から安定していますね。先日の『ハナタレナックス』全国放送でもそうでした。戸次さんはタコの吸盤が喉に張り付く残念を発動させ、安田さんは使えない際どいワードを上機嫌に連発した結果、全国放送では発言シーンがほとんどカットされまくって、機嫌が悪いのかと言われるほど発言シーンがありませんでした。この二人を見ていると、同い年のもう一人、大泉洋さんが凡人にさえ見えるときがあって不思議です。


夜はもちろんみんなで夜通し飲み明かしたといいます。メンバーを短パン一丁で出迎えた最高にセンスのある音尾さんのお父さんに笑い、お父さんは刑事さんだったことから、太陽にほえろ!のようにあだ名があるとすれば「短パン」じゃないか、ならばお母さんは「カレー」じゃないか(お母さんの得意料理かつ、音尾さんの好きな食べ物です)なんて言いながら泊めてもらってるのにからかっていたそうです。


そんなお父さんの趣味は梅酒をつけること。二階にある、子供が少し遊べるような空間に5枚分布団を敷いてもらいましたが、立派な梅酒蔵だったため、そこでみんなで朝まで飲んで、大事な梅酒をひと瓶空けちゃったそうです。その時、箸が転がっても笑うほどに、とにかく5人で笑った印象が強いようで。大泉さんが着ているTシャツが薄くなってガーゼみたいだと言っていつまでも笑っていたとか。



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↑これがそのTシャツ。ちなみにお兄さんからのお下がりで、かなりの貫禄でしたが、大泉さんの自伝的ドラマ『山田家の人々』では、当時の大泉さん的な役であった安田さんの衣装としても使われました。物持ちいいです、大泉さん。


旭川旅行に話を戻しますと、音尾さんの家にあった鬼太郎が世界に妖怪退治のたびに行く本を安田さんはえらく気に入ったようで、ソ連の怖い妖怪・ヴォジャーイを起きたそばから演じて遊んでいたらしいです。*16



鬼太郎のお化け旅行 (ちくま文庫―水木しげる妖怪まんが集)

鬼太郎のお化け旅行 (ちくま文庫―水木しげる妖怪まんが集)

↑おそらくこの本のことだと思われます。


私がこの旭川旅行の話を初めて聞いたのは2006年の『ハナタレナックス』でした。「旅をすると家族と仲が悪くなってしまう」という視聴者からの相談に、この旭川旅行の話をして「俺らは仲良くなる一方だったよな!」と言う大泉さんに、思い出し笑いならぬ思い出し爆笑をしながら頷いた4人が印象的でした。



ちなみに2011年には、この時に飲み明かしていた梅酒蔵で、遊びに行った年からつけている梅酒を、5人で飲むという素敵なサプライズもありました。


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この時の「また15年経ったら飲むべ」という森崎リーダーのしみじみした言葉に、無意識のうちにジワっと涙が出た覚えがあります。バラエティーを見てあんなに温かい気持ちになったのは久しぶりでした。


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最後に、ラジオで旭川旅行について話した時の、個人的に好きな言葉をひとつ。そもそもラジオで旭川旅行の話に至ったのは、友達と卒業旅行するというリスナーから「旅行を楽しむ秘訣は?」という質問が来たことでした。そして面白おかしく昔話をしているメンバーに、安田さんがボソッと言ったのです。


安田:仲の良い友達とだったらなんだって楽しいやね*17


仲良きことは美しいかな。次のエントリーでは東京旅行や森崎さん安田さんの引退宣言で涙するメンバー、そして解散までを描きます。95年のエピソードが後々一番語られている印象がありますが、当時は笑いながらも心のどこかで寂しさを纏っていたのでしょうか。みんな一生懸命楽しもうとしていたなら、なんか切ない。次回の更新までしばしお待ちを〜!


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*1:ハナタレナックス』2003年6月27日放送より

*2:ハナタレナックス』2012年6月14日放送より

*3:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』パンフレットより

*4:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*5:NACS GOTTA ME!』2002年10月5日放送より

*6:Wikipediaより

*7:CUE HISTORY MUSEUMより

*8:CUE HISTORY MUSEUMより

*9:CUE HISTORY MUSEUMより

*10:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』特典映像より

*11:『アフタースクール』札幌舞台挨拶より

*12:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より

*13:ハナタレナックス』2006年5月4日放送

*14:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より

*15:『大泉エッセイ』より

*16:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より

*17:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送