それってつまり結局は

TEAM NACSとジャニーズのブログ。

北海学園大学演劇研究会まとめ~TEAM NACS解散~

 
 
お待たせしました。いよいよ解散となります。後々考えればこの解散こそが彼らのはじまりではあるのですが、そんなことを当時の彼らは思ってもいませんでした。とりあえず、森崎先輩と安田先輩は就職するようだから、今のうちに遊んでおこう、そんな感じで前回のエントリーである旭川旅行くらいまで過ごしていたのでは?と思います。
 
 
 
しかし、森崎さんは違いました。彼は密かに、4人に言わずに自分の将来を悩んでいました。それが途中で露呈することはなく、森崎さんが決意して初めて他のメンバーはそれを知ることになります。そこからあっという間に解散となってしまうのですが、まずはこの年2度目の旅行から。
 
 
 
年に2回も旅行に行くなんてよっぽど思い出を作りたかったのか。しかし、学生でお金が無いために、行き先こそは東京と華々しいですが、旭川旅行からは一気にランクダウンした旅に(笑)。
 
 
 
まずこの東京旅行は旅立つ前日からスタートしていました。翌日から旅行だっていうのに森崎さんの家に泊まりに来た安田さん、戸次さん、大泉さんの三人。音尾さんがいなかったのはおそらく後述の理由かと。
 
 
 
いつものようにお酒を飲んで騒いでいる中、安田さんが張り切って裸踊りをすると、なぜか森崎さんが本気で激怒(笑)。物を投げつけるほど怒ったそうで、なんと旅行前日にして険悪なムードになってしまいました。何がそんなに気に食わなかったんだ、森崎さん(笑)。
 
 
 
しかし翌日、音尾さんと合流するとそれまでの空気は一変、穏やかになったようで、「音尾はなっくすのムードメーカーだ!」と任命したようです。そんな音尾さん、実は前日から体調が悪く、当日の朝も嘔吐してしまったようなのですが、末っ子は「楽しい旅を邪魔しちゃいけない…!」と具合が悪いのを我慢。みんなからムードメーカーだと弄られているうちに気がついたら治っていたらしいです。素晴らしい相乗効果。
 
 
 
東京に着くと舞台を2つ観て、夕食は吉野家の牛丼(つゆだく)のみ、小さなホテルに泊まって翌日もう1つ舞台を観て帰るという一泊二日の弾丸旅。学生ではありますが、演劇をしている5人には刺激的な旅となったでしょう。
 
 
 
色んなものがハイレベルで、札幌とはまた違った都会の街。そんな東京に、森崎さんは就職しようと考えていました。北海道内ではなく、みんなと離れた土地でひとり普通のサラリーマンになろうと思っていたのです。
 
 
森崎:やっぱりちゃんとした大人になりたいし家庭も持ちたいし、子供も孫も欲しいと思ってね。それで芝居を諦めるために、北海道じゃないところで働ける会社を選んで入ったんだよね。北海道にいたら絶対コイツらのことがうらやましくなっちゃうし。*1
 
 
芝居が好きだからこそ、片手間ではできない。でもだからと言って演劇で食べていく自信がなかった森崎さん。東京に就職するということはみんなには黙って就活を続けていました。色んな会社の面接を受け、やはりそのリーダーシップは素晴らしい才能で、次々に面接に受かっていたそうです。
 
 
大泉:面接も通って通ってすごかったもんね。最後にリコー受けた時に、
森崎:会社名言うなよ(笑)
大泉:社長面接で「会社名をモリコーにしたい」って言って落ちちゃったの(笑)。*2
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 ↑プリンターやコンパクトカメラで有名な大手ですよね。
 
 
森崎さん、安田さんが就活を進める姿を見て、他の三人はどう思っていたのでしょうか。いつかは自分も通る道だろうけれど、少し心細かったのではないでしょうか。特に大泉さんは、既に演劇研究会会長の後任として決まっていたようですが、自分に会長は出来るのか不安に感じていたようです。
 
 
大泉:安田もモリも二人共卒業して抜けちゃうというのは、僕にとってすごくデカい出来事で。その次の年から僕が演劇研究会の会長になったんですけど、やっぱりとんでもなく不安だったんですよね。森崎さんの牽引力やリーダーシップは、すごくデカかったし。安田さんは実行部隊みたいな人だったから。『面倒くさいから人に教えるんだったら俺がやる』って感じで無言でなんでもやっていく感じだった。*3
 
 
不安が溜まっていた大泉さんですが、傍から見ると少々心配性すぎるところがあります。いつの時代もみんなの中心にいる人物ですが、確かに決して物事を自分から仕切るタイプではありません。しかし私は自分で思っているよりずっと、大泉洋は仕事のできる男だと思うのです。それを象徴するエピソードがすでにこの時にもあります。
 
 
公演をするには、いくら学生でもお金がかかることでした。会場費や衣装代、小道具代など。そのお金を工面するために、「パンフレットに広告を載せるので」という条件で頭を下げ、広告料として馴染みのお店からお金をもらっていました。その営業活動も、演劇研究会の仕事の一環。
 
 
森崎:学生時代、演劇のパンフレットっていうのがあってね?馴染みの店とかに「ひと枠いくらです」って公演費を取ってくるのとかって、大泉はすごかったよね。
全員:すごかった。
戸次:俺本当に尊敬したのはね、すっごい腹立ったんだって。広告費を取れないって。お店に行って散々なことを言われたら、俺の性格だったら「じゃあいいよ!他の店いくらでも当たるから」ってなるじゃん。こいつは「腹が立ったから絶対コイツから取ってやろう」と思ったんだって。
森崎・安田:はぁ~!(感心)
戸次:こういう思考をするんだ!と思ってあの時ちょっと「あぁ、すげえな」って。
森崎:営業向き!
安田:素晴らしい!
大泉:向こうは学生相手ですからね、バカにしてるんですよ。それでものすごい腹の立つこと言うんですよ。確かに腹立ったの。「いいや、こんなやつから広告もらわなくても」って思いますけど、「だからコイツからお金取ろう!」と思ったんです僕は(笑)
森崎:取ったの?
大泉:取りました。
森崎:格好いい!*4
 
 
個人的に、TEAM NACSのファンになって、番組の企画でアポを取る際に目上の人や電話口での対応が5人ともエリートサラリーマンのようで感激したのですが、学生時代から培われていたようですね。
 
 
10月
  • 『モザイクな夜V3』スタート
安田、大泉出演。大泉さん、OFFICE CUE所属(?)
 
 
水曜どうでしょう』の前身番組でもある『モザイクな夜V3』という深夜番組がスタート。鈴井さん、藤村忠寿ディレクター、嬉野雅道ディレクターというおなじみの顔ぶれがこの時初めて揃いますが、下記の大泉さんの初出演企画には藤村さんは携わっていませんでした。
 
 
この番組の中で「日本一早い早朝情報番組」という設定で深夜に中継するというおバカな企画があり、それが「おはよう元気くん」でした。夏頃から放送されていたのですが、初代元気くんであったOOPARTSの劇団員が上京することになり、OFFICE CUEは2代目元気くんを探していました。
 
 
その時、去年の定期公演を観に来ていた他のOOPARTSの劇団員が、そういえば安田のいる演劇研究会に面白いやつがいた、と発言したのです。
 
 
大泉:誰かいないかって時に「面白い人が舞台に出てたよ」という話になったみたい。その時にはもうOOPARTSに安田が所属してて「あれ、ウチの後輩です」「じゃあそいつに会ってみようか」って。だから一番最初は安田からその話が来たんじゃないかなぁ。「大泉君、テレビに興味ある?」「あります」って(笑)。まぁ、アルバ イトだと思ってたからね。僕は普通のアルバイトが嫌いだったから、テレビに出てお金がもらえるんだったら、その方が楽でいいやって思ってたの。*5
 
 
こうして二代目元気くんとして大泉さんはバラエティーデビュー。
 
 
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黒のセーターをハート型に切り抜き思いっきり乳首が出た状態にラクダの股引を履いた姿はとてもじゃないけど親には言えず、黙ってテレビに出ていたようです。ちなみに、大泉さんはこの番組のギャラをOFFICE CUEからもらっており、「はい、バイト代」と渡されていたのですが、そこからずっと今までOFFICE CUEからギャラをもらっている状況。つまり、正式に「今日から事務所所属ね」と言われたわけでもなく、自然と最初からCUEからお金をもらい、いつの間にかCUEから仕事をもらってマネジメントされていたのです。彼はいつもいい流れに乗るタイミングのいい男。
 
 
 
12月
 
『DOOR~在り続けるためのプロセス~』
22日-24日
全3ステージ 700人動員
ルネッサンス・マリア・テアトロにて
 
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5人揃うのは最後の定期公演。最終日の本番前、もう演劇に携わらないと決めた森崎さんは、突然の引退宣言を後輩たちに伝えます。
 
 
森崎:大泉が2年の時かな?なんかやりきった感があった。ものすごい大変だったから。「うわー、終わった」って思って、そこでもう今日で引退だと。もうホントに芝居を辞める。実は東京で就職も決まってて、悪いけどみんなには住所も何も教えずに一人で行くからって、開演前にみんなに伝えてね。芝居前にそんなこと伝えるなよって思うんだけど(笑)。一人ひとりに「俺最後だからよろしく頼むね」なんて言って握手をしたのを覚えてるんだよね。*6
 
 
安田さんも就職はしますが、OFFICE CUEに所属したまま、二足のわらじで頑張ると決めていたため、森崎さんだけが完全に演劇から引退するということでした。就職先が東京だということも告げていなかった森崎さん。てっきり札幌市内で就職して、いつでも会えると思っていたメンバー。『DOOR』のパンフレットでは、他の演劇研究会の部員がそんな森崎さんを紹介する一文が載っていました。
 
 
その昔、「日本酒ならお銚子5、6本。ウィスキーならボトル半分は飲めるよ」と演じていた彼は、今、僕の目の前ですごい演出をし、すごい演技をしている。そんな彼も、もう学生生活を終えようとしている。彼に出会うことのできた人々はとても幸せだと思う。なぜなら、彼を越える人間にはもう会えないと思うから。なぜって、それは彼がすごいひと、いやものすごいひとだから。*7
 
 
今のメンバーではない、他の部員にとってもこれだけ大きな存在だった森崎さん、すごい人間力だと思います。誰もがもったいない、と思っていたでしょう。あれだけ演劇が好きで、演劇研究会を革新した男が、芝居を辞めて、大好きな北海道を去るのです。それを最終日の本番前に知ったメンバー。ショックだったと思います。
 
 
 
公演が終わった打ち上げでは、「なぜ辞めるんだ」と怒るメンバーもいたようです。そんな中、人との別れが大嫌いな後のエースはもう大変。
 
 
森崎:それで、その日の打ち上げで大泉が泣くわけよ。すごい号泣してて、まぁ酔っぱらってたんだと思うんだけど、その時に「辞めないでくれよー」ってすごい言ってたの。俺ね、なんとなくそれが嬉しかったの。辞めると言った俺の後ろ髪を引っ張る奴がいると思ってね。すごい泣いてたもん。
大泉:それはもう、ものすごい覚えてる。俺にしてみればね、俺が次期会長になるっているのは決まってたんだけど、俺のこの性格だから働かないわけだよ(笑)。いっぺんにいなくなられて、もうどうしようもなかったのを覚えてる。そんで二次会かなんかでもうビービー泣いたの。泣き虫やさんだからね。人との別れとかが極力弱いタイプだから、もうだめだった。
森崎:まぁ、悪態ばっかりついてるやつがねぇ、もうわんわん泣いてて…ちょっとめんこかったんだね。*8
 
 
可愛いー!!!本当に可愛い後輩です、大泉さん。この時にタイムスリップして抱きしめてあげたいくらい。いやだ、辞めないでと駄々っ子のように泣いた大泉さん。そんな大泉さんの涙に森崎さんは決心が揺らぐのを必死で堪えていました。
 
 
 
しかし、ここで思わぬトラブルが起きます。卒業したら演劇を辞めて東京に行くと言っていた森崎さんは、元々決まっていたイナダ組の公演が最後だとしていました。しかし、そのお芝居が「脚本が間に合わない」という理由でまさかのキャンセルになってしまいます。
 
 
 
そんな!と動揺した森崎さんは、せっかく会場をおさえてあるなら、と奮起してなっくすの旗揚げ解散公演を宣言しました。この時、「なっくす」ではなんだか間抜けだから、最後くらい格好つけようということで「TEAM NACS」という名前が誕生しました。
 
 
森崎:「よし、もう一回やるか!」って。年明け3月に、ちょうどイナダ組が借りてたマリアがキャンセルになったから、「あー、じゃあ俺ちょっと『LETTER』っていう芝居やろうかな」って。「イナダさん、ちょっとスタッフ貸してくれない?」って言って、そこでTEAM NACSというものを初めてやった。「もう一回やろうよ」って言って。だから、ひょっとしたら大泉の涙があったからだったよね。*9
 
 
しかし、前から書いていたイナダさんが「脚本が間に合わないからキャンセルする」と言い出すほど、本番まで差し迫った日程。そこで森崎さんは、演劇に蹴りをつけて東京に行く今の自分の想いと、その自分が面白いと思っていることだけを詰め込んだお芝居『LETTER~変わり続けるベクトルの障壁~』を一気に書き上げます。
 
 
1996年
3月
  • 解散公演
『LETTER~変わり続けるベクトルの障壁~』
3月7日-10日
全6ステージ 1000人動員
ルネッサンス・マリア・テアトロにて
 
 
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役者以外は「イナダ組」のプロデュースをもらいましたが、その分、脚本段階からイナダさんと揉めて、単独公演の難しさを知りました。とにかく時間との戦いでしたが、チラシにあるように最後のお祭りをみんなで必死に創り上げていました。それもこれも、運良く与えられた、5人での最後のチャンスだったから。
 
 
音尾:家に帰って、寝て起きて、稽古をするという毎日を、なぜそうしてまで続けているのかと聞かれても答えることができない。言えることは、ただ、芝居は好きだからということだけだ。そして、自分にとって一区切りとなる芝居であること、最高の仲間と共に作り上げていけることが、やる気を出さずに入られない理由となっている。*10
 
 
いつも下からみんなを見上げてきた末っ子の音尾さんは、この解散公演について人一倍語っている気がします。
 
 
音尾:それはもうすごく誇らしい物だったというのは覚えています。この5人で出来るっていうプレミア感は、すごく興奮の出来るものだったので。僕は、そのときなんとなくそれで終わるとは思っていなくて、また5人で出来る気がすると思っていました。なんか予想として、漠然としたハジマリっていう感じがすごくしてました。
-音尾さんは、この5人のカッコよさ、TEAM NACSの価値ってはっきりと分かってたんですね。
音尾:はい、そうですね*11
 
 
いつも定期公演をしてアンケートに書かれる印象の残る役者は、やはり目立っていたこの5人でした。なっくすという名前もあり、彼ら自身5人組という意識が高まっており、他の客演があっても「5人での最後」という想いが強かったようです。
 
 
もちろん森崎さんにとっても大事な大事な最後のお芝居。最後に演劇への情熱を出し切ってから、東京でサラリーマンになろうとしていました。
 
 
森崎:「舞台に上がるのはこれが最後です」昨年12月24日、『DOOR』千秋楽、カーテンコールで300名を前に僕は宣言しました。…ごめんなさい。あれ、うそです。僕は確実に分岐点を越え、新しく準備された道の一歩手前にいる。今回の決断は4つの理由によるものだ。一つは、友と呼ぶ後輩たちが、僕の宣言を罵倒したこと。そして、彼らと一緒にやるチャンスがもう一度だけあったこと。さらに、前公演の満足への裏切り。最後に、更なる挑戦。今回このような機会を与えられたことを本当にありがたく思います。新しい世界でも頑張っていけそうです。腐っても森崎。*12
 
 
戸次さん曰く台本が上がったのは、仕込みの日の最中だったそうです。最初は、あらまぁ本当に時間がなかったんだねえと思っただけだったのですが、後になって森崎さんが大きな決意を持って、少し遅れて台本を皆に渡したことを知りました。
 
 
 
『LETTER』というお芝居は、主演の安田さんと、友達4人の話。しかしその友達は、自分が選択しなかった道を歩む、妄想の自分でした。小学生の時に勇気を出して学級委員長に立候補していた自分、中学生の時に先輩のしごきに耐えてサッカーを続けていた自分、高校生の時に父親の家庭内暴力に腹を立てて家を飛び出していた自分、大学生の時に留年しても諦めずに続けていた自分。
 
 
そんな妄想の友達は、なんとか安田さんに妄想の中から出て現実を見てもらおうと、手紙というキーワードを軸に「あなたの場所に還りなさい」と何度も何度もループさせます。そして気付いた安田さんは、妄想の自分という友達に感謝をし、前へ進む決意をします。
 
 
森崎:ほんとは芝居をやめて東京へ行こうとしてた自分から、芝居を続けていたかもしれない自分へ手紙を書きたかったんだ。だからほんとは安田(主人公)が選ばなかった道の自分が書いた手紙をラストで読むはずだったんだけど、本番でカットしたの。その手紙の文章が完成したのが本番当日だったから(笑)。だから本番では「親愛なる、私が一番大好きな私へ」という部分だけを使ったのね。俺はこの時NACSはこれで最後だ、これで辞めるんだ、と思っていたから、こういうメッセージが書けたんだよね。これも若さだな。今はそう思ってても「俺お前らが大好きだよ!」って言えないもん。*13
 
 
森崎さんが書いた手紙には何が書かれていたのでしょうか。思い出、感謝、未練、決意…。起用されなかったので知る術はありませんが、全ての思いが詰まった「親愛なる、私が一番大好きな私へ」というセリフが私は大好きです。自分の一番の味方は自分。そして、上記の10年後のコメントで、この「私」というのは、「NACS」でもあったのだと感じました。もちろん自分自身という意味が大きいでしょうが、自分自身は「NACS」でもあったから「俺自分が大好きだよ!」ではなく「俺お前らが大好きだよ!」と置き換えたのかなぁと。(※個人的な意見です)
 
 
さらに音尾さんは風邪をひいていて、初日に38度の熱がある中幕があき、本番中だけは汗をかくので熱が下がっていくのを実感したとか。ちなみにこの風邪、私は戸次さんからもらった風邪だと密かに思っています。
 
 
戸次:ほんとに「寝る」~「稽古」~「寝る」…の繰り返しだったわけさ。いやあ~、きつかたね。体力的に限界で、風邪はひくわ、金はねえわで。*14
 
 
パンフレットにさらっと書いてあるけど、あなたがうつしたんじゃないですか?戸次さん(笑)。音尾さんはよくメンバーの風邪をもらっている印象があります。大泉さんがお腹が痛くてどうしてもラジオを欠席した次の週、「僕もお腹ゆるいんだよね〜」と呑気に言った音尾さん。「熱出てねえか?それ完璧風邪だぞ」と経験者・大泉さんに言われて「あっ…この間ちょっと熱出た…」とようやく気づくという(笑)。
 
 
そんなトラブルばかりのお芝居でしたが、今振り返ってもメンバーにとって思い入れがあるというか、自分自身もお客さんもとっても楽しんだお芝居だったようで。
 
 
大泉:とにかく勢いがあった。客も満杯に入れて酸欠になったりとか。あの芝居を超える笑い声は聞いたことないな。自分自身も舞台の袖、上で笑ってた。面白かった。*15
安田:昔のことは美化されるものですけど、この作品は僕の中で特に美化されていまして、あんなにウケた芝居はない、と記憶しています。地鳴りのように笑いが起きていました。*16
 
 
そんな『LETTER』は上記のように何度もループして、5人が座っている同じ場面からまた始まります。その際に毎回ある森崎さんのセリフが痛々しくて。「んー、なんか違う」という比喩があるんです。
 
 
森崎:卒業はしたいけど芝居もやりたいんだよ。だけどこれ以上芝居を続けたら俺は大学7年生になってしまうんだよ。だけどもう少しやりたい気持ちがあるのも確かなんだよ、どうしようんー、んーだよ!
4人:卒業しろよ!
森崎:就職やっとこさ決まったんだけど、それでも卒業がまだ危ない俺、んー、んー
4人:今年もかい!
森崎:今回が最後の舞台ですとか言っておきながら、まだやってる俺、んー、んー
4人:なんなんだよ!
森崎:去年の診断書を偽造してまで追試を受けたんだけど、それでも卒業が危ない、んー、んー
4人:犯罪だよ!
森崎:来週卒業発表なんだけど、それでも関係なくのんきにこんなとこで芝居なんかやってる俺、んー、んー
4人:真面目に生きろよ!


芝居をやりたいのに諦めるために4人に叱咤してもらってるようなセリフで、特に1回目と3回目が思いっきり引きつった顔で痛々しい…。
 
 
安田さんも、最後に「みんな、ありがとう」と言うシーンがありまして。「これで解散するはずだったから本気で言ったけど、結局あっさり続けることになって損した」なんて後々言っていますが、ちょっと目が潤んでいるようで、初見の時には私も泣きそうになってしまいました。
 
 
そんな『LETTER』のラストシーンから挨拶までの部分を文字起こししてみます。初期の頃はいつも本名がそのまま役名となっていました。
 
 
安田:ありがとう、会えて良かったよ
音尾:お互い様だよ

森崎:俺だって分岐点の度に違う道を選択した自分を妄想に抱くんだよ

戸次:安田、みんなそうだって

大泉:君に会えてよかった。また今度ゆっくり話をしよう

安田:そうだ、手紙、届いたか?

森崎:あぁ、届いたよ

戸次:俺も

大泉:俺も

音尾:俺も、届いたよ

全員:親愛なる、私が一番大好きな私へ*17

 

 
 
音楽がなって照明が強く白み、光の中で何やら5人が楽しそうに笑いながら話している。ふいに安田さんが立ち上がって先に去って行き、残る4人も去っていく。こうして舞台は幕を閉じました。最後だと思って物事を全力でやっている人の姿というのは、物凄いパワーと切なさと儚さがあります。
 
 
この『LETTER』というお芝居が私は大好きで。東京進出前までのお芝居の中では一番好きな作品です。特に、サブタイトルはその時その時のNACSを象徴しているものだと言いますが、『LETTER』における『変わり続けるベクトルの障壁』は、現在もTEAM NACSを象徴しているように思えます。
 
 
森崎:失い続ける、探し続ける、いろいろ続けてますね(笑)。個々にはその時その時の自分たちのスタンスを投影してるつもりなんです。自分たちを見失っちゃいけない、という意味で逆説的に”失い続ける”と使ってみたり。*18
 
 
かつて『ハナタレナックス』でも、『変わり続けるベクトルの障壁』を用いてスタッフが森崎さんにこう問いかけ、森崎さんはこう答えました。
 
 
北海道を活動の中心にすることを決めた森崎。今では某番組をきっかけに、農業タレントととして講演を依頼されたりと、俳優業以外の仕事も増えている。東京進出をきっかけに変わり始めた5人のベクトル。森崎以外のメンバーが俳優としての拠点を東京に置く今、TEAM NACSのリーダーとして、関係性の変化を不安に思うことはないのだろうか?*19
 
森崎:俺は、北海道であいつらに「おかえり」って言うんだって、決めたの。*20
 
 
北海道からも芝居からも自分から離れた大学生は、16年後、外で戦う大学時代の仲間のために北海道でいつでも手を広げてどっしり構えています。
 
 
 
そんなことを微塵も想像していなかった引退時の森崎さんは、最後のカーテンコールで、頭を掻きむしって、終わった達成感と名残惜しさが入り交じる表情でお客さんの前に立っていました。
 
 
森崎:えー、どうもありがとうございます。最終日、こんなに沢山の人に来てもらって、びっくりするあまりです。集計が出まして、334人の方に本日見ていただいたということで…(拍手)ありがとうございます。こんなに沢山の皆さんに見て頂いて、役者一同感激しております。我々、TEAM NACSは3日前に旗揚げしました。…今日解散です(笑)。4日間でしたが、札幌の演劇界の一員として、皆さんにこうやってお芝居を見せることができて、本当に良かったです。こういう機会を与えていただいたことに本当に心から深く感謝を致します。*21
 
 
「えー、話は変わりますが、」と客演の方々のこの先にある他の公演を告知します。自分はその頃には東京にいる、芝居から離れているんだろうなと思っているように感じました。しかも終わった開放感からか、カミカミで声が裏返ってばかりで(笑)。
 
 
森崎:千秋楽につき、役者紹介を致します。TEAM NACS!*22
 
 
と前に出てくる4人、一列に並んだ5人の姿は、贔屓目でしょうが、やっぱり華があるように見えます。
 
 
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↑センターの森崎さんを挟んで左がFANTAN、右がマッスルコンビ。当時から安定してます。
 
森崎:音尾琢真安田顕佐藤重幸大泉洋……森崎です(笑)
(大きな拍手)
森崎:ありがとうございました。本当にありがとうございます。TEAM NACS、今日をもって解散します!本日はどうも、ありがとうございました!
5人:ありがとうございました!*23
 
 
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1996年3月10日、北海学園大学で出会い、共に2年間芝居をしながら過ごしてきたTEAM NACSは解散しました。森崎博之安田顕は就職して別々の道へ、残された後輩、戸次重幸、大泉洋音尾琢真も二人のように大学を卒業して就職をするーーーはずでした。
 
 
 
いやー、なんていうか、今までの学生時代が爆笑の連続ゆえに、切なくて劇的なお別れです。今こうやって一緒にやっていると分かっていても、なんだか胸が締め付けられる、解散という響き。
 
 
 
次回は就職先で芝居への想いと葛藤する先輩二人と、呑気に学生生活を送る後輩3人のおバカエピソードという対比をお届けすることになるでしょう(笑)。しかし、再結成までのエピソードは個人的に運命としか言いようのない出来事で溢れていて、神様が森崎さんを後押ししたとしか思えない…。しばしお待ちを~!
 
 
 
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*1:会報2006年2月号および『TEAM NACS TEN』より

*2:ハナタレナックス』2012年6月14日放送

*3:『Cut』2009年4月号

*4:ハナタレナックス』2012年6月14日放送

*5:CUE HISTORY MUSEUMより

*6:会報2006年2月号および『TEAM NACS TEN』より

*7:『DOOR』パンフレットより

*8:会報2006年2月号および『TEAM NACS TEN』より

*9:会報2006年2月号および『TEAM NACS TEN』より

*10:『LETTER』パンフレットより

*11:『Cut』2009年4月号

*12:『LETTER』パンフレットより

*13:『TEAM NACS TEN』

*14:『LETTER』パンフレットより

*15:『LOOSER』パンフレットより

*16:『papyrus2009年4月号より

*17:『LETTER~変わり続けるベクトルの障壁』より

*18:『APPEALING』2007年1月24日号

*19:ハナタレナックス』2012年5月17日放送

*20:ハナタレナックス』2012年5月17日放送

*21:『LETTER〜変わり続けるベクトルの障壁』より

*22:『LETTER〜変わり続けるベクトルの障壁』より

*23:『LETTER〜変わり続けるベクトルの障壁』より