北海学園大学演劇研究会まとめ~解散までの前編・伝説の旭川旅行~
- 森崎・安田、4年生に進級。(森崎さんは在籍6年目)
- 戸次、3年生に進級。
- 大泉・音尾、2年生に進級。
- 劇団イナダ組第10回公演「NO FUN」
- 文化系サークル対抗ソフトボール大会
森崎:彼の頭が矢印になったんですよね。三角に。
大泉:髪まだビッチャビチャなんですよ?ビッチャビチャなのに、「はいできました」て言うんですよ。ビッチャビチャだからそりゃ真っ直ぐなんですよ。で、「はい、まっすぐですね」「あ、ですねぇ」つって、リーダーと「ありがとうございましたぁ」って出たんですよ。で、ビッチャビチャの髪がだんだん乾いていったんです。で、乾くに従ってまっすぐだった髪の毛がじわじわ巻きを戻し始めまして、下だけ膨らんできて矢印みたくなったんです。
戸次:その格好で稽古場に現れて、大泉さんがとにかく上を指してるから*2
- 演研サマキャン
- エリアコードドラマ011『テレビ局物語 今にみてろ!』
森崎:そうだ、1年生の子たちを俺とシゲとでキャンプに連れて行ったことがあったな。
戸次:行った!いや~いい思い出があるじゃないかモリキャン!
森崎:とにかく俺とシゲで張り切って車2台で「楽しむぞお前ら」って、支笏湖に。俺ら二人が張り切って後輩たちが「はいはいはい」ってついてくるみたいな(笑)
戸次:どうやら、あんまり楽しくなかったみたい(笑)。あとで聞いたら「なんか先輩二人が行こう行こうって言うから行ったんです」みたいな(笑)。
森崎:例年だと1年生は地方公演で交流を深めるんだけど、この時は新入生が多すぎて行けなかったのね。それがかわいそうだったから「もてなしてやろうよ」って行ったんだけど。*4
戸次:窓開けたくらいじゃ暑さ解消されないのよ。そこで俺の武器シーブリーズ。後輩連中にシーブリーズ渡して「いいか?暑くなったら顔や腕にシーブリーズ塗れ!そいつが気化するとき気化熱でお前らの体は冷える!」って(笑)。「戸次さんだめですすぐ暑くなります!」「バカ!暑くなったらまたすぐ塗れ!」って。自分エアコンっていうのをやってましたけどね。
音尾:すごいですね。THE・大学の先輩って感じだなぁ*5
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ソニー・アンティノスレコードの笠井一二が手掛けたプロジェクトであり、地方局のエリア限定で放送するという希少性や地域密着性をセールスポイントとし、ソニー・アンティノスレコード所属アーティストの楽曲を主題歌に使うという狙いのもとに作られた。表題の数字(011、025、098等)は、その番組を放送する放送局の本社所属地方自治体(市)の電話番号市外局番にちなんでいる。*6
大泉:初めてのテレビの仕事、といってもアルバイトだったんだけどね。当時HTBで「エリアコードドラマ」っていう深夜のドラマを作ってたの。東京の俳優さんが出てて、いろいろな作品が放送されたんです。で、その番組から当時所属していた北海学園大学の演劇研究会に「アルバイトとして出演してくれる方、誰かいませんか?」って話がきて、僕とモリと当時の後輩でアルバイトに行った。それが一番最初じゃないかなぁ。僕が出た回はテレビ局を舞台にしたお話で、B-21のヒロミさんと中村繁之さんが出てましたね。*7
大泉:HTBに行ったらいきなり(本物の)ディレクターさんに「は~い、じゃあ皆さん一人一芸考えて~」って言われた(笑)。あげくのはてには「は~い、皆さん掃除してくださ~い!1分でやろう!はい、スタート!」って、スタジオの掃除とか片付けまでやらされた(笑)。「何でオレらが片付けんのよ!?」って思いながら(笑)。*8
大泉:そんで、「一芸考えなきゃいけない、どうしよう!」って考えて…僕はただただ、乳首に目を描き、乳首をクマさんの顔に見立てて、「乳首が喋ります」というネタをやった(笑)。乳首を出して「やぁ!こんにちわ!」とかなんとか言いながら、乳首を振るわせて喋らせたの(笑)。「エントリーナンバー2番!乳首がしゃべります!」みたいな (笑)。ドラマの設定としては素人の芸が最悪につまらなくて、「どうすんだよこの企画!」ってヒロミさんが中村繁之さんに怒る…っていうシーンだったん だけど、あまりにも僕の芸がくだらないもんだから、思わずヒロミさんが吹出しちゃったんだね。で、NGになってた(笑)。でもその時は嬉しかったなぁ。「わぁ、ヒロミさんが笑ってくれた」と思ってねぇ(笑)。*9
普段一緒にいる5人が「プライベートでどこまで遊べるのか」というところからはじまった。*10
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森崎:「芦別のお地蔵さん見に行くか」なんて言ってよ。行ったけど途中でやめて深川の山ん中に入ってきたべや。したっけ俺も見たことない、初めて見る深川の夜景を山の上から見た時に俺たち5人一台の車ん中でよ、ちょっと感動したじゃん!
音尾:恥ずかしい(笑)
森崎:一切街灯がなくてよぉ、でも白い服着たおばあちゃんとかが横にいてよぉ、「こえー!」なんて言いながら山登っていってだ。下りの時に初めて見た光がその深川のバン!っていうきれいな夜景でそれで「俺たち一生一緒にやっていこう」って言ったべや!*14
安田君の荷物が増えているのだ。何やら弁当箱のような、袋に包まれた何かを持っている。しかしそれはよく見ると、パンツにくるまれた『人間昆虫記』だったのだ。そう、彼はちゃっかりサウナの短パンを履いてきていたのだ。そしてそれを知り悔しがったのがシゲだった。「そんな短パンあったの!」彼はその存在すら知らなかった。*15
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安田:仲の良い友達とだったらなんだって楽しいやね*17
*3:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』パンフレットより
*4:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より
*5:『NACS GOTTA ME!』2002年10月5日放送より
*7:CUE HISTORY MUSEUMより
*8:CUE HISTORY MUSEUMより
*9:CUE HISTORY MUSEUMより
*10:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』特典映像より
*11:『アフタースクール』札幌舞台挨拶より
*12:『NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より
*14:『NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より
*15:『大泉エッセイ』より
*16:『NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より
*17:『NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送
北海学園大学演劇研究会まとめ〜キャンプにバンドに初舞台〜
大泉:あの頃シゲは貧乏だったなー。私もだったが、シゲはひどかった。二人でヤキソバ弁当作って、少しでも麺の量を増やそうとしてお互いお湯捨てなかったもんなー。ちょっとでも相手より増やそうとして。結局お湯を捨てた時にはほとんどお湯なくて、食べたら麺が口の中で溶けたもんなー。 *2
安田:彼は非常に料理が大好きで。出会った頃に先輩の家で料理をしてくれたんですよ。じゃがいもを千切りにしてサッと軽く炒めたものを作ってくれて、それがとても美味しかったんですよね。*3
戸次:安田先輩は作る時も盛り上げてくれるから、裸エプロンで作ってくれるんだよ。「先輩パンツ履いてください!」「大丈夫大丈夫、風邪はひかないよ」「いや先輩そうじゃなくて!」って。
大泉:俺覚えてんのが、安田がダブラー作ってくれて、「さぁみんなで食べな、あぁ~!」ってこぼしたんだよ*7
- 演研サマーキャンプ
- なっくすバンド結成
戸次:2台で移動してて、オレが前を走ってたの。で、信号待ちになって。
森崎:なんか格好良かったのさ。「いいからオレについて来い!」とか言って。俺らが後ろになって「なんかあいつ格好いいな。ムカつくな」「これどうだ、ぶつけるか」ってなって、そしたら大泉が「うん。いいよぶつけて」って(笑)。それで信号待ちの後ろからガン!って
戸次:信じられなかったもん!え!?って思って後ろ見たら、ケラッケラ笑ってんの(笑)!「ギャーッチャッチャチャ!!」って笑ってんのが見えんの!もう怒るより先に「え!?何でこの人たちオレにぶつけて笑ってんだろう?」っていう信じられない気持ち。
森崎:ぶつけるったってコツンぐらいだよ?
戸次:でもしっかり壊れてたんだよ!?びっくりしたよぉ。
森崎:うそぉ。イメージ的には傷がついたっていうか、記念の印ができたぐらいな(笑)。
戸次:ヒドイよねぇ。でもどうやら罪に意識はないらしいってわかってさ、オレもあんまり怒るのもなって。
森崎:「ぶつけたらびっくりするね、あいつ!」なんつってぶつけたらホントにびっくりしてるから。いつもシゲって期待以上のリアクションをくれるじゃない、それが嬉しくてね~。
戸次:そんなこと褒められてもしょうがない!*11
安田:「モリのテーマ」とかやったでしょ。
全員:もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫
戸次:エンドレスですよこれ。
大泉:そんでモリが自分のタイミングで「んー!グッド・もーりんぐ!いやー!いいなぁー!」って言うんだよ。ジャイアンみたいだったからね当時。*12
- 北海学園大学「十月祭」にて「D.O.A」上演。
- 劇団イナダ組第9回公演「TAKEDA2」
- 劇団イナダ組に入団。
音尾:もしかしたらリーダーはずっと前からいて、第一線で演劇研究会のメンバーとは違うところで活動してきたから日の目を見ないっていう印象になってるのかもしれませんけど、後輩の目から見たらピッカピカでしたよ。*14
稲田:森崎が「まだうちの演劇部に面白い人間がいるので、 1度男だけの芝居を作ってくれませんか」とお願いされた。そして大泉と音尾を紹介された。 (中略) 夏の終わりから稽古を始めた。大学で芝居をやっていたとはいえほとんど素人に近かった。基礎的な稽古が長く続いた。ダンスの稽古などもした。年が明けても公演の目処はたたなかった。来る日も来る日も稽古が続いた。その稽古は約半年以上。準備期間も含めると8ヶ月以上公演に至るまでかかったと思う。そして 1本の芝居が出来上がった。その芝居が『 NO FUN』である。 *15
- 北海学園大学演劇研究会第41回定期公演
おかげ様で、今年は5名の新入部員をもうけることができました。春には演劇の”え”の字も知らなかった連中が、8ヶ月経った今ではこうして舞台に立っているのです。2、3年生なんかはアイツらのほうがいい役だとヤキモチを焼いて僕を苦笑させています。入部理由を尋ねても「ただ、なんとなく…」としか言えなかった連中は、今では演劇を続ける理由を聞かれた時ハッキリと答えることが出来るのでしょうか。みんな「個性」と呼ばれるものはそれぞれ持ち合わせていますが、不器用で憎めない連中です。*16
サブタイトルの「立ち続けることは苦しいから」というのを見つけて、「これって第三舞台のパクリ?」とか言う人には、微笑みながら否定して、そしてギクリとします。*17
劇団の主宰者としての鴻上は「演劇で食っていける劇団」を標榜し劇団員のテレビなどの出演にも積極的に取り組み、岩谷の後を埋めた筧利夫、勝村政信が人気を博すようになっていく。*18
「何となくいいと思うけど、でも話の筋はよくわからない」と言われると「うるせえバカそんなの考えないで早く台詞覚えろ」と思いながら丁寧に話の流れを説明してあげます。*19
音尾:昔は、やっぱりリーダーが圧倒的に大先輩で力を持っていて、彼に従うことが第一でしたけれども、その中でも大泉とかは、自分の個性を発揮して『ここをこうしたほうが笑えるよ』っていうことを積極的に言ってましたし。そういうことが積み重なって、だんだん5人イーブンのもの作り体制が出来上がっていったんじゃないかと思いますけどね。*20
*2:OFFICE CUE リレーエッセイより
*3:『Cut』2008年5月号
*10:『NACS GOTTA ME!』2002年10月15日放送
*11:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より
*13:TEAM NACS OFFICIAL SITEより
*14:『Cut』2009年4月号
*15:劇団イナダ組HPより
*16:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より
*17:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より
*19:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より
*20:『Cut』2009年4月号
*21:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
北海学園大学演劇研究会まとめ~エースとの最悪の出会い~
- 1994年
森崎:ホント言えばね、僕は会えてなかったわけですよ、彼には。
大泉:2歳年が違って、俺が2浪してるから、ストレートで行くなら俺が入ってる時にはもうリーダーは卒業してなきゃいけない。
森崎:でも俺は待ったね。大泉を待った。
大泉:(笑)。
森崎:大泉と音尾が入ってきた時に、俺は「このための留年だったか」と思いましたよ。「父ちゃん母ちゃんゴメン。学費を多く払わせてしまったけど、でも俺、出会いがあったよ!」っていうふうに今は思うよ
大泉:アレなんじゃない?孫悟空が岩に閉じ込められてさ、何千年後に来る三蔵法師を待ってるみたいな。
森崎:…お前が三蔵なの(笑)?
大泉:三蔵法師が助けに来たんだ
ねえ(笑)。*1
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森崎:俺は当時5年生。去年までの演劇研究会をよく知ってるし、なんなら去年までは俺が会長だったでしょ。自分で作り育ててきたっていう思いもある。そんな俺が「新入生は何人くらい入ったのかな?」って思って「地下4」の重い扉をがらっと開けた時の光景だよ!「何だこの光景!?」と思ったね(笑)。「おいっお前!あれなんだ!?ウチの新入生か!?」と。「音研さんかもしれない」と思ったんだけど、よくよく聞いてみたら「新入部員です」って言うから。
大泉:静かに言われた覚えがあるよ。「そのスリッパはまずいなぁ。それは脱げ」みたいな。あきらかにこう、やっぱり「何だお前…生意気な態度じゃないか」っていう感じがして、あぁ、ついに怒られたっていう感じがした。
森崎:なぜ他の連中が誰も怒んなかったんだってことに怒ってたね、俺は。
大泉:誰も言えないような…誰も俺に近づくなっていうオーラを出してたんだろうね、俺は。当時音尾くんが「狼だ!」と言ってたくらいで(笑)。「なぜいつも彼はこんなにギラギラした目なんだ?」って。*2
大泉:演劇に対してはやっぱり、中学・高校と観てきた「つまらない」ってイメージがあったから。そしたら、思ってたとおりのことを始めようとするわけだよね、発声だなんだって。「やっぱりだよこの人達」っていう嫌なイメージばっかりだった。そして本当に音尾はイカさなかったね(笑)!
森崎:(笑)イカさなかったね~。
大泉:もちろん俺もしぬほどイカさなかったけど、音尾くんのイカさない顔ぶりって言ったらホントないんだよ。もちろん目も離れてて。音尾を見た時に「やっぱりこういう人が入ってくるんだな」って(笑)。音尾がすごくまたオレの演劇熱を冷めさせたね。
森崎:ひどいなぁ(笑)。*3
大泉:僕、大学時代に初めて会った時に「安田さんていい声してますね」って言ったの。
安田:僕覚えてます!覚えてます!一番最初にあなたが僕に言ってくれたことは、「安田先輩って、いい声してますね」でした。「そんなことないよ」って僕は言って、君の腹筋を押した思い出がありますよ。
大泉:(笑)
安田:「いい声になりたいかい?」といいながら、こう(笑)
大泉:そんな恥ずかしい話はいいですよ(笑)*4
安田:僕はね、最初から、すごいおもしろいヤツだと思ってて。最初に大泉が演劇研究会に入ってきたとき、ドアの横に傘立てがあってね。それに蹴つまずいて傘を倒したんですよ。その拾い方とか、微妙な間とかがおもしろくてね。*5
たとえば、新入生がコピーを取りに行かされたりするじゃないですか。僕は絶対に自分からは行かなかった。周りもなんとなく頼みづらいから、やっぱり音尾とかがすぐに行かされる。同学年のやつからは「なんであいつは行かないんだ」って言われたりもして、居づらくなって部室に顔を出さなくなりましたね。*6
大泉:「安田っていう変態がいる」って話は、僕が演劇研究会に入った頃から聞いていたんですよ。でも実際に会ってみたら、そこそこ二枚目で良い声で物静かな人でしょ。「なぜこの人が?」と、不思議に思ってた。そしたら彼、初めての飲み会、新入生歓迎コンパでパンツになって、何回目かの飲み会でついに全部脱いだんだよね。オレ、人前で全部脱いだ人を初めて見てさ。その時オレの中で自分の中でタブーが起きたというか。「出す人ってほんとうにいるんだ」と*7
戸次:最初に新入生で大泉が演劇研究会に入ってきたときは、ぶっちゃけ、早く辞めてくんないかなと思ってて。
安田:ぶっちゃけましたね(笑)。
戸次:とにかくあいつ、自分を出さなかったんだよね。まぁ彼も、2浪して大学入って色んな思いがあったんだろうけど、それがバリバリ出てたもんだから、とっつきにくくて。今じゃ考えられないけど、「おもしろくないヤツだな」と思ってた。 それで俺、「大泉ってどうなんだ」みたいな話を安田先輩にしたんだ。
安田:言ってたね、覚えてる。
戸次:安田先輩は見る目があったと思うんだけど、「いや、それは違う。すごいヤツが入ってきたぞ」と。*8
森崎:で、安田の言葉を聞いて「おお、音尾かい?」って言ったら「いや違う、大泉くんだよ」って。「何で?」って言ったら「傘立てを倒したんだよ、彼が。その時の顔がね…僕は何かを感じたなぁー」って、安田が熱く語るわけだよ、ウチで酒を飲みながら。俺は全くその面白さはわからなかったけど(笑)。*9
森崎:俺はその時音尾が面白いと思ってたんだ。高校も一緒だって聞いて、すごく可愛がってた。一緒にご飯とか食べに行って。今ではアイツ全く覚えてないらしいんだけどさ(笑)。*10
大泉:ほんとうによく覚えているのは、モリのギターだなぁ。なんとなく仲良くなり始めたのは…zo-3(ギター)?
森崎:あぁ、アンプついたエレキ。
大泉:なぜか部室に歌本がいっぱいあったんだよね、その歌本をめくりながら「次なに唄う~?」って、ギターをガンガンかき鳴らして次々唄っていってるのを見ながら「なんとなく楽しいかな?」って思い始めたんだよ。
森崎:『カラオケボックス・モリ』っていう遊びでね。やっぱり1年生はなかなか話せないわけだよ。だから話せない子の所に寄って行って、「よし、次はお前なに唄う?」って言って、1曲一緒に歌ったりとか。ホントのカラオケボックスに行く金なんかないから。*12
森崎:僕、カラオケボックスに行く金がなかったんで、よく部室でギターを弾いていたんですね。なんとなくそれは彼も遠目に見ててずいぶんと楽しそうだなと思ってたらしいんです。で、ある時「よし、大泉くんも一緒に歌おう!」って歌本をパラパラ開いて、尾崎豊か何かを私がギターを鳴らして彼が歌ってくれるっていうことをやって。何かそういったところからどんどん仲良くなっていって「面白いね、君」っていうことになって。*13
戸次:たまたま彼と一緒に小道具を作ることになり、ヤツと話すようになったのね。そしたら「戸次さん、『カリオストロの城』観ました?」って、自分が好きなシーンを再現し始めて。それが、庭師が「なんて気持ちのいい連中だろう」っていうシーンでさ。オレは「うわ、そこに目をつけるか」とグイグイ引き込まれたんだ。それから、得意のものまねも披露してくれるようになり、僕はすっかり彼のファンになってしまって。*14
思えば私とシゲは大学では先輩後輩だった。シゲが2年の時私が1年。ところがある時シゲは言ったね。「俺の基準は生まれた年だから、俺には敬語使わなくていいよ」・・・泣けたね。
(中略)
正直お互いの第一印象は最悪だった。私は私で「なんかシャラーっとしてて気 に入らねーなー」って感じだったし、シゲは演研になじもうとしない私がキライだった。それ以来かなー、私の彼を見る目が少し変わったのは。
(中略)
シゲが私を認めた瞬間は何となくわかる。どんな流れかは忘れたが、私が『ルパン三世カリオストロの城』の最後のシーン、銭形警部とクラリスとおじいさんのシーンをものまねした時じゃないかなー。 庭師のおじいさんの台詞「何と気持ちのいい連中じゃろ」で彼は僕を認め、その後『ビバリーヒルズコップ』のエディーマーフィーで・・・というか吹き替えの下条アトムでもう僕のとりこになっていた。シゲにはよく家まで送ってもらったなー。そのつど何かものまねをしてシゲにガソリン代替わりの爆笑を払っていたものだ。*16
大泉:ある時グラウンドで誰かがすごい勢いでバク転してるんですよ。最後は伸身で一回転して見事に着地して、おおっ!すごい!と見たら、それがなんと音尾だった。あの離れ目、意外とすごいぞって見直したり(笑)。*18
大泉:当時さ、俺は安田のケツに火をつけさせられて(笑)。「俺が今から(屁で)ライターの火を大きくする!」って言われて、ケツの前で火を持たされてたと思うと、やっぱり逆らえなかったのかなと(笑)。
森崎:今なら絶対やらないね…(笑)
大泉:「はいっ!お願いしますっ!」って確か音尾と2人ですげー嬉しそうに持ってた(笑)。そしたら結局、大きくなるどころか風で火が消えたんだよ。「き、消えました!安田先輩!」って(笑)。*19
- 6月
音尾:地方公演とか行くようになったじゃない?その中で自然と5人一緒にいたじゃない。たしかリーダー風邪引いたことあるよね、地方公演中に。
森崎:うん、すごい風邪引いた。
音尾:ものすごい風邪を引いて寝込んで。その時「ひどい男だなー」と思った覚えがあるの。リーダーが「あぁ。ポカリが飲みたい。とにかく、なんか飲ましてくれ、アイス買ってきてくれ」って言うから「じゃー俺買ってきます!」って買いに行って、戻って来たら他にもさらにまた頼まれて、「じゃそれも、行ってきます!」って行って、戻ってきたっけ「いやー、お前は犬だな!なんでも言えばやるのかお前は。犬か!?」って。
森崎:そんなひどい!
音尾:いや、言ったの言ったの。
森崎:犬は言った!お前が「ワオーン!」と言ったのも覚えてる。たしかに。
音尾:なんかひどいこと言うわーと思ったら、シゲがフォローしてくれたのも覚えてる。「いやでもね、森崎さん病気してるから、気を遣って森崎さんのためにやってくれたんじゃないっすかー。犬はないっすよー森崎さーん」って。
森崎:そんなカンジ悪い感じだった?
音尾:そう。あれ?リーダーの中では違ったの?
森崎:楽しく遊んでるつもりだった(笑)。レクリエーション気分だったんだけど。*21
大泉:地方公演で小学校を廻るじゃない。その時にちっちゃな安い旅館に泊まるわけ。楽しくみんなで飯を食うわけだよ。その頃にはもう僕は馴染んでるし、すっかり可愛い後輩になってるたから。で、安田は当時、OOPARTSの劇団員で、モリとシゲはイナダ組。そしたらさ、飯を食い終わった後に…安田って今でもそうだけど少食なんだよね。食い終わったらスーッと部屋へ上がって行っちゃうんだよ。「やっぱOOPARTSはおしゃれだよね」って(笑)。劇団のカラーが、やっぱりさ、OOPARTSはおしゃれだったし、イナダ組は泥臭かったんだよ。「やっぱおしゃれだよね〜。OOPARTSなんか食ったらすぐ帰っちゃうよねー」とか言って。で、イナダ組のシゲとモリはいつまでも食ってんだよ(笑)。ずーっと食ってて、まぁ今思えばやっぱり、俺と音尾がその二人を盛り上げてた感はある。「いやー、食ってますねぇ、イナダさんは〜」って言って。それでモリとシゲにそれぞれ俺と音尾がつくのね。付き人みたいに。で、競い合うようにみんなの残ったものを持っていくんだよ。他の音研とかが残した食いもんとか持ってきて、「先生エビがございました!」とか言って(笑)。「んー!ご苦労!!」ってその残ったのを片っ端から食ってくっていう遊びをやってたね。
森崎:その時からあったよ、そういうシチュエーションコント的なね、俺らでいうエチュード的なものが。それが面白いからとにかく食ってたな。水でも遊んだよね?
大泉:その時俺はモリについてた、付き人みたいな役だったから。そんで、モリが「大泉くん、水だ!」っていうから俺が「いかほど!?」って聞くと「こぼれるほどに!」って言うんだわ(笑)。「はっ!!」と言ってなみなみとついでくる。なみなみついで、「どうぞ!」って言ったらモリがそれをもの凄い勢いで、ほとんどこぼしながら飲む(笑)。っていうのを毎日やってたからな。
森崎:毎日やってたな〜。*22
森崎:めちゃめちゃ可愛がってた。で、その地演だったね。「あんたたちは「なっくす」だ」って言われたの。こいつらが1年で入ってきて、俺らととにかくそんな遊びをしてね。飯を食い終わった後は、ミーティングをしている隣の部屋で遊んでた。
大泉:5人が一つの部屋に集まってね。そんでもうとにかく俺がやみくもにいろんな先輩の悪口を言っていくわけ(笑)。ただただ悪態ついて、この人達はゲラゲラ笑いながら、俺に枕投げて怒ってるだけだった。「失礼だろ、お前!」って(笑)。その怒られるのがまた可笑しくて、もういろんな先輩をおちょくって遊んでたんだね。それで一気に仲良くなっていった覚えがあるな〜。*23
安田:とにかく、貶し上手なんですよ。ひどい誹謗中傷を僕に浴びせるんですけど、それが死ぬほど笑えるんです。全くムカつかない。もう、ゲッタゲタ笑いますね。しかも彼は、ちゃんと相手を見てそういうことを言いますからね。本当に嫌いな人間や弱ってる相手に対しては、絶対にそういうことは言わない。だから彼から誹謗中傷されてるうちは、僕自身も元気なんだなぁって思えるんですよ。そういう意味では僕、彼に対してはちょっとしたマゾですね。何か言われるたびに、ゾクゾクゾクッ!「来た、来た、来たぁっ!」って思いますもんね(笑)。*24
戸次:昔よく大泉が言ってた、「大抵のやつは俺にダメージを与える悪口を言えない。だけどお前らは唯一、俺にダメージを与える悪口を言える。だから俺はお前らと付き合ってんだ」って。悪口っていうのはつまり罵倒ってことで。「面白く罵倒できるやつは周りには誰もいないからお前らと付き合ってる。で、俺はそれに負けないように自分を高めていかなきゃいけない」って。*25
森崎:そんなことを毎日やってるうちに、当時の会長に「いいから。あの5人は演劇研究会じゃないんだ。あいつらはなっくすだから」って(笑)。それが、本当に始まり。
大泉:演劇研究会のドアに『なっくす』って書いてあったんだよ。なっくすって何なんだろう?って思ってたら、それはそもそも前の年に決めた演研の愛称だったんだけど、恥ずかしくて誰も使えないんだね、そんな格好悪い名前ね(笑)。その格好悪い名前を俺たちにつけて、「あー、あれ演劇研究会じゃないから。なっくすだから」って言ってみんなでゲラゲラ笑ってた。*26
- 4月上旬
- 4月中旬
- 4月下旬
- 5月上旬
- 5月中旬
- 6月中旬
- 6月下旬
森崎:僕、彼とよく散歩するじゃないですか。
音尾:やってますね、散歩部。
森崎:あいつ、歩きながら1時間でも2時間でもしゃべってるんだ。でもそうやって話してると、ナックスはこのままだったら揺るがない、大丈夫だなって実感できる。非常に心強いですよ。*29
*1:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*2:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*3:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*5:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*7:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*8:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*9:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*10:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*12:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*13:『Cut』2008年5月号
*14:『下荒井兄弟の、スプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*15:会報2004年6月号
*16:CREATIVE OFFICE CUE リレーエッセイより
*17:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より
*19:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*21:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より
*22:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*23:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*24:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより
*25:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より
*26:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より
*27:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより
*29:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
夢のジャニーズ学園~新学期によくある名前の順の席構成~
- 横列の関係性
- 一番前
- 二列目
- 三列目
- 四列目
- 縦列
- 一列目
- 二列目
- 三列目
- 四列目
- 五列目
- 六列目
- 休み時間&お昼&教室移動
あー、楽しかった!
北海学園大学演劇研究会まとめ~きら星の挫折と世界の弟~
大泉さん、現在の姿を見れば分かるように、根っからのお調子者で、子供の頃から割りとクラス、或いは学年の中心にいるような人でした。まず小学校の頃に落語にハマるという時点でTHE・大泉洋が形成されていきます。
家族旅行に行く車の中で母親が落語を聞いていたのがきっかけで落語にハマる。柳亭痴楽「ラブレター」、春風亭柳昇「課長の犬」「寄り合い酒」は暗記してしまうほど聞きこむ。周りの子はファミコンやガンダムに熱中していたが、全く興味がなく友達とおしゃべりするのが生きがいという一風変った少年であった。授業中も毎日おしゃべりし過ぎで、とうとう先生に喉仏のところにガムテープを貼られる始末。*1
見事に期待を裏切らない大泉少年ですが、その前にお母さん、家族旅行のお供に落語って(笑)。落語においてはどちらかというと柳亭痴楽さん(4代目)の方に影響を受けたのでは?と思います。名作「ラブレター」における話し方が、「水曜どうでしょう」で様々なキャラクターを演じたベースになっているように感じます。完全に個人的な印象ですが。
そんな大泉さんは小学5年生の時に転校という経験をします。有名ですが、これがまた面白い話で。故恒三おじいさんと同居することになって江別から札幌へ引っ越しが決まったのですが、人気者の大泉さんが盛大なお別れ会をして帰宅すると、恒彦お父さんから「転校が延びたぞ!」と報告。お別れ会の次の日に登校するというなんともいたたまれない経験をします(笑)。結局「嘘つきじゃないか大泉!」と、オオカミ少年的な扱いのまま転校へと至ってしまいます。かわいそうに…。
はじめのうちは新しい学校になかなかなじめなかったが、得意の田中角栄、寅さんのモノマネでじわじわと友達を増やしていく。そして一泊校外学習の時初めて人前でネタを披露し、一躍スターになり、それと同時に「洋ちゃんブーム」を巻き起こす。*2
絶対に話を盛っているとは思いますが(笑)、そもそもクラスの中であまり目立たない子が校外学習でみんなの前で出し物をするということは滅多にないことで、モノマネで友達を増やし始めた時にはある程度の人気はあったと思います。校外学習でやったネタというのは、同級生と三人でファッション研究家のコントというもので、漫才というよりかはやはり演じることに通じるものだったのではないでしょうか。*3
この頃から遅刻ぐせがはじまり、登校の迎えに来た友人を玄関で何分も待たせる。しかし、祖父(故恒三さん)がラジオを玄関先に持って行き、待っている友人たちに聞かせてフォローしていたという涙ぐましいエピソードも。*4
本当に、大泉家って素敵ですよね。とにかく人を楽しませようとする意識は、ご家庭で培われたのではないかと思います。口達者なお母様に、イタズラ好きのお父様、芸術センスのあるお祖父様。見事に大泉さんに遺伝しています。
中学校の入学式で、スキーで骨折したため松葉杖をついて参加し、母に支えられながら退場した際に何故か拍手喝采になってしまった*5というエピソードも天性のコメディアンぶりを象徴しており、安田さんとは正反対の子供時代。昔から人を自然と笑わせる対象だった大泉さんですが、密かにコンプレックスを持っていました。
それは7歳年上のお兄さん。少し年の離れたお兄さんですが、これがまた成績優秀。大泉さんのご両親は教師をなさっているので、見事に受け継いだお兄さんだと感じます。札幌の進学校・札幌北高校から早稲田大学に入学したお兄さんを見て育った大泉さんは、自分も東京の大学に行くのだと流れで感じていたようですが、知らず知らずのうちにそれがプレッシャーになっていたようです。しかし、決して仲が悪い兄弟ではありません。
兄弟というと、僕には思い出す景色があります。よく子供の頃、暗くなるまで近所の公園で遊んでいると、ボロボロのジャージを着た兄貴が、「洋、ごはんだぞ」と迎えに来てくれました。夕焼けの中、ポケットに手をつっこみながら、めんどくさそうに僕を迎えに来る兄貴。その風景が、子供の頃の記憶として残っているのです。*6
それ相応の、年の離れた男兄弟の微妙な距離感。女の私には少し羨ましいくらいです。最初に大泉さんを知った時、あまりの奔放さに大泉さんは絶対に一人っ子だと思っていた私ですが(ごめんよ洋ちゃん)、可愛い弟だったようです。
「平成6年2月10日。洋くん、北海学園大学入学試験。午後4時頃帰宅し、午後6時頃すぐに東京の大学受験のため出発。」
「3月23日。大泉洋くん、大学入試失敗。
洋くんは本年二浪しているので、希望校に入るべく、北大他、東京の六大学などの大学及び北海学園大学など10校ぐらいに挑戦したが、誠に残念ながら、力不足と言おうか、不運と言おうか、ついに北海学園大学のみで残りは全部失敗した。誠に情けない次第である。本人は無論、両親も情けないと思ったことであろう。仙台軍はユミコが一浪し、看護の福祉関係の私大へ入学。コウタロウくんは仙台で体育関係に有名な育英高校に入学し、まずまず一安心というところだ。札幌軍は惨敗した。結局、洋くんは北海学園大学に入学することだろう。」*8
洋くん惨敗(笑)。後から振り返ると大泉さん本人も笑いながら話していますが、当時は人生最大の一大事。大泉さんは途端に全てを投げ出すようになってしまいます。
人生で初めての挫折感と屈辱感を体験。来る日も来る日も部屋から一歩も出ず、しまいには大雨の日、家から傘も持たずに飛び出し風邪をこじらせて死んでやろうとするが、悲しいかな、こじらせるまでには至らなかった。登校はするものの、同じクラスにいるのは年下ばかりで全く馴染もうとせず、自分で壁を作っていた。そんなことではいけないと、入学から2ヶ月ぐらい経った時、サークル活動をしようと決断。落語研究会に入ろうと思ったが存在しなかったので、少々興味のあった芝居をやろうと演劇研究会に入部する。本人曰く、受動的人間がこれまでの人生の中で後にも先にもこれが能動的になった唯一の出来事だったという。(この時既に、森崎、安田、戸次が先輩、音尾も入部していたので、本来ならばNACS5番だったのではという説もある)*9
親の勧めで6年間水泳をやるはめに。本人はあまり気乗りしないで水泳教室に通っていたが、大会では素晴らしい成績をおさめていた。
- 小学校時代
- 中学校時代
水泳生活から解放され、特になんの部活をすることもなく、のほほーんとした3年を過ごす。
- 高校時代
高校の終わりくらいに「役者になりたい」という気持ちが芽生える。しかしながら目指していたのはなんとミュージカル役者!東京の芸大に行こうとしたが、親の反対もあり、演劇研究会のある北海学園大学へ。すぐさま演劇研究会の門をくぐる。*11
実は大阪芸大に合格して行く予定だったんですけど、「学費を払えないからダメだ」と親の猛烈な反対があり、行かせてもらえませんでした。*12
東京と大阪どっちなの音尾さんー!これはもう本人に聞くしかないと思いますが、個人的には大阪芸大が本当かな?と思っています。CUE HISTORY MUSEUMの方はインタビュー形式で、会報の方はスタッフがまとめた生い立ちという感じなので、大阪芸大の方が本当なのではないかと踏んでいます。
- 1994年
音尾:爽やかすぎたよね。僕は、新入生の時の部紹介で戸次さんを初めて見たんですよ。ステージに当時の会長とイケメンがひとり立ってて、それが戸次さんだった。僕、正直それまで演劇部ってものに、あんまりいいイメージがなくてね。
大泉:なかったよね、あの頃。
音尾:中学や高校の演劇部って、美男美女が集うような華やかなイメージってなかったでしょ。だから大学でもそうかと思ってたんだけど、戸次さんを見て、「こんな爽やかな人がいるなら、入ってもいいかも」と思ったんですよ。
大泉:じゃあ、戸次さんのおかげで今があると言ってもいいくらいだ。
音尾:そうですね。まあ、安田さんでも大丈夫だったけど、森崎さんだとちょっと…。*13
音尾:発声練習を教えてもらっている時に、バーンと大会議室の扉が力強く開いて、「あーえーいーうー!」と、すごい声を出しながら入ってきた人がいたの。青いジャージを着て。*14
森崎:そしてその夜、君を飲みに連れて行ったと記憶しています。ただ、他に一緒にいくというやつが5講目があって、俺達はもう4時前から待ってるんだけど、そいつの講義が終わるのが6時くらいになて…まぁ、俺はそれシゲだったと思ってるんだよね。安田とシゲだったと思ってるんだけど、それを待ってたんだ。で、待っている間にきみとあと山下っていう男と、3人でトランプをした記憶がある。負けた奴は1枚脱いでいくって決まりをつくって。
音尾:あー、それは覚えがあります!
森崎:で、まずお前は、入部早々パンツ一丁にさせられた(笑)
音尾:それって、入部そうそうだっけ?
森崎:だと思ってる。俺はね。俺はあんまり負けないんだけど、まず負けてズボン脱いで、2回め負けた時にパンツを脱いだんだよな。そん時にお前がものすごく喜んだのを覚えている。
音尾:「まず、ズボンからすか!」って喜んだ気がする。
森崎:だからその時、なにか感じたんだろうね、俺も。「ハッ…こいつは…」っていう(笑)。「俺がパンツを脱いだ時にこいつは指を差して笑った!引いてない!」っていうものを感じたんだろうな。*15
また、この頃安田さんは順調にOOPARTSの舞台に立っていましたが、4月に「HOMO-SAPIENS」という公演で必死に覚えたダンスのあとに舞台から飛び降りて捻挫してしまったそうです。
安田:OOPARTSという鈴井貴之さんがやってた劇団があるんですけれども。
(中略)そこでの舞台でねえ、ファクトリーホールでやったんですよ。もう何年前でしょうねえ?1994年とかだから、もうずいぶん前ですねえ。10年くらい前でしょうかね?踊りながら人に持ち上げられて、その2階ぐらいの高さから落とされるっていう役をやったんですね。
僕必死にやってたんですけど、今考えるとスポットライトも何も浴びてなくて、誰も僕が落ちたことは分からなかったんだけど(笑)。元々その設定上落ちるっていう設定だったんですけれども、下にクッションかなんかあるのかな?って。何も無いんですねえ。「段ボールをとにかくバーッと並べとくから、そこ目がけて落ちてください」って言われたんですよ。
でも私の場合やはり天才ですから、もちろん段ボールなんかは落ちないワケですね。段ボールとちょっとずれたところにガタッと落ちましてね、捻挫をしたままやったとかね。*16
今後もたっぷり甘えていきたいですけど…ただ待って、お兄ちゃん達。僕はお兄ちゃん達に甘えていくけれども、「最強の弟」になるよ、と。「最強の弟」として使ってちょうだい、ということですね。今後の展望は「最強の弟」で!*17
*1:会報2004年6月号より
*2:会報2004年6月号より
*3:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』特典DVD「NACS CAMP2004」
*4:会報2004年6月号より
*5:会報2004年6月号より
*6:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*7:TBS『ぴったんこカンカン』2012年12月14日放送
*8:AIR-G’『GOLGOLGO』2001年8月17日放送
*9:会報2004年6月号より
*10:会報2002年9月号より
*11:会報2002年9月号より
*12:CUE HISTORY MUSEUMより
*13:『下荒井兄弟の、スプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*14:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より
*15:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より
*16:AIR-G'『GOLGOLGO』2003年8月1日放送
*17:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより
北海学園大学演劇研究会まとめ~可愛い後輩シゲと憧れの先輩二人~
さて、前回からスタートした北海学園大学演劇研究会のまとめ。今回は役者になろうと意気込んで入ってくる、新入部員・戸次重幸さん編です。
戸次さんは2008年1月1日から名字を「戸次」という芸名にしましたが、それまではずっと本名の「佐藤」で活動していました。NACSをあまり知らない方が読んでくださっている場合、名前がいくつも出てくるとごっちゃになってしまうと思うので、当時のインタビュー等で「佐藤」と書かれているものや呼ばれているものは、すべて「戸次」に変えさせていただきました。逆にわかりにくかったらすいません。
まず、戸次さんは安田さんと同い年ですが、一年浪人しているため、安田さんの一学年下の後輩ということになります。しかし、その浪人中に戸次さんは役者を志すのです。
高校時代、「格好いいと思ったから」という理由で弓道部に入部。高3の時には個人で全道大会まで進みましたが、一方でかなりのオタクだった戸次さん。
テーブルトーク型のRPGにはまり、自分でせこせこ作ったフィギュアを使っていた。アニメの他に「ドラクエ」がきっかけで、SFもの、推理ものの小説を読みふける毎日。相当に暗かったらしい。当然のごとく女の子には無縁で、いつも「一生童貞だろうな」と諦めきっていた。*1
今やナックスの二大イケメンと言われている安田さんと戸次さんですが、戸次さんの中学時代のあだ名は「のび太」。二人共暗くて話しかけにくいというか、自ら壁を作っているというか。元々の素材が良かったのが救いです。
個人的に、ジャニーズで育ったのでイケメンはもちろん好きですが、TEAM NACSは格好よければ格好よいほど笑えてくる特殊な集団だと再認識しました。格好いいのを生業としていないからか、なぜかこういう写真を見ると笑ってしまう。
戸次さんはオタク活動の影響で大学受験に失敗。浪人生活を送ることになってしまいますが、彼にとっての転機となる出来事が2つ。
まずひとつは、中二の時からずっと好きだった女の子に、ついに告白して撃沈したことです。別の高校に行ったけれどずっと好きだった女の子。近所に住んでいたため、電話で呼び出して告白をしましたが、あっさり振られました。そこで戸次さんは「なんだよ!振られるならもっと早く言って、早く振られれば次に進めたのに!」と思ったそうです。*2
しかし、この出来事はいささか遅かったかもしれませんが、戸次さんを前に進めてくれました。
1992年。ついに自分改革に目覚める。メガネからコンタクトに変え、タバコをおぼえ、メンズノンノでファッション勉強を始める。その甲斐あってか、すぐに彼女ができる。*3
会報なのに、ハタチになってない年にタバコをおぼえって書いちゃうんだね(笑)!いやぁ、すっかり垢抜けました、戸次さん。そして戸次さんにはもうひとつの大事な転機が。
テレビでやっていたブルーリボン賞の授賞式でイッセー尾形さんの一人芝居を見たことがきっかけで「演劇がやりたい!」と思ったそうです。これは有名な話ですが、戸次さんのが発言が少々疑問。
浪人中ということは1993年2月のブルーリボン賞の授賞式のはずなのですが、この年のブルーリボン賞でイッセー尾形さんの受賞はなし。ノミネートまで範囲を広げるとデータを探せなかったので分かりませんが…。そして、戸次さんが言う「タクシーを待つ人」という名前のイッセーさんのお芝居はなく、おそらく「ヘイタクシー」のことだと思われます。酔っ払ったサラリーマンが帰りのタクシーを捕まえようとするもなかなか捕まらず、寒いからビルとビルの隙間に入ったら抜けなくなってしまったという話。
イッセー尾形 -ヘイタクシー part 1/2- - YouTube
イッセー尾形 -ヘイタクシー part 2/2- - YouTube
衝撃的な出会いに一気に芝居へのボルテージが高まり、いろいろな劇団の舞台を見始める。大学受験を辞めて芝居の道に進もうとするが、母の説得により大学だけは出ておこうと決める。*4
2月ってあんたがっつり入試の時期じゃないの!そりゃお母さん泣いて止めるわ!そしてはっきりした性格の戸次さんはお母さんの言葉に「それもそうだな!とりあえず大学は出ておこう!」と思い、地元の北海学園大学に入学します。
- 1993年
4月
戸次重幸、北海学園大学工学部入部。
森崎、3年生に進級(在籍4年目)。テレビ初出演。
安田、2年生に進級。テレビ初出演。OFFICE CUEに所属。
実は戸次さんの在籍していた工学部は、他の4人が通っていた豊平キャンパスとは別の、山鼻キャンパスに通うのですが、1年生のみ豊平キャンパスで授業を受けていました。演劇研究会があった文科系部室棟(通称:文化棟)も豊平キャンパス。
彼は豊平キャンパスに入り浸っていた影響で留年しまくったのではないかと思いますが、元々頭が悪い人ではないので、音尾さんの卒業まではいようかな、なんて考えもあったように思います。
安田:僕が覚えているのは、シゲがよく部室でギターを弾いてたことかな。あと、ドライヤーかけてる姿。
森崎:ドライヤー、かけてたね!
大泉:髪、いっつも決まってましたからね。こんな大きなスプレーを持ってて。
音尾:VO5ね。
森崎:そうだ(笑)。あいつがきてから、ものすごい部室がスプレー臭くなってさ(笑)。でも、シゲは基本的に爽やかだったよね。俺は大学時代、こんなにかわいい後輩はいないと思ったね。シゲってすごい気がつくし、動くし、何でも一生懸命じゃない。すごくいい子だなと思って。
大泉:それが今や、シゲに爽やかなイメージなんて……。
全員:まったくないね。
森崎:いつからか「うっとうしい」に変わったよね。
大泉:学生時代は、ここまでではなかったと思うんだけど。
森崎:仕事で食えるようになってからかな?
音尾:そうでもない。貧乏なときも、それはそれでうっとうしかった。
安田:でもね、他の現場での彼は違うんですよ。今、一緒に仕事してる役者さんが、ある仕事で戸次くんと一緒だったんだけど、彼が「いやー、戸次くんは大人だね」と。
全員:ほお~~。
安田:っていうことだから、ナックスに対して気を許しているというか、身内だと思ってるんじゃないですか。
大泉:言ってますよね。「とにかく、ナックスがいる現場は楽しい」と。「だろうな」と、我々も見てて思いますけど。
音尾:たぶん、決して仲良くなりすぎてはいけない人だったんでしょうね。
森崎:なるほど、心を許しすぎたね(笑)*6
それはそれでうっとうしかったって、音尾さんひどい(笑)。楽しいことが周囲に手に取るように伝わっているのに、楽しい!と伝えようとする戸次さんは本当に素直な人です。戸次さん曰く、反論としてVO5はダイエースプレーがないときに使っていたもので、基本的にはダイエースプレーだったそうです。どうでもいいですけど(笑)。
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新入生の戸次さんは迷わず演劇研究会の門を叩きます。森崎さんは、この年は無事に進級できたようで3年生になっていましたが、在籍年数では4年生と同じ為、森崎さんが演劇研究会の会長となりました。しかし、前回のエントリーのように他の部員たちとはうまく行かず、安田さんが潤滑油の日々。
入学早々、演劇研究会に入部。先輩に森崎、安田がいた。それぞれ既にイナダ組、OOPARTSに参加していた。役者としてのフィールドを広げるため、森崎の紹介でイナダ組に参加。*7
演劇がやりたい!と入部してきた戸次さんにとって、他の社会人劇団に入って演劇をやっている森崎先輩と安田先輩は憧れの先輩でした。
前回のエントリーでも話しましたが、後に現事務所の社長・会長となる鈴井さんが主催していた劇団OOPARTSに、安田さんは森崎さんの身代わりとして差し出されました。身代わりとはいえ、安田さんは進んでOOPARTSに入ることを決めました。札幌にあった劇場でNACSもよく芝居をしていた『ルネッサンス・マリアテアトロ』という劇場、実は1993年当時『本多小劇場』という名前だったそうです。東京のあの有名な本多劇場との関係はよく分かりませんが、そこでは『本多小劇場遊戯祭』という札幌のいろいろな劇団が集まった演劇フェスティバルをやっていたそうです。当時、棚卸しのバイトをしていた安田さんは同じバイト仲間にOOPARTSの制作をやっている人がおり、その方からチケットを買い、OOPARTSのお芝居を観劇したことがありました。
そのお芝居を見て「そうか。お芝居ってこんなことが出来るんだ」っていうのを感じたわけです。で、それからたまたまお誘いの話があったので「それはもう是非是非!」と答えました。本当に最初に感銘を受けたお芝居、それが社長の主催するOOPARTSのお芝居だったんです。*8
まだお芝居を始めたばかりの安田さんにはとても衝撃だったようです。そして鈴井さんに気に入られた安田さんは、鈴井さんが立ち上げたばかりであった芸能事務所・CRIATIVE OFFICE CUEにタレントとして所属することになります。鈴井さんといえば『水曜どうでしょう』のイメージから大泉さんと長い付き合いであるというイメージもありますが、TEAM NACSの中で一番の古株は安田さん。捉え方を変えると、5人が出会う前から事務所に所属していた人がいて、でも友達から関係は始まって、結成したからといって他の全員が同時に事務所に所属した訳ではなく、バラバラというとても珍しいグループです。
そんな鈴井さんが企画・出演していたHTBの番組『週刊NANだCANだ』に、2年生に進級したばかりの安田さんは出演。初めてテレビに出ました。これは戸次さんから見れば憧れの的でしょう。そしてとにかくこの頃、戸次さんは森崎先輩が大好きで、かなり感化されていきます。
森崎:かなり変えていこうとしたからねぇ。
戸次:だからやっぱり尊敬しましたよ。リーダーの「公演を打つ」っていうことへの考え方を。例えば「チケットノルマ」の考え方。ノルマを”課す”っていう風にしてたから、リーダーは。1人30枚だっけ?50枚だっけ?やっぱりきついわけですよ。お金がない、自分の友達に買ってくれっていうのは。
森崎:チケット500円だったけどね(笑)
戸次:それでもただでさえ敷居の高い演劇だったから、普通に考えたらやっぱり本当に仲の良い友達2、3人にしか売れない。だけどそうじゃだめだ、と。1回公演を打つっていうことはそれをビジネスにしなきゃいけない。それでオレも定期公演の時に頑張ってノルマ売ってましたね。オレ、やっぱりそれは大事なことだったと思う。リーダーが持ってきた意識、社会人劇団からウチの研究会に持ってきてくれた意識っていうのはすごく大事なものだったと思うし、それがあったからNACSが多くの人に見てもらえるようになった、ていうか結成に至ったていうのは絶対言い過ぎじゃない。*9
すげー熱く語ってる、戸次さん。前のエントリーでふと書いた、演劇に対する考え方が似ているから5人組になった、というのはあながち間違っていないのかもしれません。
森崎:これ言ったことないかもしれないけど、究極の弟気質が入ってきたなって思ったの。TEAM NACSって5人いるけど、オレ以外の4人ってみんな実際に「弟」なんだよ。実のお兄ちゃんかお姉ちゃんが必ずいる。オレだけお兄ちゃんで、オレにしてみりゃ「ズルいな4人はー!」っていうことがよくあったりしたんだけど。
戸次:そりゃそうだ。今でもそう(笑)
森崎:当時は安田が骨組みをしっかり守ってくれてたから、シゲの存在がすっごい弟に感じて。「世の中にはこんなに甘えた子がいるんだ!」って思ってた。そしたらその1年後に、音尾ってのが入ってきてね(笑)。
戸次:これがオレを超えた!
森崎:上には上がいるんだなぁ(笑)。音尾っていうのは本当に世界の弟だと思うな。音尾が入ってくるまではシゲがすごい「弟」という…もちろん後輩としてめんこい(かわいい)っていうのもあるけども、「気ままですねぇ」「その日を生きてるよねぇ」って思ってた。*10
森崎さんは戸次さんを、可愛い後輩だけど、もはや可愛い弟として見てたってのが可愛い(可愛いの乱用)。「世界の弟」っていう音尾さんへの名言も出ちゃってますが(笑)、「世の中にはこんなに甘えた子がいるんだ!」と思った子と、その時に骨組みをしっかり守ってくれていた子は同い年なんだよ森崎さん…!森崎さんは絶対に真ん中三人を同い年と捉えてない。そんな森崎さんは、すぐに戸次さんをイナダ組へと連れて行きます。
↑当時の、森崎さんが大好きすぎる戸次さん。出会ってすぐここまで仲良くなるものなのか、人ってのは。なんかやっぱりちょっとそっちの気があるんじゃないかと思われても仕方ないと思う、この写真(笑)。
森崎さんの考え方に感化されていたのは、戸次さんだけではありません。当時戸次さんの先輩とはいえ、まだ入部半年にもならず、しかし森崎さんの右腕であった安田さん。直接隣で学びながら、彼は行動でも思考でも森崎さんに付いて行っていました。
森崎:「チケットを売らなきゃダメだよ」「ノルマを課さなきゃだめだよ」って言っている中で一番苦労したのはやっぱり安田顕だった訳ですよ。安田顕がそのときチケット管理をしてて、今で言う”制作”ていう仕事を全部やってくれてたの。
安田:やりかたもわかんないし、こういう性格だからさ、あんまりできなかったんだけど(笑)。
森崎:当時ぼくはそういうことを全部安田さんに押し付けちゃってて。
安田:なんか「森崎さーん!」っていう慕う気持ちがあったんだよ、当時はね…いや、今ももちろんあるけど(笑)。例えるとね、森崎さんは遠くにいるのさ。遠くの岸辺から「なぁぁぁぁああーっ!!」って叫んでる(笑)。それをシゲとかぼくとかが反対側の岸からこう、渋々見てるんだよね(笑)。で「あれ?たぶん誰かいないとこれ、岸にたどり着かんぞあの人」みたいな感じで、かなり離れてる向こう岸まで一生懸命漕いでいった…そういう感じじゃないかな。ほとんどの人がやっぱり傍観してたと思うよ。*11
そして同じ志を持った三人は、夜な夜な飲み明かし、演劇研究会を変えよう!と語り合っていました。着実にTEAM NACS結成へと向かうトライアングル体制ができていきます。
森崎:でもやっぱりあまりクセがなくって、メインを張れる役者さんだなっていうのは当時みんな第一印象から思ってた。で、「こっち来い」って戸次くんを牽引した。
戸次:牽引?
森崎:安田と一緒に引っ張った。「あいつこっちに引き込め」って言って(笑)。
戸次:ところじゃ飲み会じゃ安田さんが誘ってもオレは行かないわけですよ(笑)。単純に飲み会が面倒くさくなっちゃって。ガンガン飲むでしょ?楽しい時もあったんですけど、なんか面倒くさくなっちゃって。大学生=酒飲むっていうのはオレは嫌で嫌でしょうがなくて。話が飛んじゃうけど、リーダーとかヤスケンがいなくなってオレが一番上の学年になったときは「あのね、お酒は味わって飲もう!」って言ったの(笑)。「イッキとかやめよう!もったいないじゃん!」ってイッキをやめさせました(笑)。*12
このシゲちゃんすごい共感する~!私お酒好きなんですけど、味わって飲むタイプなんで学生のノリの飲み会が好きじゃなかったです。テンション上がって声が大きくなるのはまだ許せるけど、無理やりコール始めてうるさくなるのが最高に苦手でした(笑)。私事で話が逸れましたが、以前ラジオでこんな会話がありました。
安田:シゲに最初に手を差し伸べたのは俺なんだよ。
戸次:なんだよ手を差し伸べたって(笑)
安田:戸次くん、来週の飲み会一緒に行かない?って俺が初めてシゲの家に電話したんだよ。
音尾:新歓コンパに来なかったシゲですよね?*13
聴いた当初は「へぇー、顕さん優しい」としか思ってなかったんですが、それが森崎先輩からの「安田、あいつをこっちに引き込め」という指示のもと動いていたとしたら従順で笑える(笑)。そんな三人が初めて一緒に舞台を踏んだのは、地方公演という、毎年6月に行われる北海学園大学の文科系サークルが地方の生徒数の少ない小中学校に出向き、出し物をする活動での公演。
地方公演は、昭和38年に吹奏楽団を中心とする本学音楽系サークルが、キャラバン隊を編成し、地方の比較的「生の文化」に接することの少ない児童生徒を対象として演奏会を行ったのが始まりです。
この地方公演は、毎年6月に実施され、文化協議会本部・演劇研究会・音楽系サークルからなる50名程度の一団を組織し、一週間程の日程で道内各地を巡回公演し、教育委員会や会場となる小中学校の後援・協力を得ながら、今年度で50回を迎えました。*14
この地方公演(通称・地演)で彼らが好きそうなジャンルの名作映画『ブルースブラザーズ』のような児童劇、『我ら宝島探検隊』というものをやったそうです。主演はなんと、入りたての戸次さん。まだ入部して2ヶ月なのにすごい。そして森崎さんはチビッコがキャーキャー言う中、『ブルースブラザーズ』の格好をして客席から登場して盛り上げる相手役に安田さんを指名。すっかり二人はコンビ扱い。
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安田:地方公演で一緒にブルースブラザーズみたいなことをやったんですよ。
森崎:あ〜、やったやったやった。
安田:彼は、処女作は『CHAIR』じゃなくて、児童劇の『我ら宝島探検隊』っていう作品なんですよ。
森崎:でも封印してますから(笑)。
安田:いいだけ子供達を騒がせた後、「うるさ〜い!」って一喝してたのが森崎さんだ(笑)
森崎:そうだそうだ。シゲが主役で、僕らが悪役。やっぱり地方公演って大きいんだよ。NACSも地方公演で結成したようなもんだし。*15
子供相手に尖ってるなぁ、森崎さん(笑)。可愛いジャイアンみたいな人です。この『我ら宝島探検隊』という森崎さんの処女作の題名、森崎さんだけではなく安田さんも戸次さんも、20年経っても正確に言えるところがなんとなく彼らの好きなところです。
10月
森崎・安田、HTB『モザイクな夜』コーナー企画に出演。
鈴井さんが構成作家として参加していたHTBの深夜番組『モザイクな夜』に二人が出演。おそらく、森崎さんはこの時がテレビデビューでしょう。知っている人も多いでしょうが、この『モザイクな夜』は『水曜どうでしょう』の前身番組。二人の映る放送は見たことがないので分かりませんが、かなり際どい企画ばかりだったため、身体を張ったものだと予想しています。
12月
安田、『Three Stories IV』にてOOPARTS初舞台。
安田さん、OOPARTSに所属して1年近く経って、やっと出演することができました。すでに名前が変わった後のルネッサンス・マリアテアトロでの公演でした。
やはり大泉さん音尾さんが入って5人になってからのほうがエピソードは沢山あり、新入部員・戸次さんネタは尽きましたが、この三人時代は「良くしていこう、良くしていこう」と踏ん張っていた印象ばかりが残ります。しかし、実は今後5人が揃い、活動している現在に向けて大事な出来事が。
演劇研究会の部員を増やすために、演劇研究会という名前を見直し、もっと親しみやすい名前にしようと、愛称を考え始めたのです。おそらく言い出したのは森崎さんで、賛同したのは安田さん戸次さんの二人でしょう(笑)。以前、地演で「甘えん坊のノックス」という役を演じた森崎さん。森崎さんの声が大きすぎるあまり、発音が悪くなって(演劇として本末転倒)、ノックスがナックスに聞こえてしまったのですが、「かわいい感じでいい!」という理由によりひらがなで「なっくす」という愛称を提案しました。
そう、ここで「ナックス」というワードが誕生しているのです!後に芸能活動する名前になるとはとてもじゃないけど思わないきっかけ(笑)。恥ずかしくて誰も使わず、結局「北海学園演劇研究会」のまま翌年の新入生勧誘「サークルガイダンス」へと向かうのですが、そこで入部したのが大泉さんと音尾さん。「なっくす」になっていなくて良かったのかは不明です(笑)。
さてさて、1993年からリーダーを慕い続けてすでに20年以上の戸次さん。彼はとても素直な人間なので、自分の気持ちをストレートに言うことができます。
俺ももちろんナックスのことを愛してるけど、リーダーが一番(ナックスを)愛してる。
解散の危機は正直ありました。でも俺の場合はリーダーの事も考えた。もしいま辞めたらリーダーはどんな思いになるんだろうって。俺の場合は半分以上はそれだね。森崎博之さんという人がいたから続けようと思った。*16
しかしそれは時に、森崎さんとぶつかる原因にもなります。お互いに当時から役者として、友達として本気の関係だからぶつかるわけですが、そんな後輩・戸次さんの姿を一歩引いた場所から一番長く見てきているのは、安田さん。
表面的には誤解されやすい奴だと思うんです。少しキツめの発言を、あっさり口にしたりするもんだから。でも、実際つきあってみると、あんなに無邪気で可愛い人はいない。楽しいことがあると、何も見えなくなるくらいに一人ではしゃいじゃうんですよ。それはもう、周りのテンションが下がっちゃうほどの勢いで(笑)。その姿は本当におもしろいんですよねぇ。だから実のところ、彼が思ってるよりもずっと、僕は彼のことが好きです。*17
戸次さんは、森崎さんにとって可愛い後輩でもあるけれど、安田さんにとっても可愛い後輩でもあるんですね。同い年とはいえ、安田さんにとっては初めて接する後輩でしょうから、とても嬉しい存在だったと思います。頑張って引っ張る森崎さんを一生懸命慕う安田さん戸次さんという三角形の図は、翌年入ってくる天パのやたら面白い男によってガラッと変わります。
次回は、初めての挫折を経験した人気者・大泉洋&ミュージカルスターになりたかった音尾琢真編です。もしかすると大泉編と音尾編に分けるかもしれません。とりあえず第一印象から仲良くなったきっかけまでを描けたらと。そのさらに次に、とにかく5人で楽しく大学生活を謳歌する怒涛の爆笑エピソードを放り込もうかと。もはや箇条書きでも面白いからすごいんですが、頑張ってまとめられたらと思います。しばしお待ちを…
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北海学園大学演劇研究会まとめ~ポジ×ネガのワンツー~ - それってつまり結局は
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北海学園大学演劇研究会の 5人がTEAM NACS に就職した話 その2 - それってつまり結局は
*1:会報2003年9月号より
*2:『NACS GOTTA ME!』2004年6月5日放送
*3:会報2003年9月号より
*4:会報2003年9月号より
*6:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより
*7:会報2003年9月号より
*8:CUE HISTORY MUSEUMより
*9:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より
*10:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より
*11:会報2006年9月号および『TEAM NACS TEN』より
*12:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より
*13:『NACS GOTTA ME!』2002年5月25日放送
*15:会報2006年9月号および『TEAM NACS TEN』より
*16:『ハナタレナックス特別企画 演劇ユニット TEAM NACSの真実』
*17:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより
北海学園大学演劇研究会まとめ~ポジ×ネガのワンツー~
私は幼稚園の時にSMAPを好きになってから、思春期の頃には嵐を好きになったり、周りの子と同じようになんとなくジャニーズを好きになっていくありふれた生活をしていました。
そんな時、彗星の如く現れたのが、面長で天パのとてもイケメンとは言えないよく喋る男だった。
当時、水曜深夜に嵐の番組『Dの嵐』が放送されており、私はそれを毎週録画していました。親があまりテレビに興味のない人だったため、お年玉など自分のお金を貯めて買ったレコーダーは、今では当然のようにある毎週録画機能がついていない物。番組表が出ている限り先の録画予約をいそいそとしていたわけですが、ある時ボタンを押し間違え、日本テレビではなくテレビ埼玉を録画してしまったことがありました。
そして、その当時水曜深夜にテレビ埼玉で放送されていたのが、『水曜どうでしょう』だったのです。
たまたま録画してしまったその回は、あの有名な「一生どうでしょうします」宣言の回で、風邪をひいていて明日も早いのに寝るのを邪魔された男の文句がずっと流れていたのだが、立て板に水とはこのことだ!とそのトークに度肝を抜かれた。彼が舞台役者であることも大きいと思われるが、コメディドラマでも無いのに噛まずに面白いことを面白いテンポで話す人間を初めて見た衝撃は今でも忘れられない。
そして毎週『水曜どうでしょう』も録画するようになり(ありがたいことにリピート放送をしていたので、カブの旅が終わった次の週にサイコロ1が番組表に載っていた時にはとても嬉しかった)、あれよあれよという間に大泉さんだけでなくTEAM NACSにハマっていた。理由は分かっている。5人組だったからだ。SMAP、嵐を好きになった私が大好物の基本データ。
リーダーがリーダーと呼ばれていて、上二人は夫婦のようで、自他共に認める双子みたいな仲良し二人組がいて、みんなからいじられ可愛がられる末っ子がいて。ジャニーズ5人組グループと似ている部分も多い彼らだが、彼らにあって、ジャニーズに無いあることがとても魅力的だった。
それは、芸能活動で出会ったわけではなく、普通の友達から始まり、自分達で仕事仲間になることを選んだということ。
私は友達と仕事をしようと思ったことはまだないし、彼らの友達としてのスタートはハタチ前後の大学時代。小さい頃から一緒だった訳ではないのに、どうやってその絆が生まれたんだろうか。
これはかなり興味深い事だった。とても探究心を引き寄せられる事実。そして確かに垣間見える、仕事仲間ではない親友に戻っているように見える瞬間。
こうしてどんどん彼らのファンになり、詳しく知りたいと思った際にある一点がもどかしいと感じていた。それは情報が少ないということ。
ジャニーズ事務所に所属しているタレントには莫大な数のファンがいて、中には「歩くジャニーズ百科事典では?」と思うほど詳しい人も少なくはない。しかし、TEAM NACSは北海道のローカルタレントだ。いくら全国公演の舞台で7万人を動員しようとも、きたえーるや真駒内アイスアリーナを満席にできようとも、主演映画がヒットしようとも、5人揃うレギュラー番組は北海道でしか放送していなく、私が好きになった2004年当時は多いとは言えないファンも貴重な人材でだった。
ジャニーズの場合、エピソードなどは誰かがまとめてくれるだろうと思っていると誰かがまとめてくれたりするし、自分が好きになったのが遅くとも、好きになる前の若い頃の姿を見る方法は大いにある。しかし、しがないローカルタレントは全てが貴重になってしまうのだ。「あれ、あの話いつのラジオだったっけ」なんて思って検索して見ても出てこないことも沢山ある。
ならば、己を信じて己を百科事典にするしかない。いつ見たってグッとくるエピソードを、いつも見れるようにしたい。 そう思って、この文章をまとめることにした。
かなり前置きが長くなりましたが、いよいよ始めます!映像からの引用は多少言い回しが違うかもしれませんがご容赦を。
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1990年4月
高校時代に物凄く燃えたのが学校祭。その時からリーダーでした。とにかく学祭が好きだったり、あと僕バンドも趣味でやってたんで、準備をして仲間たちと一緒にやれることがいいぞ、と思ってて。そういう意味で考えていくと選択肢の一番最後の方に「あぁ、芝居っつーのもあるなぁ」と思って。で、選択肢の中で考えていくと、「一番総合的にできるのは芝居だなぁ、そういえば昔から学芸会とか好きだったぞ」と思って。じゃあ、やってみようかって*1
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1992年4月
余談として、後に年表で話しますが大泉さんが東京の大学を目指していて、一年目に受かったけれどお兄さんの早稲田を超えたくて浪人二年目を選び、失敗して学園大に入ったことと、戸次さんが大学には行かずに東京に行って芝居をしようとしていたけどお母さんに泣いて止められて渋々地元の学園大に入ったことは有名ですが、(追記)音尾さんは芸大に受かっていたけれど、ご両親の反対で渋々北海学園へ。*3入学理由を聞いたことのない森崎さんは指定校推薦で「あんまり勉強せずに大学生活も楽しめるちょっとレベル下げた大学」に入ろうと思っていたのではないかと思っています。レベル下げたといっても、就職に影響なんて全くしないちゃんとした大学ですし、私的にみんなの出身高校の偏差値を考えるともうちょっといい大学も目指せたはずだと思うので、納得がいきます。(出身高校の偏差値見ちゃう気持ち悪さすいません)それもこれも大学で出会って共に演劇を始める運命だと思っていますし、何より出会う前からみんな同じくらいの偏差値のグループって個人的にちょっと面白い。
戸次:胸まで髪の毛があって、丸い眼鏡をかけて、汚いカーキ色のジャンバーを着て、布テープで『ヤス』ってデッカく書いてある小豆色の紙袋(通称:ヤスバッグ)をどこ行くにも持ち歩いてて、とにかく気持ち悪いんだよ!*4
↑本物のヤスバッグ。『ヤス』の間に破けたの補強してるから『ヤノス』に見えるのがツボです。
↑当時を再現した安田さん。これは気持ち悪い。(失礼)
安田:その時学園祭で、ぼくは焼きそばを焼いていたんですよ。で、隣がちょうど演劇研究会で。すごい楽しそうに団子を売ってたんです。それがすごく明るくてね。「あ、ここちょっと楽しそうだ」と思って演劇研究会に入った。
正直、飽きちゃったら終わりだと思っているんです。だから普段もなるべく別の行動をとっていたほうが、一緒に何かをやるときに楽しいような気がして。(中略)『一緒に暮らしていても、初めて知ることってあるんだね』というようなセリフがあったんです。その感覚がすごく素敵だと思うし、僕自身そういう発見をしていきたいんです*7
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1992年12月
安田顕、演劇研究会に入部。
ついに二学年差(追記情報)2回目の2年生の森崎さんと安田さんが出会います。森崎さんすでに留年済だった(笑)。
安田:「おう、君が安田か」なんて言いながら、どしどし入ってきたのを覚えてますよ。ジーパンの中にシャツを入れて、ジャケット着てね。あの頃は、仲間から「野獣」って呼ばれるくらいエネルギッシュな方でね。それが今じゃすっかり落ち着いてしまって……なにせパソコンのデスクトップが石庭ですからね。
全員:ハハハハ。
音尾:侘び寂びの世界に入っちゃった。
安田:それに趣味は、朝の散歩ですから。
戸次:最近は、食べるもの全部「しょっぱい」って言ってるしね。
大泉:あと、どこに行っても……。
全員:「寒いなー」(笑)。*8
リーダーとしてみんなを引っ張ってきたぶん、大変なことをいっぱい経験して、僕らの倍近く生きてきたと思うんです。だから年齢以上に落ち着いちゃったのかなって。*9
森崎:あいつはもう一枚脱いだから「これは変態だ」と。
全員:ハハハハ。
音尾:じゃあ、先輩が無理やり脱がせて、クセになったとかではなく……。
森崎:もちろん自発的ですよ。だんだん彼の中で自我が芽生えたんでしょうね。「オレはもっと上にいけるぞ」と。そしたら、オレたちが恥ずかしくて脱げなくなっちゃって。
大泉:まあ、そうだろうね。全部出すヤツがいるのに、パンツで終われないよね。
森崎:懐かしいなぁ、あの頃。*10
安田:いや、意外と…周りを緩和する役じゃなかったですか?ぼく。
森崎:誰と喋ってもちゃんとうまく順応してもらえるような感じでしたよね。究極の新入りでしたよ。
安田:こういう言い方はすごく語弊があるけど…当時、森崎さんって同期からイジられる方だったんですよね。なんかトラブルがあると「森崎のせいだ」みたいな感じになっちゃうわけですよ。なぜかね。そういう中でもぼくは、まぁ自分のことを褒めてもあれだけども、その同期の人たちとも仲良くして、森崎さんにも手を差し伸べるっていうかねぇ。
森崎:そう、当時はうまくいかなかったんですよ。ぼくはよその劇団で新しいモノを持ってこようとしてたりして、それでちょっと仲違いがあったりして。でもそんなのを安田さんがすごくフォローしてくれて。「いやー、いい人じゃないっすかー」みたいに振る舞ってくれて、それで見事に調和してくれてたよね。ぼくはもう、そんな顕ちゃんの苦労は全く知らずに「とにかくお前、ウチで酒飲むか?」みたいに、顕ちゃんを毎日ウチに呼んで酒を飲みましたね。
安田:飲みましたなぁ。*11
安田:この10年常に僕はネガティブなことばっかりあなたに言ってきたじゃないですか。でもどうですか?ともに歩んでいるわけでしょ(笑)?あなたはずっとポジティブに頑張っているわけでしょ?そのあなたと一緒に僕はずっとネガティブなことを言って、でも同じ道を歩んで、一緒に階段を上ってるわけじゃないですか。究極のポジネガティブだと思うんですよね。森崎:あ〜〜安田:そうでしょ?森崎:よく分かりませんが…だからともに歩んできたんですかね?ポジとネガで。安田:普通はやれてないでしょ?*12
劇団コンセプトは「ストーリー性のあるドリフターズ」であり、劇団名のOOPARTSとは「アウト・オブ・プレイス・アーティスツ」の略としていたが、これはオーパーツに考古学上の「場違いな工芸品」という意味があることから、そこからもじって「場違いな芸人達」というコンセプトで札幌演劇界に新しい風を送り込んだ。
Wikipediaより。
当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。
(追記情報)2回目の2年生の時、定期公演を観に来ていたイナダ組の人に声をかけられ、『バブリスト』で客演として参加。これまでの演劇概念をみごとに打ち壊され、世界観が変わったと感じた時期であった。*14
新鮮でした。普段、メイクなんかしませんからね。ドーランを塗ったり、スポットライトをどーんと浴びて。すべてが新鮮でした。*15
安田:リーダーですよね、役割は。森崎:はあ、リーダーです。お前は不動のサブリーダーです。*16
*1:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』特典DVD「NACS CAMP2004」
*2:『ハナタレナックス特別企画 演劇ユニット TEAM NACSの真実』
*5:ファンクラブ会報2006年9月号、および『TEAM NACS TEN』より
*6:ラジオ『NACS GOTTA ME!』2004年5月22日放送
*8:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレット
*10:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレット
*11:ファンクラブ会報2006年9月号、および『TEAM NACS TEN』より
*12:ファンクラブ会報2006年9月号、および『TEAM NACS TEN』より
*13:『NACS GOTTA ME!』2002年1月5日放送
*14:会報2003年12月号
*15:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』特典DVD「NACS CAMP2004」