それってつまり結局は

TEAM NACSとジャニーズのブログ。

北海学園大学演劇研究会まとめ~解散までの前編・伝説の旭川旅行~



お待たせしました。いよいよ解散の年になりますが、もちろんその後の再結成の話も書きたいですし、漠然とですが東京公演までの5人の歴史がすごく好きなので、どうしよう、すげー長くなるじゃんと迷いながらいけるところまで行こうと思ってます。言っちゃったよ(笑)!後に引けない!


さて、1995年は5人でいれる最後の学生時代。最後なんだ!と意識していたのかは不明ですが、この年5人は旅行だなんだとかなり思い出を作りまくっています。そのため、1995年は2つのエントリーに分けます。今までも長かったのでそうしろよ!って話ですが(笑)。


そして、前回お仕事関連の話題を入れるのをすっかり忘れていましたので94年の補足を。立ち上がったばかりの事務所「CREATIVE OFFICE CUE」に所属してタレントとしても活動していた安田さん。新千歳空港でアルバイトしていたことが起用につながったのかは不明ですが、オーディションに受かって「白い恋人」のCMに出ていたのです!「千歳空港デュエットしあわせ編」と題されたそのCMは、まさしく女の子とデュエットしているもの。


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「迷いだしたら~キリがないけど~恋だってもう一度しないわけじゃない~」と歌うふたりや、恋人を空港の柱の陰で待つ彼女と、抱きしめ合う二人。見れば一発で分かる、牧瀬里穂さんのJRのCMを意識してる感(笑)。ちなみに安田さんは自分で髪を切って前髪がオン・ザ眉毛になった姿で出演。かなり頑張って明るく振舞っています(笑)。できあがったCMは、もちろんメンバーの大爆笑をかっさらいました。*1


1995年
4月
  • 森崎・安田、4年生に進級。(森崎さんは在籍6年目)
  • 戸次、3年生に進級。
  • 大泉・音尾、2年生に進級。


無事に皆さん進級できました。森崎さんは留年の連続で小学生と同じくらいの期間学んできましたが、ついに卒業へと動き始めます。おそらく、現役入学した唯一の真面目学生・安田さんが留年するとは思えず、なら一緒に卒業しようと思ったのでしょうね。学生時代のエピソードを聞いていると、森崎さんは安田さんが4年生になるまで就職活動をしていたとは思えないので、ついにタイムリミットがやってきた、といった印象だったのではないでしょうか。


そんな5人は、新年度早々、新入学生を対象に勧誘を行う「サークルガイダンス」を担当することになります。思い出づくりに立候補したのか、それともまだ地位の低かった「なっくす」が押し付けられたのかはわかりませんが、文化棟の「大会議室」という場所で爆笑寸劇を上演。そのおかげでなんと16人も新入生が入部しました。大泉さんと音尾さんが入部した1年前は、2人を含め5人の新入部員で、演研全体で30名ほどだったといいますので、これはかなりの快挙です。そのおかげで部内での「なっくす」の地位が上がったそう。


それまで音系サークルの使っていた「地下4」を月曜日と木曜日にだけ間借りしていた状態だった演研ですが、一気に部員が増えたことや、「なっくす」5人のお陰で動員数が増えたことなど実績を作ったことにより、「地下4」ではなく、文化棟の隣にある北海学園会館の9・10番会議室や、「サークルガイダンス」を行った大会議室でも稽古することになります。


6月
  • 劇団イナダ組第10回公演「NO FUN」
2日−4日
森崎・戸次・大泉・音尾 出演
ルネッサンス・マリア・テアトロにて

  • 文化系サークル対抗ソフトボール大会


前回のエントリーで触れましたが、戸次さんが初めて参加した劇団イナダ組の公演で、森崎さんは大泉さんと音尾さんを稲田さんに紹介し、男芝居を作って欲しいとお願いしました。そして稲田さんは「NO FAN」という作品を作りましたが、いかんせん大泉さんと音尾さんには経験が少なく、その作品をするにあたっての技量が足りずにいました。そこで稲田さんは根気よくお芝居の基礎を叩き込み、94年の10月から8ヶ月間の稽古を経てついに上演されました。安田さんは見に行ったでしょうか?


ちなみに、おそらくこの稽古中だと思われるエピソードが一つ。中学一年生の夏休みに宿泊学習から帰ってきたら突然天パになっていたという大泉さん。以降チリチリヘアーで街を歩けば人が振り返るほどの面白ヘアーになってしまいましたが、ついにストパーをかけようと決心して森崎さんと一緒に美容室に行きました。森崎さんは天然ストレートヘアーの持ち主なのでおそらくカットだけでしょうか?そこで思わぬ大事件が起きます。


当時ストレートパーマはまだ技術が進歩していなく、下敷きのような何枚もの板に髪の毛を張ってピンと伸ばした状態を記憶させるというもの。


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↑当時のストレートパーマ


森崎:彼の頭が矢印になったんですよね。三角に。
大泉:髪まだビッチャビチャなんですよ?ビッチャビチャなのに、「はいできました」て言うんですよ。ビッチャビチャだからそりゃ真っ直ぐなんですよ。で、「はい、まっすぐですね」「あ、ですねぇ」つって、リーダーと「ありがとうございましたぁ」って出たんですよ。で、ビッチャビチャの髪がだんだん乾いていったんです。で、乾くに従ってまっすぐだった髪の毛がじわじわ巻きを戻し始めまして、下だけ膨らんできて矢印みたくなったんです。
戸次:その格好で稽古場に現れて、大泉さんがとにかく上を指してるから*2


それを見たメンバーが上を向いて「上に何があんだよ」「いや俺別に指してないから」という遊びをした再現をしていますが、安田さんは初耳のようで爆笑。全員学生時代に安田さんがいない稽古ということなので、おそらくこのイナダ組の稽古のことだと思われます。



そして同じ6月初旬に、北海学園大学では毎年月寒公園で文化系サークル対抗ソフトボール大会というものをやっていまして。もちろん演劇研究会も参加していたのですが、すでに4年生だった安田さんは応援ということで会場へ向かう途中、トラックに引かれそうになってびっくりして脱糞してしまったそう。しかも到着後、後輩たちに背中を押されて代打で出場し三振。散々な一日でした(笑)。*3そのトラックが大型ではなく軽トラックだったということを嘘をついてメンバーに話していたのはよく耳にしますが、他のメンバーがそこにいた話がないので、おそらくイナダ組で忙しい4人に代わって安田さんがひとり参加したのではないかと思っています。6月の5日くらいまでには行っていることなので、本当に時期が本番と丸かぶりですし。


7月
  • 演研サマキャン

  • エリアコードドラマ011『テレビ局物語 今にみてろ!』
森崎・大泉出演


95年もサマキャンの季節がやって来ました。この年は新入生が多かったために地方公演に1年生を連れて行くことができず、かわいそうだということでサマキャンはとある先輩達が新入部員を連れてキャンプに行くという行事に変更されました。


森崎:そうだ、1年生の子たちを俺とシゲとでキャンプに連れて行ったことがあったな。
戸次:行った!いや~いい思い出があるじゃないかモリキャン!
森崎:とにかく俺とシゲで張り切って車2台で「楽しむぞお前ら」って、支笏湖に。俺ら二人が張り切って後輩たちが「はいはいはい」ってついてくるみたいな(笑)
戸次:どうやら、あんまり楽しくなかったみたい(笑)。あとで聞いたら「なんか先輩二人が行こう行こうって言うから行ったんです」みたいな(笑)。
森崎:例年だと1年生は地方公演で交流を深めるんだけど、この時は新入生が多すぎて行けなかったのね。それがかわいそうだったから「もてなしてやろうよ」って行ったんだけど。*4


他の三人は参加しなかったといいます。張り切る森崎先輩と戸次先輩は他の先輩部員数人とともに新入部員を穂別に連れて行ったようですが、例によって戸次さんの車(ギャラン)だけがエアコンが壊れていたようで。


戸次:窓開けたくらいじゃ暑さ解消されないのよ。そこで俺の武器シーブリーズ。後輩連中にシーブリーズ渡して「いいか?暑くなったら顔や腕にシーブリーズ塗れ!そいつが気化するとき気化熱でお前らの体は冷える!」って(笑)。「戸次さんだめですすぐ暑くなります!」「バカ!暑くなったらまたすぐ塗れ!」って。自分エアコンっていうのをやってましたけどね。
音尾:すごいですね。THE・大学の先輩って感じだなぁ*5


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音尾さんの言うように、まさに大学の先輩エピソードって感じがしますね。同じ時期、大泉さんはついにテレビデビューを果たします。それは「エリアコードドラマ011」というものでした。


ソニー・アンティノスレコードの笠井一二が手掛けたプロジェクトであり、地方局のエリア限定で放送するという希少性や地域密着性をセールスポイントとし、ソニー・アンティノスレコード所属アーティストの楽曲を主題歌に使うという狙いのもとに作られた。表題の数字(011、025、098等)は、その番組を放送する放送局の本社所属地方自治体(市)の電話番号市外局番にちなんでいる。*6


他には新潟、名古屋、静岡、大阪、福岡、熊本、沖縄でも放送され、沖縄のドラマ『青い夏』はなんとオーディションに合格した仲間由紀恵さんのデビュー作。すごいですね。北海道では北海道テレビ(HTB)で毎週金曜深夜23:30-24:00に放送されていました。


大泉:初めてのテレビの仕事、といってもアルバイトだったんだけどね。当時HTBで「エリアコードドラマ」っていう深夜のドラマを作ってたの。東京の俳優さんが出てて、いろいろな作品が放送されたんです。で、その番組から当時所属していた北海学園大学の演劇研究会に「アルバイトとして出演してくれる方、誰かいませんか?」って話がきて、僕とモリと当時の後輩でアルバイトに行った。それが一番最初じゃないかなぁ。僕が出た回はテレビ局を舞台にしたお話で、B-21のヒロミさんと中村繁之さんが出てましたね。*7


ヒロミさんが出演していて、TV局のお話ということなのでおそらく7月から9月まで放送されていた「テレビ局物語 今にみてろ!」だと思われます。「ビックリ素人のオーディション」という企画を考えたディレクターのお話で、 ヒロミさんはそのディレクター役。そこに集められた素人という設定で大泉さんと森崎さん、演研の後輩が出演しました。



大泉:HTBに行ったらいきなり(本物の)ディレクターさんに「は~い、じゃあ皆さん一人一芸考えて~」って言われた(笑)。あげくのはてには「は~い、皆さん掃除してくださ~い!1分でやろう!はい、スタート!」って、スタジオの掃除とか片付けまでやらされた(笑)。「何でオレらが片付けんのよ!?」って思いながら(笑)。*8

大泉:そんで、「一芸考えなきゃいけない、どうしよう!」って考えて…僕はただただ、乳首に目を描き、乳首をクマさんの顔に見立てて、「乳首が喋ります」というネタをやった(笑)。乳首を出して「やぁ!こんにちわ!」とかなんとか言いながら、乳首を振るわせて喋らせたの(笑)。「エントリーナンバー2番!乳首がしゃべります!」みたいな (笑)。ドラマの設定としては素人の芸が最悪につまらなくて、「どうすんだよこの企画!」ってヒロミさんが中村繁之さんに怒る…っていうシーンだったん だけど、あまりにも僕の芸がくだらないもんだから、思わずヒロミさんが吹出しちゃったんだね。で、NGになってた(笑)。でもその時は嬉しかったなぁ。「わぁ、ヒロミさんが笑ってくれた」と思ってねぇ(笑)。*9


この時のこと、ヒロミさんは覚えていたりするのでしょうか?そして、おそらく夏の出来事として、ついに二泊三日の5人旅に出かけます。この5人旅のことを、彼らは自分たちで「NACSキャンプ」略して「Nキャン」と名づけています。


普段一緒にいる5人が「プライベートでどこまで遊べるのか」というところからはじまった。*10


とされており、おそらく数年後の室蘭旅行の時に名づけたものだと思われます。最初の5人旅の時にはまだ「なっくす」だったので「N」という頭文字をつけるか微妙ですし、室蘭旅行の際にはすでにみんなテレビに出ていた頃ですので、「プライベート」という言い方になったのでしょう。大学時代はいつでもプライベートですからね(笑)。


そんなNキャン最初の旅は旭川方面への旅行でした。森崎さんの実家のある東川を森崎さんの思い出とともに巡り、旭川にある音尾さんの実家に二泊したそうです。


この旭川旅行の中で私が一番好きなエピソードを最初に。旅の前に、おそらく就活関連で森崎さんが東京に行った際、そのついでに当時佐々木蔵之介さんが所属していた劇団『惑星ピスタチオのお芝居を観たことがあったそうで。この『惑星ピスタチオ』は当時北海道のテレビ局で公演が放送されており、5人はビデオに録画して何度も何度も見ては研究するほどの大ファン。森崎さんが5人分の『ピスタチオ』と書かれたキャップをお土産に買って帰ると4人は大喜びし、みんなでお揃いのキャップを被って旭川旅行に行ったそうです!*11お揃いのキャップ被ってたなんてだいぶ後に知ったので可愛すぎて息止まるかと思いました。



集合しておそらく最初にみんなが笑ったのは安田さんの持ち物でしょう。二泊三日の旅だというのに、荷物は手塚治虫さんの「人間昆虫記」とそこら辺のコンビニで買ったワンカップのみ。そしてあのエアコンの壊れた戸次さんのギャランに男5人がギュウギュウに乗り込み、出発しました。安田さんは出発早々、後部座席の真ん中でいきなり脱いでワンカップを飲み始めたそうで、全力で楽しもうとしています。


人間昆虫記(1) (手塚治虫漫画全集)

人間昆虫記(1) (手塚治虫漫画全集)




運転はおそらく森崎さん。「この沢が綺麗なんだ」「俺がバイトしてた江別のセブンイレブンだ」「この先に熊がいるぞ。おいちゃんて言うんだ」*12などと思い出を語りながら旅路を進んだそうですが、結論からするとその話にあまり興味が無い安田さんのお酒が進むばかり。江別で森崎さんオススメのたこ焼きやさんに寄り、車の中で食べることにしましたが、すでに酔いの回っている安田さんが「俺のたこやき食べる?」と大事なところを掴んで遊び、みんなで「楽しいなぁー!」と大爆笑していたとか。*13なんと平和な5人でしょうね(笑)。



札幌から江別と徐々に旭川に向けて北上していた5人は、なぜか芦別にある真勝寺で地蔵菩薩を見ようかという流れになりましたが、迷ってしまったようで。


森崎:「芦別のお地蔵さん見に行くか」なんて言ってよ。行ったけど途中でやめて深川の山ん中に入ってきたべや。したっけ俺も見たことない、初めて見る深川の夜景を山の上から見た時に俺たち5人一台の車ん中でよ、ちょっと感動したじゃん!
音尾:恥ずかしい(笑)
森崎:一切街灯がなくてよぉ、でも白い服着たおばあちゃんとかが横にいてよぉ、「こえー!」なんて言いながら山登っていってだ。下りの時に初めて見た光がその深川のバン!っていうきれいな夜景でそれで「俺たち一生一緒にやっていこう」って言ったべや!*14


芦別の真勝寺は北海道八十八霊場の第5番札所でもあり、それで迷った挙句おばあちゃんを見て怖い怖いと騒いでいたのでしょう。しかし、森崎さん一生一緒なんて言ったんですね、就職するのに…。もしかしてこの時はまだ芝居を続けたかったのかもしれません。後に出てくる就職宣言の前の話ですし。そう考えると、本当に今は一緒にやれていてよかった、なんて思っちゃいます。



その日の夜、近所の大きめなサウナにみんなでいったそう。お風呂を上がってくつろげるスペースに移動すると、思いの外広くてテンションの上がる5人。そんな中、飲み物を運んでくれる店員さんがチラチラ戸次さんを見ていたそうです。さすがイケメン、とみんなで囃し立てていましたが、その理由はなんと戸次さんがパンツを履いていなかったから。サウナに用意されていた短パンのようなものを着て、上からバスローブのようなものを羽織っていたらしいのですが、公共の場ですから普通は下着か、その短パンを着てバスローブを羽織りますよね。しかし戸次さんは素直にバスローブ一枚だったために完全に見えちゃっていたのです。そんなサウナでは事件がもう一つ。


安田君の荷物が増えているのだ。何やら弁当箱のような、袋に包まれた何かを持っている。しかしそれはよく見ると、パンツにくるまれた『人間昆虫記』だったのだ。そう、彼はちゃっかりサウナの短パンを履いてきていたのだ。そしてそれを知り悔しがったのがシゲだった。「そんな短パンあったの!」彼はその存在すら知らなかった。*15


変人安田と残念戸次は昔から安定していますね。先日の『ハナタレナックス』全国放送でもそうでした。戸次さんはタコの吸盤が喉に張り付く残念を発動させ、安田さんは使えない際どいワードを上機嫌に連発した結果、全国放送では発言シーンがほとんどカットされまくって、機嫌が悪いのかと言われるほど発言シーンがありませんでした。この二人を見ていると、同い年のもう一人、大泉洋さんが凡人にさえ見えるときがあって不思議です。


夜はもちろんみんなで夜通し飲み明かしたといいます。メンバーを短パン一丁で出迎えた最高にセンスのある音尾さんのお父さんに笑い、お父さんは刑事さんだったことから、太陽にほえろ!のようにあだ名があるとすれば「短パン」じゃないか、ならばお母さんは「カレー」じゃないか(お母さんの得意料理かつ、音尾さんの好きな食べ物です)なんて言いながら泊めてもらってるのにからかっていたそうです。


そんなお父さんの趣味は梅酒をつけること。二階にある、子供が少し遊べるような空間に5枚分布団を敷いてもらいましたが、立派な梅酒蔵だったため、そこでみんなで朝まで飲んで、大事な梅酒をひと瓶空けちゃったそうです。その時、箸が転がっても笑うほどに、とにかく5人で笑った印象が強いようで。大泉さんが着ているTシャツが薄くなってガーゼみたいだと言っていつまでも笑っていたとか。



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↑これがそのTシャツ。ちなみにお兄さんからのお下がりで、かなりの貫禄でしたが、大泉さんの自伝的ドラマ『山田家の人々』では、当時の大泉さん的な役であった安田さんの衣装としても使われました。物持ちいいです、大泉さん。


旭川旅行に話を戻しますと、音尾さんの家にあった鬼太郎が世界に妖怪退治のたびに行く本を安田さんはえらく気に入ったようで、ソ連の怖い妖怪・ヴォジャーイを起きたそばから演じて遊んでいたらしいです。*16



鬼太郎のお化け旅行 (ちくま文庫―水木しげる妖怪まんが集)

鬼太郎のお化け旅行 (ちくま文庫―水木しげる妖怪まんが集)

↑おそらくこの本のことだと思われます。


私がこの旭川旅行の話を初めて聞いたのは2006年の『ハナタレナックス』でした。「旅をすると家族と仲が悪くなってしまう」という視聴者からの相談に、この旭川旅行の話をして「俺らは仲良くなる一方だったよな!」と言う大泉さんに、思い出し笑いならぬ思い出し爆笑をしながら頷いた4人が印象的でした。



ちなみに2011年には、この時に飲み明かしていた梅酒蔵で、遊びに行った年からつけている梅酒を、5人で飲むという素敵なサプライズもありました。


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この時の「また15年経ったら飲むべ」という森崎リーダーのしみじみした言葉に、無意識のうちにジワっと涙が出た覚えがあります。バラエティーを見てあんなに温かい気持ちになったのは久しぶりでした。


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最後に、ラジオで旭川旅行について話した時の、個人的に好きな言葉をひとつ。そもそもラジオで旭川旅行の話に至ったのは、友達と卒業旅行するというリスナーから「旅行を楽しむ秘訣は?」という質問が来たことでした。そして面白おかしく昔話をしているメンバーに、安田さんがボソッと言ったのです。


安田:仲の良い友達とだったらなんだって楽しいやね*17


仲良きことは美しいかな。次のエントリーでは東京旅行や森崎さん安田さんの引退宣言で涙するメンバー、そして解散までを描きます。95年のエピソードが後々一番語られている印象がありますが、当時は笑いながらも心のどこかで寂しさを纏っていたのでしょうか。みんな一生懸命楽しもうとしていたなら、なんか切ない。次回の更新までしばしお待ちを〜!


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*1:ハナタレナックス』2003年6月27日放送より

*2:ハナタレナックス』2012年6月14日放送より

*3:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』パンフレットより

*4:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*5:NACS GOTTA ME!』2002年10月5日放送より

*6:Wikipediaより

*7:CUE HISTORY MUSEUMより

*8:CUE HISTORY MUSEUMより

*9:CUE HISTORY MUSEUMより

*10:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』特典映像より

*11:『アフタースクール』札幌舞台挨拶より

*12:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より

*13:ハナタレナックス』2006年5月4日放送

*14:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より

*15:『大泉エッセイ』より

*16:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送より

*17:NACS GOTTA ME!』2003年2月8日放送

北海学園大学演劇研究会まとめ〜キャンプにバンドに初舞台〜

 
みなさんーー!!!ハナタレ全国放送楽しかったですねーー!!!
 
 
オンタイムでは興奮しまくっていたのであれですが、2回目3回目と見て(オンエア当日の段階で3回見ちゃいました)改めて、出会って3ヶ月で5人組になった大学生の20年後だと思うと貴重な85分間だったと思いました…!ありがとうスタッフ…!
 
 
感想を書こうと思ったのですが、それより見終わった後に「この人達の大学時代のエピソードに埋もれたい…!」と思ったので一生懸命このブログをまとめることにしました(笑)。全国放送を見てナックスが気になった方も大分いるようなので、分かりやすくをモットーに頑張ります。そもそも全国放送をきっかけに見てくださってる方はこの後このエピソードにどんな気持ちを抱くのか不安です(笑)。そして例によって長いです…。
 
 
さて、前回のエントリーでは、6月の地方公演で完全に5人組扱いとなり、帰ってきてから「なっくす」という名前を付けられました。それからというもの、5人は森崎さんの家を中心に集まってつるみ始めます。
 
 
1996年春に森崎さんと安田さんが卒業してしまったので、彼らが大学生活を全員で過ごしたのは1994年春からの2年間ほどなのですが、どっちの年の話なのかよく分からないエピソードも沢山ありまして。ちょいちょい挟みこめたらと思います。まずは、森崎さんの家に集まった時に関する、時系列不明のエピソードを。
 
 
森崎さんは今は亡きお父様・七之さんが故郷の東川町から単身赴任していた道営住宅に一緒に住んでいましたが、若さ溢れるジャイアンにはお父様との生活は少々ストレスの溜まるものだったらしく、「もう嫌だ!」と飛び出して縦長のアパートに一人暮らしを開始しました。この家はメンバーが「聖地」と語るほど何度も訪れたそうです。
 
 
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↑聖地の間取り図
 
 
留年しまくりの森崎さんのためにみんなで小さなカンペを作ったり(よい子はマネしないでね)、お金の無かった戸次さんは、森崎さんの家のお風呂を掃除してお小遣いをもらったこともあるそうです。親子か君たち。*1
 
 
それほどまでにお金がなかった戸次さんは、大学時代のマニフェストとして「地下を歩け」を掲げていました。札幌に地下街があってよかったですね。お金がなくてひと冬灯油なしに過ごしたこともあるとか。
 
 
大泉:あの頃シゲは貧乏だったなー。私もだったが、シゲはひどかった。二人でヤキソバ弁当作って、少しでも麺の量を増やそうとしてお互いお湯捨てなかったもんなー。ちょっとでも相手より増やそうとして。結局お湯を捨てた時にはほとんどお湯なくて、食べたら麺が口の中で溶けたもんなー。 *2
 
 
なんという理想のFANTAN。ちなみにやきそば弁当とは北海道にしか売っていないローカルカップ焼きそばですが、やきそばを作るためのお湯でスープも飲めるというもの。麺の量を増やしてたなら、スープはどうやって飲んだのでしょうね。 

 

 
大泉さんは子供の頃から料理好きだったため、森崎さんの家に行くとよく料理をしていたそうです。
 
 
安田:彼は非常に料理が大好きで。出会った頃に先輩の家で料理をしてくれたんですよ。じゃがいもを千切りにしてサッと軽く炒めたものを作ってくれて、それがとても美味しかったんですよね。*3
 
 
あまり手をかけない、素材の味が残る料理は安田さんの大好物です。また、当時お弁当屋さんで人生初のアルバイトをしていた音尾さんは、残ったおかずをつまみ代わりに持ってきていたのですが、ある日40個近くの煮玉子だけをボウルにいっぱい入れて森崎さんの家にやってきたことがあるそうです。たまたま大量に余ってしまったというその煮玉子に誰も手をつけず、「食わないの?みんな。俺食べるよ」と9個もパクパク食べたとか。9個という数字は森崎さんが結構な自信で断言していたので、みんなでいくつまで食べれるか数えて遊んでいたのでしょうか?「ニシキヘビだ」と音尾さんをからかったそうですし。*4せっかくならあと1個食べられなかったのかね音尾さん。(無責任)
 
 
お金がないため、基本的に森崎さんの家で宅飲みだった5人。ある日酔いつぶれた安田さんに、みんなで油性マジックの赤で顔中に落書きをして遊んだそうです。そして翌朝、落としてはならない授業のために一度家に帰ろうと、爆睡している4人を起こさず、置き手紙を残してそっと部屋を出た心優しい安田さん。愛用のママチャリを漕いでいると途中で車に止められ、ちょっと強面のお兄さんに「おい!お前顔ひどいことになってるぞ!」と教えられて初めて落書きに気づいたとか。*5北海道の人は強面でも知らない人に優しいですね。
 
 
 
男子大学生ですので、当然下品なお遊びも。これは2005年に初めて暴露されていたエピソードなのですが、酔っ払って寝ている森崎さんの大事な部分を、戸次さんが割り箸で持ち上げてみんなでゲラゲラ笑ったそうです。なんと屈辱的…!本当に爆睡していて知らなかった森崎さん、それを10年以上経って、しかもテレビで暴露されるなんて。屈辱的…!*6
 
 
ついでに、他のメンバーでも家に行き来していた時のエピソードを。安田さんは室蘭から出てきて鍵無しの下宿(!)に住んでおり、音尾さんは旭川から出てきて豊平区のアパートの1階に住んでいました。
 
 
安田さんには大学時代、得意料理が一つありました。それはマルちゃんのダブルラーメン。
 
 
北海道にしか売っていないインスタントラーメンなのですが、「安田先輩のダブラー」と呼ばれ後輩の中で語り継がれるメニューでした。「安田先輩のダブラー」を食べるためには、安田先輩の家で朝まで飲まないとお目にかかることはできません。散々飲んだ朝方、おもむろに「ダブラー食べるかい?」と立ち上がる、もちろん服など着ていない安田先輩。そのまま台所に立って勇ましく料理をしてくれたそうです。
 
 
戸次:安田先輩は作る時も盛り上げてくれるから、裸エプロンで作ってくれるんだよ。「先輩パンツ履いてください!」「大丈夫大丈夫、風邪はひかないよ」「いや先輩そうじゃなくて!」って。
大泉:俺覚えてんのが、安田がダブラー作ってくれて、「さぁみんなで食べな、あぁ~!」ってこぼしたんだよ*7
 
 
さすが無類の不器用・安田さん。みんな全体的に『ハイスクール!奇面組』なのかというほどのキャラの濃さですが、安田さんは本当に期待を裏切らないキャラクターを地でいってます。
 

 

ハイスクール!奇面組 20 (コミックジェイル)

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そんな中、末っ子の音尾さんの家には人が集まるというよりかは、一方的に押しかける場合がほとんどでした。
 
 
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↑押しかけられる音尾さんのアパートの間取り図。ちなみに1階だったので窓から入れたそうです。
 
 
彼女に振られた戸次さんがショックで酒瓶を持って音尾さんの家に行き、「音尾、一緒に飲んでくれるか?」と言って一緒に日本酒を開けたこともあったそうです。しかし、「音尾だめだ。こういう時ってお前、いくら飲んでも酔わないな」と言って一向に帰らない戸次さん。*8
 
 
これに似たエピソードが2005年11月にもありまして、当時まだ東京の仕事があまりなかったナックスは、東京で仕事をするときはホテルより安いので事務所が借りたマンスリーマンションに泊まっていました。マンスリーなので仕事のタイミングによっては契約の途中で泊まる人が入れ替わることもしばしば。音尾さんが東京の仕事のために、事務所から受け取った鍵でマンスリーマンションのドアを開けると、そこには髭を剃っている上半身裸の戸次さんの姿が。音尾さんに明け渡すためにその日から事務所が取ったホテルに泊まることになっていた戸次さんは、オフだったので朝寝坊をしていたのです。


結局、二人でお昼ご飯を食べ、ショッピングをし、カフェでお茶して、また更にマンスリーマンションに戻って洗濯していたパンツを干して、戸次さんが札幌から持参したDVDを見て、22時頃ようやく戸次さんはホテルへとマンスリーマンションを出ました。これをリアルタイムでアップし続けた二人には感謝の言葉しかありません。
 
 
話は逸れましたが、大学時代音尾さんを偉く気に入り、執拗なスキンシップをして「愛してる」「一線を越えても構わない」と曲がった愛情を投げかけていた安田さん。毎週火曜日に飲み明かしていたことは以前のエントリーでも紹介しましたが、それ以外にも酔っ払って音尾さんの家に訪れることも。


音尾さんとともに更にお酒を飲んで服を脱ぎ、靴下一枚になった安田さん。音尾さんがお風呂を沸かしていたことに気付いて勝手に入浴。しかしせっかくお風呂に入ったのに、酔っ払ったままの安田さんは、黒マジックで自分の大事な部分を塗ってティッシュで形を取り、「これ俺のちん拓。貼っといて」と音尾さんに渡し、お尻にもマジックを塗ってベッド付近に「もん拓」まで残したそうです。そんなことをしているもんだから、「風邪ひいた」と言ってあっさり帰っていったそうです。*9いつだって被害者な音尾さん。いつだって変態な安田さん。
 
 
8月
  • 演研サマーキャンプ
  • なっくすバンド結成
 
 
上記の愉快な自宅エピソードは何月のものかは不明ですが、演研は夏休みになってすぐの8月初旬にサマーキャンプ(通称:サマキャン)に出かけていました。当時30人ほどいた演研は5人を「はみ出し者」として扱っていたため、5人の意見が通ることはほとんどなく、キャンプでも一部屋に集まり文句を言って遊んでいたそうです。
 
 
そして、やきそば弁当の件を見ていただければ分かるでしょうが、すでに戸次さんと大泉さんは現在のように大親友且つ大のライバル。二人でサマキャンの帰りに、学園大までキャノンボールをしたそうです。
 
 
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↑戸次さんの眉毛と大泉さんの江口洋介ヘアーに時代を感じる。
 
 
戸次さんはギャラン、大泉さんは音尾さんの自転車に負けたというファミリアの八五郎(当時のナンバーにかけたあだ名)。
 
 
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↑ギャラン
 
 
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↑ファミリア
 
 
 
戸次さんのギャランはすでにエアコンは故障。大泉さんのファミリアはエアコンをつけると遅くなるため、そんなものはつけずに窓を開けて競ったそうで、同乗していた部員にとってはとんだ地獄絵図。 どちらが勝ったのかは不明ですが、楽しそうで何よりです。
 
 
ちなみに、戸次さんは車に関する持ちネタがあり、「80キロで走って窓から手を出してモミモミすると空気の抵抗はおっぱいと同じ。100キロは外人だ」というもので、おそらくどこかのエッチな雑誌で見たのでしょうが(笑)、大泉さんたちが入学する前に安田さんを下宿まで送っていく際、あんまりにも安田さんが喋らないものだから(通常運転ですが)、気を遣って「安田さん、おっぱい揉んでみますか?」「どうですか安田さん?」と機嫌を伺っていた思い出もあるとか。*10このラジオでは常識人・森崎さんが「お前ら80キロだとか100キロだとか話してるけど、もちろん高速での話だよな?ちゃんとことわっておけよ」と一言。「もう時効だよ」「今は安全運転だ」などどぎゃーぎゃー言っていたメンバーでしたが、こういう細かいことを訂正してくれる大人がいてよかったです。
 
 
サマキャンは学園大で解散した演研ですが、そこからまた5人は森崎さんの家に向かったのか、サマキャン終わりに戸次さんと大泉さんの車二台に分かれてメンバーで移動したエピソードが。
 
 
戸次:2台で移動してて、オレが前を走ってたの。で、信号待ちになって。
森崎:なんか格好良かったのさ。「いいからオレについて来い!」とか言って。俺らが後ろになって「なんかあいつ格好いいな。ムカつくな」「これどうだ、ぶつけるか」ってなって、そしたら大泉が「うん。いいよぶつけて」って(笑)。それで信号待ちの後ろからガン!って
戸次:信じられなかったもん!え!?って思って後ろ見たら、ケラッケラ笑ってんの(笑)!「ギャーッチャッチャチャ!!」って笑ってんのが見えんの!もう怒るより先に「え!?何でこの人たちオレにぶつけて笑ってんだろう?」っていう信じられない気持ち。
森崎:ぶつけるったってコツンぐらいだよ?
戸次:でもしっかり壊れてたんだよ!?びっくりしたよぉ。
森崎:うそぉ。イメージ的には傷がついたっていうか、記念の印ができたぐらいな(笑)。
戸次:ヒドイよねぇ。でもどうやら罪に意識はないらしいってわかってさ、オレもあんまり怒るのもなって。
森崎:「ぶつけたらびっくりするね、あいつ!」なんつってぶつけたらホントにびっくりしてるから。いつもシゲって期待以上のリアクションをくれるじゃない、それが嬉しくてね~。
戸次:そんなこと褒められてもしょうがない!*11
 
 
大泉さん、すでに八五郎は廃車が決まっていたからぶつけていいと言ったようで。ぶつけられた戸次さんも、罪の意識がないと分かって怒らなかったなんて、天然なのかなんなのか(笑)。彼らの学生時代のエピソードを聞くといつも「一歩間違ったら絶交ものだよな…」と思うのですが、その一歩のズレがない所が今に繋がってるのでしょう。
 
 
夏休みと言えば私の好きなエピソードが一つ。大泉さんが夏休みに家で寝ていると、突如一本の電話が。相手は森崎さんで「おぉ、何やってんだ。バンドの練習するぞ」といきなり大学に呼び出しを食らいました。大泉さんがふてくされていたあの「地下4」にすっかり仲良しになった5人が大集合。安田さんは高校時代に初めてバイトして買ったギターを持参し、音尾さんと戸次さんもギター、森崎さんがベース、ボーカルに大泉さんという構成でバンドを結成しました。ユニコーンのカバーをし、ライブ出演を目標にしてオリジナルソング「もりのテーマ」もできましたが、スキルの足りなさに断念したそうです。
 
 
安田:「モリのテーマ」とかやったでしょ。
全員:もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫もーももももーりー♫
戸次:エンドレスですよこれ。
大泉:そんでモリが自分のタイミングで「んー!グッド・もーりんぐ!いやー!いいなぁー!」って言うんだよ。ジャイアンみたいだったからね当時。*12
 
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THE・大学の先輩のようなジャイアン森崎さんも笑えますが、4人が一斉に「もりのテーマ」を歌い出し、一つもズレなかったことに地味に感激しました(笑)。たった一瞬のバンドでしたが、みんなの印象には残っていたようで。そして何より、仲良くなったからノリで夏休みにバンドを結成したけど、グダグダで断念したなんてどこの青春ギャグ漫画なんだ。
 
 
10月
安田・大泉・音尾
 
森崎・戸次
  • 劇団イナダ組第9回公演「TAKEDA2」
10月14日-16日 ルネッサンス・マリア・テアトロにて
 
大泉・音尾
  • 劇団イナダ組に入団。
 
 
楽しい楽しい夏休みを過ぎると、5人は本格的に舞台へと取り組み始めます。1年生だった安田さんが演研が楽しそうだと入部を決めた、北海学園大学恒例の「十月祭」。これに演研の1年生だけで公演をするという企画が生まれました。そこで白羽の矢が立ったのはもちろん大泉さん。人生で初めて脚本を書き「D.O.A(Dead Or Alive)」というほぼコントのようなお芝居を作りました。同じ一年生の音尾さんはもちろん、安田先輩もサポートして笑いを取ります。
 
 
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↑大泉さんとサポートする安田先輩
 
 
残る森崎さんと戸次さんは、所属していた劇団イナダ組の第9回公演「TAKEDA2 」に出演していました。森崎さんが歪んだ愛に振り回される男役で、戸次さんはこれがイナダ組デビュー作品でした。*13
 
 
戸次さんが森崎さんと安田さんに憧れたように、一瞬で仲良くなったとはいえ、大泉さんや音尾さんの目から見ても、学生なのに社会人劇団に参加していた先輩三人は密かに憧れの的でした。
 
 
音尾:もしかしたらリーダーはずっと前からいて、第一線で演劇研究会のメンバーとは違うところで活動してきたから日の目を見ないっていう印象になってるのかもしれませんけど、後輩の目から見たらピッカピカでしたよ。*14
 
 
そしてこの時、ファンの間では有名なナックスの親友・川井J竜輔さんも観劇していました。体調を崩して仕事を辞め、演劇に興味を持つも、「札幌の劇団てつまんないよね」と思っていたJさん。しかし、この「TAKEDA2」を見て「なんだこいつらすげえ面白いじゃないか」と思い、12月に演研の定期公演で大泉さんと音尾さんを見てさらに興奮し、森崎さんに連絡をして翌年早々にはイナダ組で稽古を始めました。
 
 
思うに、TEAM NACSの一番最初のファンはJさんなのではないでしょうか。現在はラーメン屋さんをやっていますが、まだ役者を辞めたわけではないようで、ナックスとの交流も続いています。個人的にVS嵐にナックスが出演した際に、コロコロバイキングでナックス側に一人足りないからとゲストが登場することになり、「他の大学の友だちですか?」と嵐に突っ込まれた時「大学の友達ではないけど、Jさんだったら笑うなぁ」と思っていました。今となってはおにぎりあたためますかの他にも、全国放送のバラエティーで大泉さんが映画の宣伝のために出演する際にテレビにちゃっかり出始めちゃっているので、もし今後またVS嵐に出ることができた時には、本当に出かねないと思います(笑)。
 
 
話は逸れましたが、森崎さんはイナダ組の公演を観に来た大泉さんと音尾さんを稲田さんに紹介し、男だけの芝居を作ってくれないかと提案します。
 
 
稲田:森崎が「まだうちの演劇部に面白い人間がいるので、 1度男だけの芝居を作ってくれませんか」とお願いされた。そして大泉と音尾を紹介された。 (中略) 夏の終わりから稽古を始めた。大学で芝居をやっていたとはいえほとんど素人に近かった。基礎的な稽古が長く続いた。ダンスの稽古などもした。年が明けても公演の目処はたたなかった。来る日も来る日も稽古が続いた。その稽古は約半年以上。準備期間も含めると8ヶ月以上公演に至るまでかかったと思う。そして 1本の芝居が出来上がった。その芝居が『 NO FUN』である。 *15
 
 
95年の6月まで、妥協せず辛抱強く稽古をしてくれた稲田さんに感謝です。ここでは歌やダンスレッスンもしており、ナックスの芝居にはよくダンスが使われていました。昔はキレッキレでぴったり揃っていたんですよ、兄さんたち。中でも新体操部出身とはいえ、抜群のリズム感とキレで天性の身軽さを発揮していた若かりし頃の音尾さんは凄かったです。音尾さんはイナダ組で振り付けも学び、ナックスの公演で振り付けも担当していました。ミュージカルスターになりたかった音尾さんとしては大変喜ばしかったことでしょう。
 
 
その稽古をしながらも、12月に控えた演研の定期公演も動き出していました。脚本演出は森崎さん。5人揃っての初舞台です。
 
 
12月
「CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜」
1994年12月22(木)23(金)。ルネッサンス・マリア・テアトロにて2ステージ。350人動員。
 
 
大泉さんと音尾さんにとっては地演や十月祭を除いては初舞台。おそらくコントに近いものではなく、2時間近い本格的なお芝居は初めてと言っていいでしょう。しかし、森崎さんは主演に安田さんを置いた他、ナックス5人がメインのストーリーを作りました。


ちなみに、このお芝居のタイトルが「R」で終わり、副題に「〜続ける」と付けたことから、TEAM NACSの本公演において、大泉さんと戸次さんが作演出をした二作品を除いて全てタイトルが「R」で終わり、副題に「〜続ける」と付くものになっています。こういうポリシーが割と好きだったりします、私。
 
 
おかげ様で、今年は5名の新入部員をもうけることができました。春には演劇の”え”の字も知らなかった連中が、8ヶ月経った今ではこうして舞台に立っているのです。2、3年生なんかはアイツらのほうがいい役だとヤキモチを焼いて僕を苦笑させています。入部理由を尋ねても「ただ、なんとなく…」としか言えなかった連中は、今では演劇を続ける理由を聞かれた時ハッキリと答えることが出来るのでしょうか。みんな「個性」と呼ばれるものはそれぞれ持ち合わせていますが、不器用で憎めない連中です。*16
 
 
この先輩からのヤキモチは大泉さん音尾さんの二人に対するものだと思われますし、おそらく森崎さんは2人に向けて書いていると言っても過言ではないあとがきなのではないでしょうか。
 
 
ストーリーとしては、三方向から見た椅子の話で、本当は死んでいるのに死にきれていない男の話でした。幽霊として存在しているけれど、それを認められない。目の前には椅子があって、彼がするべきことは、その椅子に座ることだけ。ずっと立ちっぱなしだった男が、その椅子に座る、死を受け入れることで成仏できるというストーリー。ジェイコブス・ラダーというホラー映画に触発されて作った物語だそうです。
 

 

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サブタイトルの「立ち続けることは苦しいから」というのを見つけて、「これって第三舞台のパクリ?」とか言う人には、微笑みながら否定して、そしてギクリとします。*17
 
 
第三舞台とは鴻上尚史さんが主催する劇団で、早稲田大学演劇研究会から結成されたもので、筧利夫さんや勝村政信さんも出身した劇団。この第三舞台の代表作品でもある朝日のような夕日をつれての中に「立ち続けることは苦しいから」という言葉の入ったモノローグが最後に流れるそうです。
 
 
劇団の主宰者としての鴻上は「演劇で食っていける劇団」を標榜し劇団員のテレビなどの出演にも積極的に取り組み、岩谷の後を埋めた筧利夫勝村政信が人気を博すようになっていく。*18
 
 
この劇団としてのスタンス、今のTEAM NACSとかなり似ていますよね。実は第三舞台は1987年からルネッサンス・マリアテアトロの前身であった札幌本多劇場でも度々公演をしており、イナダ組所属だった戸次さんはその第三舞台のパンフレットにイナダ組のチラシを入れに行ったこともありました。他の発言等で聞いたことはありませんが、20代の頃に森崎さんは「TEAM NACSを東京からオファーされる劇団にする!」と意気込んでいた話もあり、演劇で食べていくというスタンスにおいても影響された面があったのではないでしょうか。
 
 
定期公演のチケット代は500円で、新入部員・戸次さん編のエントリーでも触れましたが、ビジネスマンとしても腕のいい森崎さんの元にいた4人はチケットノルマの達成率も上位だったといいます。確実に今のTEAM NACSが出来上がっていくのが分かり、それはお芝居の作り方にも表れていました。
 
 
「何となくいいと思うけど、でも話の筋はよくわからない」と言われると「うるせえバカそんなの考えないで早く台詞覚えろ」と思いながら丁寧に話の流れを説明してあげます。*19
 
音尾:昔は、やっぱりリーダーが圧倒的に大先輩で力を持っていて、彼に従うことが第一でしたけれども、その中でも大泉とかは、自分の個性を発揮して『ここをこうしたほうが笑えるよ』っていうことを積極的に言ってましたし。そういうことが積み重なって、だんだん5人イーブンのもの作り体制が出来上がっていったんじゃないかと思いますけどね。*20
 
 
かつて戸次さんは大泉さんを「一番冷静に自分たちの芝居に対して意見できる人」と表現していました。通常、劇団は座付き作家や演出家が表現するものに役者が合わせることが多く、ドラマや映画でもそのパターンの方が多いでしょう。しかし、TEAM NACSの場合は脚本の段階からみんなで意見を出し合ってダメ出しをします。もっと言うと、リーダーが汗水流して書いた脚本を滅多斬りにすることも少なくありません。こういった作り方は、この定期公演から始まったようです。
 
 
個人的な考えですが、5人は仲良くなったきっかけ、地方公演で全員が心の底から笑った経験をしているから、現在も作品作りでぶつかるのだと思います。5人全員が100%面白いと思うものはこの世に絶対に存在すると実体験してしまったのです。それが遠いのか近いのかわからないけれど、絶対に存在するものだと一番わかっているのは5人自身。だからそこに向かってぶつかり合い、口を利かないメンバーたちが出ても妥協せず、芝居が終わればチャラにしてまた何も考えずに笑い合う。私は劇団としてこのTEAM NACSの作り方が潔くて、彼らにしかできなくてとても好きです。
 
 
定期公演の打ち上げは演研常連の焼き鳥屋さん永柳。お酒が弱い大泉さんはコップ1杯の乾杯のビールで酔っ払うほどでしたが、お父様からの遺伝の酒好き・安田さんは古風な飲み方で戸次さん、大泉さんを唖然とさせました。ひとしきりビールを飲み終わると日本酒を頼み、ビールを飲んでいたコップに塩を持って、指で舐めながら日本酒を一杯。
 
 
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↑「佐〉」というのは戸次さんの旧芸名・本名佐藤です
 
戸次さん、大泉さんは「あれ俺たちと同い年か…?」「大人ってああやって酒飲むんだ…」と圧倒されたそうです。現在でも安田さんはお酒を飲むと急に先輩ぽくなり、大泉さんのことを「おい、ひよっ子」と呼ぶ可愛らしいエピソードもあります。*21
 
 
飲んで騒いで笑い合う楽しい大学のサークル。この頃、5人は普通に就職する気持ちが大きかったでしょうし、20年後に揃ってレギュラーのバラエティーが全国放送されるなんて微塵も思っていなかったでしょうね。
 
 
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↑2006年に永柳で凱旋乾杯する5人。
 
 
 
また長くなってしまいましたが、出会った初年度はとりあえず終了。次回は伝説のナックスキャンプを含む1995年をまとめます。95年は全員で過ごす最後の年。思いっきり楽しもうとはしゃぎまくりですが、それがまた上二人の卒業までのカウントダウンというか、途中で泣いちゃう人がいたり、後ろ髪惹かれる人がいたり、面白いんだけどちょっと切なかったりもする。あんたたち、今も一緒でよかったねえ。
 
一応、「なっくす」から「TEAM NACS」となった公演が1996年なので公式には96年結成としていますが、この濃密な2年間は何物にも代えがたいので、私の中では94年が5人のスタートだと思っています。そのつもりで今後もまとめていこうかなという意思表示です(笑)。


余談ですが、この年、大学三年生にして初めて異性と付き合った安田さん。その彼女と8年お付き合いし、結婚して生まれた娘ちゃんは今年11歳。素敵なお話です。こういう、奥様やお子さんの話をメンバー含めて微笑ましく受け取るのもナックスファンのやめられないところ(笑)。次回の更新まで、またしばしお待ちを~!
 
 
 
 
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*1:ハナタレナックス』2006年4月27日放送

*2:OFFICE CUE リレーエッセイより

*3:『Cut』2008年5月号

*4:ハナタレナックス』2005年10月20日放送

*5:ハナタレナックス』放送

*6:ハナタレナックス』2005年5月13日放送

*7:ハナタレナックス2005年10月20日放送

*8:ハナタレナックス』2004年10月15日放送

*9:ハナタレナックス2006年4月27日放送

*10:NACS GOTTA ME!』2002年10月15日放送

*11:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*12:ハナタレナックス』2006年1月26日放送

*13:TEAM NACS OFFICIAL SITEより

*14:『Cut』2009年4月号

*15:劇団イナダ組HPより

*16:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より

*17:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より

*18:Wikipediaより

*19:『CHAIR〜立ち続けることは苦しいから〜』パンフレットおよび『TEAM NACS TEN』より

*20:『Cut』2009年4月号

*21:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

北海学園大学演劇研究会まとめ~エースとの最悪の出会い~


なんか少年スポーツ漫画のサブタイトルみたいな表題になっちゃった(笑)。いよいよ、4人が大泉さんと出会い、面白さに気づき、5人組へと認識されることになります。なんとその期間は出会ってからわずか3ヶ月程度の出来事でした。この短期間にあっという間に人生の仲間を見つけた5人を振り返ります。先に言っておきますが、長くなってしまいました…!


  • 1994年
4月初旬

音尾さんが演劇研究会に入部してから数日後、大泉さんは「この腐ったまま大学生活を送るのはだめだ!」と奮起し、落語研究会に入ろうとしますが、北海学園大学には落語研究会がありませんでした。個人的に、もし落語研究会があったとしてそこに大泉さんが入部していても、現在大泉さんはテレビに出ていたような気がします(笑)。春風亭昇太さんみたいにドラマとかも出たりしている落語家さんになってそう(笑)。


森崎:ホント言えばね、僕は会えてなかったわけですよ、彼には。
大泉:2歳年が違って、俺が2浪してるから、ストレートで行くなら俺が入ってる時にはもうリーダーは卒業してなきゃいけない。
森崎:でも俺は待ったね。大泉を待った。
大泉:(笑)。
森崎:大泉と音尾が入ってきた時に、俺は「このための留年だったか」と思いましたよ。「父ちゃん母ちゃんゴメン。学費を多く払わせてしまったけど、でも俺、出会いがあったよ!」っていうふうに今は思うよ
大泉:アレなんじゃない?孫悟空が岩に閉じ込められてさ、何千年後に来る三蔵法師を待ってるみたいな。
森崎:…お前が三蔵なの(笑)?
大泉:三蔵法師が助けに来たんだ
ねえ(笑)。*1


後に放送されるTEAM NACSが声優を務める『モンキーパーマ』では、森崎さんが三蔵法師、大泉さんが孫悟空。そんな企画をするとは思ってもいなかった当時の発言なので面白いですが、もっと面白いのは前々回のエントリーの安田さん同様、森崎さんに慕っていたのは確かなことだけど、どっちかって言ったら僕らが助けに行ったんだよというスタンス(笑)。助けに行くべき逸材ではあったのですが、関係性の捉え方が同じです。こういった細かな面での共通意識も、学生時代から続く変わらなさに必要なものなのでしょう。



大泉さんは演劇研究会に入部すべく、文科系部室棟の「地下4」という練習室に行きます。汚いパンチが敷いてあり、隣にスリッパがあったので別に履いてもいいだろうとスリッパを履き、離れたところにある指揮台の上のパイプ椅子に座って部員たちのやりとりを遠くから見ていた大泉さん。この大きな態度に驚いたのが森崎さんで、腹が立ったのが戸次さんで、全く違うところを発見して好意的に捉えていたのが安田さん。こうも先輩が三者三様に捉えることってあるんでしょうか。


まずは驚いた森崎さん。その「地下4」という練習室は元々音研サークルが使用しており、当時実力のなかった演劇研究会は毎週月曜日と木曜日だけその練習室を間借りしている状態でした。


森崎:俺は当時5年生。去年までの演劇研究会をよく知ってるし、なんなら去年までは俺が会長だったでしょ。自分で作り育ててきたっていう思いもある。そんな俺が「新入生は何人くらい入ったのかな?」って思って「地下4」の重い扉をがらっと開けた時の光景だよ!「何だこの光景!?」と思ったね(笑)。「おいっお前!あれなんだ!?ウチの新入生か!?」と。「音研さんかもしれない」と思ったんだけど、よくよく聞いてみたら「新入部員です」って言うから。
大泉:静かに言われた覚えがあるよ。「そのスリッパはまずいなぁ。それは脱げ」みたいな。あきらかにこう、やっぱり「何だお前…生意気な態度じゃないか」っていう感じがして、あぁ、ついに怒られたっていう感じがした。
森崎:なぜ他の連中が誰も怒んなかったんだってことに怒ってたね、俺は。
大泉:誰も言えないような…誰も俺に近づくなっていうオーラを出してたんだろうね、俺は。当時音尾くんが「狼だ!」と言ってたくらいで(笑)。「なぜいつも彼はこんなにギラギラした目なんだ?」って。*2


態度の悪いとっつきにくい男。今の大泉さんからは想像もつきませんが、そのくらい大学受験失敗は彼の心に大きくダメージを与えていたようです。大泉さんは入部してもやさぐれたままで、演劇に対してもあまりいい印象を持てずにいました。


大泉:演劇に対してはやっぱり、中学・高校と観てきた「つまらない」ってイメージがあったから。そしたら、思ってたとおりのことを始めようとするわけだよね、発声だなんだって。「やっぱりだよこの人達」っていう嫌なイメージばっかりだった。そして本当に音尾はイカさなかったね(笑)!
森崎:(笑)イカさなかったね~。
大泉:もちろん俺もしぬほどイカさなかったけど、音尾くんのイカさない顔ぶりって言ったらホントないんだよ。もちろん目も離れてて。音尾を見た時に「やっぱりこういう人が入ってくるんだな」って(笑)。音尾がすごくまたオレの演劇熱を冷めさせたね。
森崎:ひどいなぁ(笑)。*3

入部してまず発声練習をする際に、音尾さんの印象もあってか(笑)、演劇研究会にあまりいい印象を持たなかった大泉さん。ですが、新入部員にその発声練習の指導している安田さんを見て「二枚目で声がいい人だな」と思ったようで、実はそこで大泉さんは安田さんに話しかけているのです。


大泉:僕、大学時代に初めて会った時に「安田さんていい声してますね」って言ったの。
安田:僕覚えてます!覚えてます!一番最初にあなたが僕に言ってくれたことは、「安田先輩って、いい声してますね」でした。「そんなことないよ」って僕は言って、君の腹筋を押した思い出がありますよ。
大泉:(笑)
安田:「いい声になりたいかい?」といいながら、こう(笑)
大泉:そんな恥ずかしい話はいいですよ(笑)*4


話しかけられたことが安田さんは嬉しかったのか、割としっかり覚えていますし、この時のラジオでもとっても嬉しそうに話していました。嬉しかった理由は、この時すでに安田さんは大泉さんをとても面白い人だと見抜いていたからかもしれません。


安田:僕はね、最初から、すごいおもしろいヤツだと思ってて。最初に大泉が演劇研究会に入ってきたとき、ドアの横に傘立てがあってね。それに蹴つまずいて傘を倒したんですよ。その拾い方とか、微妙な間とかがおもしろくてね。*5


私の解釈ですが、大泉さんが一番最初にメンバーの中で好意的にとらえたのが安田さんで、またメンバーの中で一番最初に大泉さんを好意的に捉えたのが安田さんだと思っています。


しかし、発声練習も面白くなく、尖ったままの大泉さんは演劇研究会に行かなくなります。


たとえば、新入生がコピーを取りに行かされたりするじゃないですか。僕は絶対に自分からは行かなかった。周りもなんとなく頼みづらいから、やっぱり音尾とかがすぐに行かされる。同学年のやつからは「なんであいつは行かないんだ」って言われたりもして、居づらくなって部室に顔を出さなくなりましたね。*6


行かないと言っても毎週月曜日と木曜日にしか活動できていなかった演劇研究会なので、そこまで影響はなかったでしょう。実際、新入生歓迎コンパには参加していたようですし。


大泉:「安田っていう変態がいる」って話は、僕が演劇研究会に入った頃から聞いていたんですよ。でも実際に会ってみたら、そこそこ二枚目で良い声で物静かな人でしょ。「なぜこの人が?」と、不思議に思ってた。そしたら彼、初めての飲み会、新入生歓迎コンパでパンツになって、何回目かの飲み会でついに全部脱いだんだよね。オレ、人前で全部脱いだ人を初めて見てさ。その時オレの中で自分の中でタブーが起きたというか。「出す人ってほんとうにいるんだ」と*7


演劇研究会が面白くなかった当初の大泉さんは、その中でもまだマシな人だと思っていたのか、安田さんに関しての記憶が多い気がします。おそらくその大泉さんがあまり来なかった時期に、戸次さんが安田さんに「大泉ってどうなんだ」と相談していたのではないかと思います。


戸次:最初に新入生で大泉が演劇研究会に入ってきたときは、ぶっちゃけ、早く辞めてくんないかなと思ってて。
安田:ぶっちゃけましたね(笑)。
戸次:とにかくあいつ、自分を出さなかったんだよね。まぁ彼も、2浪して大学入って色んな思いがあったんだろうけど、それがバリバリ出てたもんだから、とっつきにくくて。今じゃ考えられないけど、「おもしろくないヤツだな」と思ってた。 それで俺、「大泉ってどうなんだ」みたいな話を安田先輩にしたんだ。
安田:言ってたね、覚えてる。
戸次:安田先輩は見る目があったと思うんだけど、「いや、それは違う。すごいヤツが入ってきたぞ」と。*8


安田さんの観点はすごいですね。出会った瞬間からお互い自分にないものを持っている人だとわかったのでしょうか。とにかく大泉さんを見てピンときた安田さんは、安定して森崎さんの家で飲み明かしながら「ちょっとモリ、すげえ1年が入ったよ」と零したそうです。当時まだ戸次さんは安田さんに対して敬語だったエピソードが有りますが、森崎さんと安田さんはすっかりタメ口で対等な立場になっていたようですね。


森崎:で、安田の言葉を聞いて「おお、音尾かい?」って言ったら「いや違う、大泉くんだよ」って。「何で?」って言ったら「傘立てを倒したんだよ、彼が。その時の顔がね…僕は何かを感じたなぁー」って、安田が熱く語るわけだよ、ウチで酒を飲みながら。俺は全くその面白さはわからなかったけど(笑)。*9
森崎:俺はその時音尾が面白いと思ってたんだ。高校も一緒だって聞いて、すごく可愛がってた。一緒にご飯とか食べに行って。今ではアイツ全く覚えてないらしいんだけどさ(笑)。*10


弟とはそういうものです森崎さん(笑)。この時大泉さんが正直可愛がられていなかったことが影響しているのか分かりませんが、現在では音尾さんより大泉さんが森崎さんに「リーダー、リーダー」と甘えているイメージです。戸次さんのように対等な立場で一緒に過ごすのではなく、森崎さんを上の立場だとして甘えているようなイメージ。


さて、いち早く大泉さんの魅力に気づいた安田さんと、不思議がるメンバー。顔を出さなくなった大泉さんですが、このままフェードアウトするべきかどうか悩み、とにかくもう一回顔を出してみようと試みます。そしてその時、それまで気づかなかった森崎さんをはじめとする先輩たちの面白さに気づき*11、またメンバーも大泉さんの面白さに気づいていきます。


大泉:ほんとうによく覚えているのは、モリのギターだなぁ。なんとなく仲良くなり始めたのは…zo-3(ギター)?
森崎:あぁ、アンプついたエレキ。
大泉:なぜか部室に歌本がいっぱいあったんだよね、その歌本をめくりながら「次なに唄う~?」って、ギターをガンガンかき鳴らして次々唄っていってるのを見ながら「なんとなく楽しいかな?」って思い始めたんだよ。
森崎:『カラオケボックス・モリ』っていう遊びでね。やっぱり1年生はなかなか話せないわけだよ。だから話せない子の所に寄って行って、「よし、次はお前なに唄う?」って言って、1曲一緒に歌ったりとか。ホントのカラオケボックスに行く金なんかないから。*12


そこにも遠巻きに見るだけで参加はしなかった大泉さん。「なんとなく楽しいかな?」と感じたのは、最初にきちんと注意してくれた森崎さんがいたからではないかと思っています。叱ってくれる人って大事ですよね。そして根っからのリーダー気質の森崎さんは、一人遠くから見ている大泉さんに声をかけました。


森崎:僕、カラオケボックスに行く金がなかったんで、よく部室でギターを弾いていたんですね。なんとなくそれは彼も遠目に見ててずいぶんと楽しそうだなと思ってたらしいんです。で、ある時「よし、大泉くんも一緒に歌おう!」って歌本をパラパラ開いて、尾崎豊か何かを私がギターを鳴らして彼が歌ってくれるっていうことをやって。何かそういったところからどんどん仲良くなっていって「面白いね、君」っていうことになって。*13


大泉さん自身があまり口を開こうとしなかったからタイミングが無かっただけで、一回話せばすぐに大泉さんが面白い人だということは分かるはずでしょう。続いて、戸次さんも大泉さんの面白さに気づきます。


戸次:たまたま彼と一緒に小道具を作ることになり、ヤツと話すようになったのね。そしたら「戸次さん、『カリオストロの城』観ました?」って、自分が好きなシーンを再現し始めて。それが、庭師が「なんて気持ちのいい連中だろう」っていうシーンでさ。オレは「うわ、そこに目をつけるか」とグイグイ引き込まれたんだ。それから、得意のものまねも披露してくれるようになり、僕はすっかり彼のファンになってしまって。*14


この小道具というのは、地方公演で使用するための50音表であり、地方公演は6月中旬なので5月くらいの話だと思われます。ちなみに当時、大泉さんは誰に言われるでもなく、たまたま気になったチラシを見てOOPARTSの舞台を見に行ったそうで、*15すでに演劇への興味は湧き始めていたようです。


こうして同い年とは言え先輩後輩なのに、すっかり戸次さんを夢中にさせた大泉さん。他のコンビでは、先輩が後輩を可愛がるという上下関係から仲を深めていきましたが、この二人は戸次さんが大泉さんのファンになったことから、ほとんど対等な立場でスタートしたように感じます。

思えば私とシゲは大学では先輩後輩だった。シゲが2年の時私が1年。ところがある時シゲは言ったね。「俺の基準は生まれた年だから、俺には敬語使わなくていいよ」・・・泣けたね。
(中略)
正直お互いの第一印象は最悪だった。私は私で「なんかシャラーっとしてて気 に入らねーなー」って感じだったし、シゲは演研になじもうとしない私がキライだった。それ以来かなー、私の彼を見る目が少し変わったのは。
(中略)
シゲが私を認めた瞬間は何となくわかる。どんな流れかは忘れたが、私が『ルパン三世カリオストロの城』の最後のシーン、銭形警部とクラリスとおじいさんのシーンをものまねした時じゃないかなー。 庭師のおじいさんの台詞「何と気持ちのいい連中じゃろ」で彼は僕を認め、その後『ビバリーヒルズコップ』のエディーマーフィーで・・・というか吹き替えの下条アトムでもう僕のとりこになっていた。シゲにはよく家まで送ってもらったなー。そのつど何かものまねをしてシゲにガソリン代替わりの爆笑を払っていたものだ。*16


このエッセイ、最終的に「よくよく考えたら俺、シゲのこと好きだからシゲと結婚します」という締めくくりで、出会った当時から何がどうなったらこんな仲良しの方向性になるのかという疑問が残るエッセイとなっています。


ちなみに戸次さんは当時大学生にしてマイカーを持っていましたが、その車の保険料やらなんやらでお金がない状況でした。でも車を売ることは決してせず、「みんなを送らなきゃ」という謎の使命を一人背負い、「乗ってけ」と先輩後輩構わず声をかけていました。しかし、「その代わりガソリン代ないから700円!」とお金を取っていたというエピソードを披露していますが*17、大泉さんの場合は爆笑でまかなっていたようです。個人的な解釈ではありますが、戸次さんは最初からガソリン代を貰う気は無く、ただ大泉さんの話に爆笑したかったからよく乗せていたのでは?と思ってしまいます。


音尾さんに関しても、自分が演研に行かなくなった要因の一つなどと語っていましたが、バク転しまくる音尾さんの姿を見て見直します。


大泉:ある時グラウンドで誰かがすごい勢いでバク転してるんですよ。最後は伸身で一回転して見事に着地して、おおっ!すごい!と見たら、それがなんと音尾だった。あの離れ目、意外とすごいぞって見直したり(笑)。*18


入部から一ヶ月。口達者な大泉さんの本質が伝わり始め、森崎さんが「すげーこいつ!どんどんどんどんみんなの中心になっていく!」と驚くほど、天性の愛されキャラを発揮していきます。


大泉:当時さ、俺は安田のケツに火をつけさせられて(笑)。「俺が今から(屁で)ライターの火を大きくする!」って言われて、ケツの前で火を持たされてたと思うと、やっぱり逆らえなかったのかなと(笑)。
森崎:今なら絶対やらないね…(笑)
大泉:「はいっ!お願いしますっ!」って確か音尾と2人ですげー嬉しそうに持ってた(笑)。そしたら結局、大きくなるどころか風で火が消えたんだよ。「き、消えました!安田先輩!」って(笑)。*19


お父様より受け継がれた伝統芸を見せるほど、大泉さんと音尾さんがお気に入りの安田さん。仲良くなり始めたこの5人を、おそらく他の部員たちは横目で見ていたことでしょう。


  • 6月
地方公演

ついに、ナックス結成のきっかけともなる5人組が成立した地方公演がやってきます。ちなみに演目は少年探偵団とわかりやすい悪役が対峙する話で、そこで大泉さんは大林先生という変な人のキャラで、出るなり子供達を笑わせていたらしく。*20すでにいい役をもらっていたようです。

音尾:地方公演とか行くようになったじゃない?その中で自然と5人一緒にいたじゃない。たしかリーダー風邪引いたことあるよね、地方公演中に。
森崎:うん、すごい風邪引いた。
音尾:ものすごい風邪を引いて寝込んで。その時「ひどい男だなー」と思った覚えがあるの。リーダーが「あぁ。ポカリが飲みたい。とにかく、なんか飲ましてくれ、アイス買ってきてくれ」って言うから「じゃー俺買ってきます!」って買いに行って、戻って来たら他にもさらにまた頼まれて、「じゃそれも、行ってきます!」って行って、戻ってきたっけ「いやー、お前は犬だな!なんでも言えばやるのかお前は。犬か!?」って。
森崎:そんなひどい!
音尾:いや、言ったの言ったの。
森崎:犬は言った!お前が「ワオーン!」と言ったのも覚えてる。たしかに。
音尾:なんかひどいこと言うわーと思ったら、シゲがフォローしてくれたのも覚えてる。「いやでもね、森崎さん病気してるから、気を遣って森崎さんのためにやってくれたんじゃないっすかー。犬はないっすよー森崎さーん」って。
森崎:そんなカンジ悪い感じだった?
音尾:そう。あれ?リーダーの中では違ったの?
森崎:楽しく遊んでるつもりだった(笑)。レクリエーション気分だったんだけど。*21


ジャイアン時代の森崎さんはちょっと破天荒で言葉を選ばない。それをフォローしていた安田さんと戸次さんは本当に偉いと思います。ひどい男だと思いながらも、音尾さんは大泉さんと共に新入部員として地方公演の夜を盛り上げます。


大泉:地方公演で小学校を廻るじゃない。その時にちっちゃな安い旅館に泊まるわけ。楽しくみんなで飯を食うわけだよ。その頃にはもう僕は馴染んでるし、すっかり可愛い後輩になってるたから。で、安田は当時、OOPARTSの劇団員で、モリとシゲはイナダ組。そしたらさ、飯を食い終わった後に…安田って今でもそうだけど少食なんだよね。食い終わったらスーッと部屋へ上がって行っちゃうんだよ。「やっぱOOPARTSはおしゃれだよね」って(笑)。劇団のカラーが、やっぱりさ、OOPARTSはおしゃれだったし、イナダ組は泥臭かったんだよ。「やっぱおしゃれだよね〜。OOPARTSなんか食ったらすぐ帰っちゃうよねー」とか言って。で、イナダ組のシゲとモリはいつまでも食ってんだよ(笑)。ずーっと食ってて、まぁ今思えばやっぱり、俺と音尾がその二人を盛り上げてた感はある。「いやー、食ってますねぇ、イナダさんは〜」って言って。それでモリとシゲにそれぞれ俺と音尾がつくのね。付き人みたいに。で、競い合うようにみんなの残ったものを持っていくんだよ。他の音研とかが残した食いもんとか持ってきて、「先生エビがございました!」とか言って(笑)。「んー!ご苦労!!」ってその残ったのを片っ端から食ってくっていう遊びをやってたね。
森崎:その時からあったよ、そういうシチュエーションコント的なね、俺らでいうエチュード的なものが。それが面白いからとにかく食ってたな。水でも遊んだよね?
大泉:その時俺はモリについてた、付き人みたいな役だったから。そんで、モリが「大泉くん、水だ!」っていうから俺が「いかほど!?」って聞くと「こぼれるほどに!」って言うんだわ(笑)。「はっ!!」と言ってなみなみとついでくる。なみなみついで、「どうぞ!」って言ったらモリがそれをもの凄い勢いで、ほとんどこぼしながら飲む(笑)。っていうのを毎日やってたからな。
森崎:毎日やってたな〜。*22


光景が目に浮かぶようです。本当に変わらないなぁー!


森崎:めちゃめちゃ可愛がってた。で、その地演だったね。「あんたたちは「なっくす」だ」って言われたの。こいつらが1年で入ってきて、俺らととにかくそんな遊びをしてね。飯を食い終わった後は、ミーティングをしている隣の部屋で遊んでた。
大泉:5人が一つの部屋に集まってね。そんでもうとにかく俺がやみくもにいろんな先輩の悪口を言っていくわけ(笑)。ただただ悪態ついて、この人達はゲラゲラ笑いながら、俺に枕投げて怒ってるだけだった。「失礼だろ、お前!」って(笑)。その怒られるのがまた可笑しくて、もういろんな先輩をおちょくって遊んでたんだね。それで一気に仲良くなっていった覚えがあるな〜。*23


ご飯の後のお遊びには参加しないマイペースな安田さんですが、ミーティングには参加せず同じ部屋にいたようですね。ひとしきり遊んだ4人が、森崎さんを先頭に安田さんが一人くつろぐ部屋に向かったのかと思うと可愛いです。


大泉さんの悪態によって仲良くなった5人ですが、メンバーはその悪態を大泉さんの魅力として捉えていて、だから悪態セラピーなんて名言が生まれたんですね。口達者な人は誤解されることも多いでしょうが、メンバーはきちんと大泉さんの本質を見抜いていたからこの時爆笑できたと思うと、ナックスって人を見る目がある集団だと感じます。

安田:とにかく、貶し上手なんですよ。ひどい誹謗中傷を僕に浴びせるんですけど、それが死ぬほど笑えるんです。全くムカつかない。もう、ゲッタゲタ笑いますね。しかも彼は、ちゃんと相手を見てそういうことを言いますからね。本当に嫌いな人間や弱ってる相手に対しては、絶対にそういうことは言わない。だから彼から誹謗中傷されてるうちは、僕自身も元気なんだなぁって思えるんですよ。そういう意味では僕、彼に対してはちょっとしたマゾですね。何か言われるたびに、ゾクゾクゾクッ!「来た、来た、来たぁっ!」って思いますもんね(笑)。*24

戸次:昔よく大泉が言ってた、「大抵のやつは俺にダメージを与える悪口を言えない。だけどお前らは唯一、俺にダメージを与える悪口を言える。だから俺はお前らと付き合ってんだ」って。悪口っていうのはつまり罵倒ってことで。「面白く罵倒できるやつは周りには誰もいないからお前らと付き合ってる。で、俺はそれに負けないように自分を高めていかなきゃいけない」って。*25


安田さん最後はちょっと危ない意見ですが(笑)、とても優しいことを言っています。よく、「自分の悪口はいいけどメンバーやグループの悪口は許せない」と聞きますし、きっとTEAM NACSもそうだと思いますが、長く付き合っている秘訣の中に悪口があるのも面白い理由です。


更に大きなこととして挙げられるのは、仲良くなる5人を見ていた他の部員達が、5人組として捉えたこと。


森崎:そんなことを毎日やってるうちに、当時の会長に「いいから。あの5人は演劇研究会じゃないんだ。あいつらはなっくすだから」って(笑)。それが、本当に始まり。
大泉:演劇研究会のドアに『なっくす』って書いてあったんだよ。なっくすって何なんだろう?って思ってたら、それはそもそも前の年に決めた演研の愛称だったんだけど、恥ずかしくて誰も使えないんだね、そんな格好悪い名前ね(笑)。その格好悪い名前を俺たちにつけて、「あー、あれ演劇研究会じゃないから。なっくすだから」って言ってみんなでゲラゲラ笑ってた。*26


個人的に、この命名されたことが現在の仕事仲間に発展したことに大きく繋がっていると思います。学生時代、仲の良い友達数人とのグループはありましたが、それに名前をつけるとより一層チーム感、グループ感が生まれるもので、友達から一歩進んだ気がします。


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それにしてもいかがでしょうか。第一印象最悪の大泉さんがいながら、出会って3ヶ月程度で5人組となっているのです。大まかに上旬、中旬、下旬と分けて時系列を整理すると、以下の通りになるはずです。


  • 4月上旬
音尾さん、入部

  • 4月中旬
大泉さん、入部

  • 4月下旬
大泉さん、演劇研究会に来なくなる
他のメンバーが大泉さんについてあれこれ話す

  • 5月上旬
大泉さん、演劇研究会に復帰

  • 5月中旬
大泉さん、メンバーと仲良くなる

  • 6月中旬
地方公演で仲が深まる

  • 6月下旬
なっくすと呼ばれ5人組扱いされる



地方公演が大体6月の2週目から3週目にかけて毎年行われているのでそこはずれないとして、ならば戸次さんと大泉さんが仲良くなるきっかけであった地方公演のための50音表作りは直前の5月過ぎだろうし、そう考えると音尾さんより遅くに入部したのに一度来なくなった時期がある大泉さん、そんなにサボってない(笑)。根がいい人だからあんまりサボる勇気がなかったのかと思うと可愛いです。



ちなみに、当初こそは安田さんは大泉さんをお気に入りのご様子ですが、少し経つと現在を見てわかるように音尾さんを最もお気に入りの後輩とします。そして毎週火曜日になると夜な夜な安田さんが音尾さんを誘い、自分が森崎さんにしてもらったように飲み明かしていたようで。おかげで音尾さんは水曜日1講目の体育を落としてしまったようです。*27運動得意なのに残念(笑)。そしてその頃住んでいた初めて一人暮らしをしたアパートは、跡形もなく無くなっていたという(笑)。*28


一番最後に入ってきた大泉さんによって結成されたと言っても過言ではないナックス。そんな大泉さんはエースとしてナックスの中心にい続け、変わらず人を楽しませます。


森崎:僕、彼とよく散歩するじゃないですか。
音尾:やってますね、散歩部。
森崎:あいつ、歩きながら1時間でも2時間でもしゃべってるんだ。でもそうやって話してると、ナックスはこのままだったら揺るがない、大丈夫だなって実感できる。非常に心強いですよ。*29


人気、実力だけじゃない絶対的エースがいるとうのは、かなりの強み。改めて考えると、大泉さんはおそらく私の知っている限り、最も大学受験に成功した人です。出会いに敵うものはなし。


かなり長くなって申し訳ありませんでしたが、どうしてもこれをひとまとめにして、しかもハナタレ全国放送前に更新したかったのです。こんな出会いだった5人が今も変わらない様子を皆さんと共有したくて(笑)。



さて、次回は仲良くなった5人の爆笑エピソードを並べます。どうしてこんなにこの人たちは漫画のキャラみたいな行動をするんだ(笑)。その前にハナタレ全国放送の感想をはさむことでしょう…!しばしお待ちを&明日のハナタレ全国放送、楽しみましょう!



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*1:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*2:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*3:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*4:GOLGOLGO』2004年9月24日放送

*5:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

*6:鈴井貴之編集長 大泉洋

*7:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

*8:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

*9:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*10:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*11:鈴井貴之編集長 大泉洋

*12:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*13:『Cut』2008年5月号

*14:『下荒井兄弟の、スプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

*15:会報2004年6月号

*16:CREATIVE OFFICE CUE リレーエッセイより

*17:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*18:鈴井貴之編集長 大泉洋

*19:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*20:鈴井貴之編集長 大泉洋

*21:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より

*22:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*23:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*24:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより

*25:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*26:会報2006年12月号および『TEAM NACS TEN』より

*27:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより

*28:ハナタレナックス』2012年3月29日放送

*29:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

夢のジャニーズ学園~新学期によくある名前の順の席構成~



ジャニヲタなら誰もが一度は妄想したことのある、ジャニーズしか通わない夢のジャニーズ学園。年齢バラバラでも、とりあえずみんな揃って同じ制服を着て、別々の着崩し方をしてもらいたい。(着崩し方重要)



いつものように、私の守備範囲のジャニーズグループの皆さんで夢のジャニーズ学園を妄想していた所、名前の順という懐かしい響きに再会しました。新学期になると、とりあえず最初は席が名前の順になりますよね?右から縦に順番に座っていく例のアレ。自分の名字を好きになったり恨んだりしてしまう例のアレ。私はいつもワタナベさんとかになりたかった。確実に後ろの方の席だから。


そこで、私の頭の中のジャニーズ学園(こういう映画あったな)に、名前の順で座ってもらったらなかなか面白かったので、皆さんにもお知らせしたくなりました。


今回、あまりにも年齢違いすぎるので、少年隊の皆さんには校長・教頭・指導部長的な地位の高い先生の設定ということで、教室には着席してもらいませんでした。でも、ヤンチャ系生徒もちゃんと挨拶する威厳と優しさを持った三人が、毎日午後三時に校長室に集まって、紅茶飲みながら一時間だけくだらないトークしてたら可愛い。マッチさんはたまにしか来ない理事長さんかな。



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25人なので、5×5にしようかと思ったんですが、よくある4人1列で最後の一人だけおまけパターンにしました。山口棟梁、ラッキーボーイ。でも6列ってどんだけ教室広いんですかね。あと、「は行」が誰もいなかった。東山先生の次は後輩くんたちを見ていくと、キスマイの藤ヶ谷くんまで誰も「は行」がいない。これまた面白い発見。


よくよく見ると面白い関係性になるので、横列での感想と縦列での感想で分け、意外と学生時代重要だった斜めの関係性も思いついた時に入れ込みました。分けた意味あるのか分からない。ていうか分けるほど深く考えられる私キモチワルイっすよね。


ちなみに、せっかくの夢の学園なので、顔が見える正面から見た説明としますので、教壇から見た方向で名字を羅列します、と何故か先生目線でお届けします。最初にいっておきますが、あくまでイメージです。


  • 横列の関係性

  • 一番前
相葉、大野、草彅、城島、中居、松岡


私が先生なら、右側怖すぎる。なんで左側はこんなに癒し固まってるのに右側一番前に中居松岡くるの。Wマサヒロが一番前でリーゼントで足投げ出してるんでしょ?怖すぎる(笑)。いや、下手したら右側の一番前二つの席は、空いてることの方が多いかもしれない。午後からしか埋まらないかもしれない(笑)。で、遅れてやってきたのに教科書とかないから城島リーダーが「二人で見いや〜」って中居松岡に貸して、城島リーダーはつよぽんと二人で見るんだ、きっと。


そんな真ん中二人が癒しすぎる。ちゃんと授業聞いてくれそう。なんてったって、真ん中にみんなのリーダー堀越学園皆勤賞が座ってるんだもの。多分、城島リーダーが学級委員でしょ?心強い〜!席替えしてもこの二人はみんなが嫌がる真ん中一番前を「僕たちいいよ〜」って引き受けて三年間ずっと座ってくれそう。なんか泣けてきます、先生。


嵐の天然コンビがお隣同士なのも癒しすぎる〜!とりあえず出席を取るときに、一番最初に「相葉くん!」って呼んで「はいっ!」っていつも笑顔で元気よく言ってくれる安心感。相葉ちゃん、ほんと助かってるよ先生は。大野さんは基本寝てるだろうけど、許します。端から順番に何か当てなきゃいけない時に、大野さんの番になるちょっと前の、翼くんに順番回ってきたくらいで、相葉ちゃんは大野さんをツンツンして、「次くるよ、今ここ」って小声で教えてあげる図を想像したら可愛いから全力で許す。それを後ろから見てる岡田はニヤけてるはず。


  • 二列目
稲垣、岡田、国分、滝沢、長瀬、松本


なかなか面白い。左二人は授業中静かに聞いてるんだけど、聞いてるんじゃなくて実は自分の世界に入り込んでそうなイメージ。全然違うこと考えてる二人の顔をできれば横から見たいです、先生は。休み時間になったら意外と吾郎さんお喋りだから岡田に話し掛けてそう。それを見て太一くんも岡田に質問攻めして岡田を困らせて遊んでたら可愛い。それにしても、岡田長瀬松本っていう共演したことある人たちが揃ったなぁ!


太一くんは横列では右にも左にも会話参加できると思う。一緒にいじったり、話振ったり、タッキーにもちゃんと気を遣えるだろうし。タッキー、翼くんと離れてTOKIOに挟まれちゃってるけどYOUならうまくできるはず。そんなタッキーから右側のオーラ半端ない。ジャニーズのイケメンってこういうことです!感すごい。


長瀬くん、左右の斜め前に松岡くんと城島リーダーという保護者がいてよかったね。多分、松兄は体ずっと斜めだと思うよ(笑)。長瀬くんがちんぷんかんぷんな内容になったら「長瀬!○○ってなんだ?」って聞いてぶっ飛んだ答えもらって、すんごい手を叩きながら喜んで笑ってそう。TOKIOカケルでよく見るやつ。


正直松本さん、席運あんまりかな?って感じですね…。翔くんも遠いね、翔潤コンビが席近かったらすごく可愛いのに(笑)。でも松岡長瀬が構ってくれそうなので楽しく過ごせるかな。休み時間は大野相葉のところにみんな集まればいいよ、嵐は。チャイム鳴ったらじゃあね、って席に着くのさ。特にすることなくても毎回律儀に集まっちゃうのさ嵐は。


  • 三列目
井ノ原、香取、坂本、堂本光一、長野、三宅

井ノ原香取ペア!!!なんか胸熱…!「しんご〜」「イノッチ〜」って呼び合ってるだけでいい!グループ別だからあんまり交流無くなっちゃったけど、学校一緒だったらどうなってたんだろう。マサ、真ん中でなかなか紛れるいい席なんじゃないですか?一つ飛ばしてトニセンが揃ってるのも愛しいです。やっぱり一緒になっちゃうんだね、仲良しおじさん三人。


井ノ原さんが授業中小さい声でずっと「岡田!岡田!」って呼んで、岡田無視してて、痺れ切らした頃に「うるさいよ〜坂本くん助けて」ってすぐ告げ口しそう。告げ口っていうかもはや筒抜けだから岡田が振り返った時には坂本くん笑ってそう。香取さんは負けじと稲垣さんにいたずらしそう。いや、井ノ原さん巻き込んで「イノッチ、吾郎ちゃんの消しゴム後ろから取って」って言って、井ノ原さんは恐る恐る目を盗んで香取さんに渡し、香取さんは消しゴムにペンでハリガネゴローを書いて気づくの待ってるのに、稲垣さん全く気づかないっていうのが思い浮かんでしまいました。可愛い。


光一さんは横のラインはあんまりかもしれないけどね、後ろに重要な人いるからそれだけでいいもんね。健ちゃんの隣に長野くん来ちゃった。100%ノート貸してくれる人来ちゃった。後で縦列でも触れるだろうけど、この席順で一番理想なの健ちゃんだと思う。窓際、後ろに剛くん、隣に長野くん。絶対授業聞かない(笑)。


  • 四列目
今井、木村、櫻井、堂本剛、二宮、森田


木村さん、翼くんにも翔くんにもガンガン話しかけそう。翼くんにはスポーツとかファッション、音楽、ダンスの話で翔くんには勉強のことのみ(勝手なイメージです)。いや、櫻井さんがダサいとかそれに触れたつもりはないけど、木村さんはとにかく櫻井さんを「ジャニーズで頭がいい人といえば!櫻井しかいない!」って認識してそうな気がしてそこばっかり突っ込みそう。一つのことに一生懸命だから、木村さん。


翼くんは、「自分の反対側の一番端に剛くん(森田)がいる…!剛くんと同じ列…!」って思ってそう。そんな翼くんと同じ感覚で、堂本さんちの剛くんは「木村くんと同じ列…!」って感動してそう。今打ってて思ったんだけど、ニノがW剛くんに挟まれてる(笑)。堂本さんに「お前も剛にしろよ」って無茶振りされて、それを一つ向こう側から翔くんが笑ってるんだろうな。二宮さんは一番後ろで基本授業中ゲームだけどテストの点数いいパターンは絶対ですよね。天才&秀才ラインだなぁ。



山口棟梁は一番後ろで二限目あたりからすでに早弁してそう。それが似合うのでそれでいいです。制服の袖切っても全然いいよ!本棚とか勝手に作ってもいいよ!学校建て替えるのだけやめてくれたら大丈夫!



  • 縦列
縦列はアレですよね、配布物配るときの振り返りとか想像すると可愛いですよね。


  • 一列目
相葉、稲垣、井ノ原、今井


基本癒される。相葉ちゃんが元気よく出席の返事するから、毎回律儀にお茶目ゴローで「はいっ!」って言ってくれそう。もちろん井ノ原さんも続くから翼くん毎朝大変。次の大野さんは絶対に声ちいさいから、立ち位置が難しいね。(なんの心配だ)翼くん一番後ろで前に井ノ原さん、斜め前に香取さんで黒板ちゃんと見えるかなって心配になる。


  • 二列目
大野、岡田、香取、木村


香取さんは木村さんの監視下なのでいい緊張感を持って授業を受けることになるでしょう。前述の香取さんの稲垣さんに対するいたずらを、木村さんはニヤニヤしながら一緒に見てるけど、途中でバレそうになって井ノ原さんに罪をなすりつけようとしたら怒りそう。人のせいにするとかそういうのダメ。教育的指導。でも視線につよぽん入る位置で良かったね。吾郎ちゃんにも甘えられるし、健ちゃんと並んでいい席運だと思います。岡田も斜めに振り返れば坂本くんと井ノ原さんいるし、前には同期(?)の大野さんいるし、自分の席に満足してそう。


  • 三列目
草彅、国分、坂本、櫻井


とにかく太一くんと坂本くんの同期の絡みを拝みたい。配布物配るときに太一くんが毎回変な顔したりアイコンタクト取ってたら可愛いです。とりあえず、つよぽんがマイペースで毎回配布物が後ろにわまるのが一番遅い列になりそうだから、先生真ん中から配っちゃおうかな。櫻井さん、坂本くんは座高低いから黒板はちゃんと見えると思うから安心してノート取りまくってください。そんな坂本くんから配布物回されたら毎回律儀に「ありがとうございます」って言いそう、櫻井さん。


  • 四列目
城島、滝沢、堂本光一堂本剛


城島リーダー、年齢とともに手先が乾燥して配布物なかなか回せなくても、滝沢王子が微笑んで待ってるから大丈夫だよ。太一くんが「リーダー、タッキーが困ってるだろ」って言っても「大丈夫ですよ。僕が取りましょうか?(キラキラスマイル)」って言ってくれる。


そしてお待たせしましたキンキ~!もうほんとに名字同じって素晴らしいよね!休み時間もずーっと席で座ったままおしゃべり決定だね!お昼になったら光一さんが振り返って一緒にお弁当食べな!うん!二人の世界!光一王子、滝沢王子のダブル王子も素晴らしい。しかし光一王子、滝沢王子から回ってきた配布物が一枚だけうまく取れなくてイライラしたら、二枚とも剛さんに渡して剛さんに分けてもらいそう。光一王子たまに寝ちゃって、休み時間になったら振り返って当たり前のように剛さんのノート写しながら「昨日な~、夜中にF1のDVD見始めちゃってな~」ってゆったり関西弁トークしそう。剛さんも光一さん寝てるな、と思ったら休み時間になってもノート閉じないで待っててあげるの。ギャンカワ。


  • 五列目
中居、長瀬、長野、二宮


中居さんが途中で更正してまじめに授業受け始めたら、私プレッシャーに負ける。一番前であのカタギじゃない目で真剣に話聞かれると「もしかしてこの人は、教育委員会から指令を受けて私を査定しているのでは…?」と思ってしまう。中居正広が一番前のプレッシャー半端ない。先生進んで席替え提案するよ。


そんなときは、長瀬くんで黒板見えないけど一生懸命覗きこんで書き写そうとする長野くんを見て癒やされることにする。「見えないなぁー」って体動きまくってるの長野くん。教壇からその光景見たら面白すぎる。そうやってぴょこぴょこ動いてる長野くんは気づかぬうちにゲームしている二宮さんのことも先生から見えないようにブロックしてるというオチ。長野くんはアレかな。副学級委員かな。


  • 六列目
松岡、松本、三宅、森田、山口


松岡さんは前述のとおり長瀬さん目当てで常に体斜めだから、松本さんが黒板見えないということはなさそう。そんな松本さん、配布物を回そうと振り返るとだいたい三宅さんが森田さんの方に振り返ってるからさぁ大変。森田さんが松本さんと目が合って、「健」と一言発して初めて、三宅さんは松本さんから配布物が回ってきていることに気づく。キンキは名字一緒だからあれだけど、剛健も見事に離れないなぁー!やっぱりキンキと剛健は理想的すぎる。


前述の長瀬くんが大きいから黒板見えない長野くんを見て、森田さんは三宅さんに教えて二人で観察して笑ってそう。健ちゃんは寝てるか、剛くんと喋ってるか、分からなくて長野くんに聞くかの三パターンしかないだろうな。ちなみに寝落ちすると瞬殺で森田さんが椅子蹴るからあまり寝れないと予想している。山口棟梁は早弁の合間に授業は聞いてくれそう。たまに松岡くんが一番前と一番後ろだってのに「兄ぃ!」って話しかけると思う。基本的に他の4人のメンバーを見守ってるだろうな、棟梁。



  • 休み時間&お昼&教室移動


休み時間には基本的にグループごとに集まってもらいたいものです。前述で少し嵐やキンキに触れたけど、休み時間になると仲がいい人同士集まって、席の貸し借りがあったりなんかする。そこで、休み時間の図まで考えてみた。(本当気持ち悪い)



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↑正規の席順

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↑休み時間にグループごとに集まっていただいた席順


SMAPは中居さん以外の4人が固まってるから基本的に席のまま、つよぽん「イノッチ借りるね~」と慎吾くんのところにやってきて吾郎さんと木村さんと会話するかな。中居さんは自分の机で寝顔死守したがっちりガードで机に突っ伏して寝ていてほしい。でもたまに、木村さんが中居さんに用があって中居さんのところにいって、ツンツンして起こして何か話しているのを、下三人が「何話してるんだろう…」って見てる。真似してたまに香取さんが中居さんをツンツンして起こすんだけど、ツンツン具合で「慎吾だな」って分かる中居さんは全力無視。さすがに体揺さぶってきたら起きてあげて「なんだよ」って不機嫌そうに言う。木村さんが起こした時は全然怒らないのに。お昼ごはんはどうしましょうかと考えた結果、中居さんは学食のしょうが焼き定食を永遠リピートで他のみなさんはセブンイレブンで買って来たものを中居さんと学食で食べるという結論に至った。香取さんと草彅さんはハンバーガーとかも買ってきそう。たまにハンバーガー食べたくなって木村さんも一緒にいく。稲垣さんはサラダないとダメそうだからセブンかなぁ。ちゃんとデザート付きで。教室移動するときは寝ている中居さんを待ってるから、遅れて教室を出そう。でも木村さんの教育的指導で遅れることはなし。



TOKIOは城島リーダーのところに集まるかなぁとも思ったんだけど、TOKIOうるさいから(笑)。城島リーダーが「中居ちゃん寝てるから、山口のところに集合しよう」ってことになりそう。兄ぃ大好き松岡くんが「そうだね!」ってすぐ言いそう。基本TOKIOは立ってても全然平気そうだし、下手したらプロレスごっことか始まるから一番後ろのスペースに集まってもらったんだけど、城島リーダーにはちゃんと山口くんの席に座ってもらいそう。茂ちゃんとぐっさん可愛い。教室移動の時は学級委員のリーダーが一応先頭になってそうだから、それに合わせてTOKIOも一番前にいそう。「ここが理科室です!」とか無駄に盛り上げながら移動してそう。音楽の移動の時だけ、前の授業が終わったら真っ先に移動して授業始まるまで楽器弾いて欲しいな。お昼は学食で5人なのに8人分くらい注文してそう。海賊みたいにテーブルいっぱいに並ぶ料理。もちろん山口棟梁は早弁済みでこの食欲です。毎回早々に食べ終わるメンバーに、ちゃんと噛んでるか、お腹いっぱいになったかとゆっくり食べる城島リーダーが聞いてそう。


V6は、マサが席を立つかどうかは疑問に思いましたが、それより剛健動かなそうで、長野くんがいるならマサは動くかなと(笑)。井ノ原さんと岡田はずいぶんと奥の席から移動になりますが、大好きな長野くんのためなので苦ではないでしょう。寝ている中居さんの後ろは静かな岡田にしておきました。井ノ原組も縦に揃うし。きっとたまにTOKIOと合同で喋ってそう。個人的に、始業のチャイムでみんながぞろぞろ席に戻る際に、長瀬くんの席に座っていた岡田のもとに長瀬くんが着席しにきて、ちょこっと喋るタイドラコンビが見たい。お昼は、ものすごい理想として、坂本くんと長野くんがピクニックの時みたいに大きなパックに6人分作ってきてたら素敵。大皿に盛りつけてあるのに物凄くいい味の卵焼きが人気で松岡くんが「たまに食べたくなるのよ!やっぱうまいね!」とツマミにきそう(笑)。基本作ってきてくれるだろうと踏んで4人は一切持ってこないと思う。で、たまに坂長が面倒くさくなって作らない日は、「えー、なんで持ってきてないのー?」「じゃあ俺たち今日何食べればいいんだよ」「お腹が空いてしんじゃうよ」ってなんやかんや(おそらく井ノ原組に)言われて坂長が6人分学食をおごる羽目になりそう。作る手間のほうがいいのか、お金を出したほうがいいのか(笑)。教室移動の時は長野くんの「行きますよ~」という言葉でマサを始め他のメンバーが渋々立って一番最後に歩き始め、井ノ原組が遊びながら歩くもんだから全然進まなくて、結局チャイム鳴り始めて走りだすイメージ。「行きますよ~」って言ってくれた長野くんを差し置いて、むしろわざと後ろに押しのけながら走る井ノ原組が目に浮かぶ。V6ファンになってから思ったんだけど、V6って時間制限があるものでも「どうする?」ばっかりであんまり焦らないイメージ(笑)。わたわたしない。マイペースさのほうが勝ってる。万が一遅れても、井ノ原さんの口達者で何とかする。


キンキは基本的に二人で教室から動かない。ずっと座っててお尻痛くなったら二人で廊下に行って廊下の窓から光を浴びて輝いてればいいんじゃないかな!近くにいるV6とTOKIOがうるさいから、何を話してるかは全くわからないけど、基本的に二人で小さい声で笑っててくれたら満足です。二人共お母さんが作った関西味のお弁当で、たまに剛さんは自分で作る。自分で作ったって言った日は、光一さんが「どれどれ」と一口。年に数回、感化された光一さんが自分で作ってくるけど、ご飯なしでレタスとステーキどーん!というお弁当でいつまでも笑い続ける剛さん。関西味のお弁当が懐かしくなるとたまにやってくる岡田に、剛さんが一口あげるとしたら可愛い。キンキが「俺達と会話するときは関西弁じゃないとだめ」ってルール勝手に作って、うっかり「一口くれへん?」じゃなくて標準語で「一口ちょうだい」って言うと絶対くれないの。可愛い。教室移動でももちろん一緒。二人並んで後ろの方とぼとぼ歩いてて、その後ろにいるSMAPにたまに絡まれて困って笑う姿もきっと可愛い。


嵐は律儀に休み時間のたびにリーダーと相葉ちゃんの一番前に集合。先輩の席には座れないので過半数が立ってます。すごくそれらしい。二宮さんは大野さん相葉さんのどちらかと半分こして座ってそうだけど。始業のチャイムが鳴ると絶対に全員「じゃあね~」って言い合う。お昼は学食派かな。相葉ちゃんがたまにお店の残り物を持ってきてみんなでつまむイメージ。余った麻婆とかをラーメンの上にのせて「うまい!」って櫻井さんが言ってそう。松本さんが得意そうな料理はパスタとかお弁当に向かなさそうだから、夜とか休みの日は自分で作るけど昼は買い食い派なイメージ。二宮さんは学食のご飯というよりかは、売店で買ったパンを学食でみんなと食べるイメージ。とにかく片手で食べられるものなイメージ。大野くんはパンとカレーとラーメンの3つを永遠にリピートしてそう。それをたまーに一口だけ二宮さんがもらう。教室移動では廊下であんまり大きな声出さないように気をつけて、それゆえに小さい声で内輪トークしてる姿がTHE・嵐って感じ。優等生らしく時間厳守なので、一番先頭を切るTOKIOの後ろを歩き、にたまに絡まれて「静かに!」ってみんなで「シー!」ポーズしてたら最高。


タッキーと翼くんは、翼くんが休み時間になると集まってくるSMAP4人からそっと離れてタッキーの元へ。もちろん藤沢の先輩・中居さんの邪魔もしないようにタッキーの隣に座って特に大きな声も出さずに優雅にお喋り。同じようにコンビの先輩堂本さんたちが近くにいるのもなんか安心感があっていい。そして近くに集まってる嵐の会話にたまに参加してほしい。お昼は学食で食べてそのまま外でサッカーとかして、スポーツドリンク飲みながら教室に戻ってきてほしい。勝手なイメージだけど、タッキーは普通のスポーツドリンクで、翼くんはレモン味のスポーツドリンクで、たまに交換してほしい。とんでもない爽やかさ。ちびまる子ちゃんの大野くんと杉山くんみたいな感じでいてほしい。体育で先生からお手本に指名されるタイプ。教室移動は嵐の後ろらへんにいて、TOKIOに絡まれる姿を笑って見ていてほしい。で、たまにキンキと一列になって歩いてたら可愛い。4人セットの図もたまには見たい。



あー、楽しかった!




やっぱり夢の学園ですね。名前の順っていう、特集な並び方もなかなか面白い。全体的に改めてキンキと剛健の名前につながりのある二人がいかに尊いかを実感した。これで身長も同じくらいでしょ?私の学校、体育は身長順に低い方から順に並んでたんだけど、それでもキンキ剛健はほとんど同じ場所だったりするわけでしょ?後ろで長瀬松岡香取がそびえ立ってたりするんでしょ?


と思って、最後に体育編でおおよその身長で並べてみた。同じ身長の人は同じ色にしています。同じ身長の先輩後輩をシャッフルしたり、中居さんの逆サバ読みと、それを知っている城島リーダーのトレードなんかを考慮した、理想の体育の並び順がこちら。(※正確な順ではありません)


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みんな仲いい人がそばにいる。楽しく体育してください。


いーちにーいさーんし!

\ごーろーくしーちはち!/

にーにーさーんし!

\ごーろーくしーちはち!/





お粗末さまでした〜!



















北海学園大学演劇研究会まとめ~きら星の挫折と世界の弟~

 
お待たせしました。ついに北海学園大学に残る二人が入学し、5人が揃います!が、音尾さんの入部は描きますが大泉さんの入部は次回!理由は読んでいけば分かってくださると思いますが、なぜ北海学園大学に入学したのか、その経緯から説明しないと、次回の大泉さんのやさぐれ具合に説明がつきません(笑)。
 
 
TEAM NACSにおいて唯一の同期であるお二人。しかし年齢的には大泉さんのほうが音尾さんよりも2学年上です。有名な話ですが、大泉さんは2年間の浪人時代を経て北海学園大学に入学しました。
 


大泉さん、現在の姿を見れば分かるように、根っからのお調子者で、子供の頃から割りとクラス、或いは学年の中心にいるような人でした。まず小学校の頃に落語にハマるという時点でTHE・大泉洋が形成されていきます。
 
家族旅行に行く車の中で母親が落語を聞いていたのがきっかけで落語にハマる。柳亭痴楽「ラブレター」、春風亭柳昇「課長の犬」「寄り合い酒」は暗記してしまうほど聞きこむ。周りの子はファミコンガンダムに熱中していたが、全く興味がなく友達とおしゃべりするのが生きがいという一風変った少年であった。授業中も毎日おしゃべりし過ぎで、とうとう先生に喉仏のところにガムテープを貼られる始末。*1  


見事に期待を裏切らない大泉少年ですが、その前にお母さん、家族旅行のお供に落語って(笑)。落語においてはどちらかというと柳亭痴楽さん(4代目)の方に影響を受けたのでは?と思います。名作「ラブレター」における話し方が、「水曜どうでしょう」で様々なキャラクターを演じたベースになっているように感じます。完全に個人的な印象ですが。




4代目 柳亭痴楽 ラブレター* - YouTube


 
そんな大泉さんは小学5年生の時に転校という経験をします。有名ですが、これがまた面白い話で。故恒三おじいさんと同居することになって江別から札幌へ引っ越しが決まったのですが、人気者の大泉さんが盛大なお別れ会をして帰宅すると、恒彦お父さんから「転校が延びたぞ!」と報告。お別れ会の次の日に登校するというなんともいたたまれない経験をします(笑)。結局「嘘つきじゃないか大泉!」と、オオカミ少年的な扱いのまま転校へと至ってしまいます。かわいそうに…。
 
はじめのうちは新しい学校になかなかなじめなかったが、得意の田中角栄、寅さんのモノマネでじわじわと友達を増やしていく。そして一泊校外学習の時初めて人前でネタを披露し、一躍スターになり、それと同時に「洋ちゃんブーム」を巻き起こす。*2

絶対に話を盛っているとは思いますが(笑)、そもそもクラスの中であまり目立たない子が校外学習でみんなの前で出し物をするということは滅多にないことで、モノマネで友達を増やし始めた時にはある程度の人気はあったと思います。校外学習でやったネタというのは、同級生と三人でファッション研究家のコントというもので、漫才というよりかはやはり演じることに通じるものだったのではないでしょうか。*3

この頃から遅刻ぐせがはじまり、登校の迎えに来た友人を玄関で何分も待たせる。しかし、祖父(故恒三さん)がラジオを玄関先に持って行き、待っている友人たちに聞かせてフォローしていたという涙ぐましいエピソードも。*4
 

本当に、大泉家って素敵ですよね。とにかく人を楽しませようとする意識は、ご家庭で培われたのではないかと思います。口達者なお母様に、イタズラ好きのお父様、芸術センスのあるお祖父様。見事に大泉さんに遺伝しています。


中学校の入学式で、スキーで骨折したため松葉杖をついて参加し、母に支えられながら退場した際に何故か拍手喝采になってしまった*5というエピソードも天性のコメディアンぶりを象徴しており、安田さんとは正反対の子供時代。昔から人を自然と笑わせる対象だった大泉さんですが、密かにコンプレックスを持っていました。


それは7歳年上のお兄さん。少し年の離れたお兄さんですが、これがまた成績優秀。大泉さんのご両親は教師をなさっているので、見事に受け継いだお兄さんだと感じます。札幌の進学校・札幌北高校から早稲田大学に入学したお兄さんを見て育った大泉さんは、自分も東京の大学に行くのだと流れで感じていたようですが、知らず知らずのうちにそれがプレッシャーになっていたようです。しかし、決して仲が悪い兄弟ではありません。


兄弟というと、僕には思い出す景色があります。よく子供の頃、暗くなるまで近所の公園で遊んでいると、ボロボロのジャージを着た兄貴が、「洋、ごはんだぞ」と迎えに来てくれました。夕焼けの中、ポケットに手をつっこみながら、めんどくさそうに僕を迎えに来る兄貴。その風景が、子供の頃の記憶として残っているのです。*6


それ相応の、年の離れた男兄弟の微妙な距離感。女の私には少し羨ましいくらいです。最初に大泉さんを知った時、あまりの奔放さに大泉さんは絶対に一人っ子だと思っていた私ですが(ごめんよ洋ちゃん)、可愛い弟だったようです。

 
そんな大泉さんは、現役時代に法政大学に合格しましたが、お兄さんと同じ早稲田大学を目指して進学せず、浪人生活を送ることになります。合格したのが法政大学だったというこれ、結構いろんなところに書かれていますが、情報ソースがあやふや。2007年のNHKトップランナー』の未公開SPだった気がするんですが、イマイチ断定できない…本編の『トップランナー』ではないことは確かなんですが。
 
 
ちなみに、面識は無かったようですが、現役時代にTBSの安住紳一郎アナウンサーと同じ予備校に通っていたようですね。*7
 
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この二人大好きです。さて、そんな孤独な浪人時代を大泉恒三さんがつけていた日記で振り返りましょう。
 
「平成6年2月10日。洋くん、北海学園大学入学試験。午後4時頃帰宅し、午後6時頃すぐに東京の大学受験のため出発。」
 
3月23日大泉洋くん、大学入試失敗。
洋くんは本年二浪しているので、希望校に入るべく、北大他、東京の六大学などの大学及び北海学園大学など10校ぐらいに挑戦したが、誠に残念ながら、力不足と言おうか、不運と言おうか、ついに北海学園大学のみで残りは全部失敗した。誠に情けない次第である。本人は無論、両親も情けないと思ったことであろう。仙台軍はユミコが一浪し、看護の福祉関係の私大へ入学。コウタロウくんは仙台で体育関係に有名な育英高校に入学し、まずまず一安心というところだ。札幌軍は惨敗した。結局、洋くんは北海学園大学に入学することだろう。」*8

 

洋くん惨敗(笑)。後から振り返ると大泉さん本人も笑いながら話していますが、当時は人生最大の一大事。大泉さんは途端に全てを投げ出すようになってしまいます。

 
人生で初めての挫折感と屈辱感を体験。来る日も来る日も部屋から一歩も出ず、しまいには大雨の日、家から傘も持たずに飛び出し風邪をこじらせて死んでやろうとするが、悲しいかな、こじらせるまでには至らなかった。登校はするものの、同じクラスにいるのは年下ばかりで全く馴染もうとせず、自分で壁を作っていた。そんなことではいけないと、入学から2ヶ月ぐらい経った時、サークル活動をしようと決断。落語研究会に入ろうと思ったが存在しなかったので、少々興味のあった芝居をやろうと演劇研究会に入部する。本人曰く、受動的人間がこれまでの人生の中で後にも先にもこれが能動的になった唯一の出来事だったという。(この時既に、森崎、安田、戸次が先輩、音尾も入部していたので、本来ならばNACS5番だったのではという説もある)*9
 
そう、実は音尾さんのほうが大泉さんよりも先に入部しているのです!しかし、入学二ヶ月くらいという期間は疑問に感じることがあり、次のエントリーで大泉さん入部の時系列をまとめたいと思います。という訳で、やさぐれた大泉さんが他のメンバーと最悪な出会いをする前に、少し時系列を戻して音尾さんがなぜ北海学園大学に入学したのか、演劇研究会に入部したのかをまとめます。
 
 
  • 小学校時代
親の勧めで6年間水泳をやるはめに。本人はあまり気乗りしないで水泳教室に通っていたが、大会では素晴らしい成績をおさめていた。
 
  • 中学校時代

水泳生活から解放され、特になんの部活をすることもなく、のほほーんとした3年を過ごす。

  • 高校時代
入学して間もない部活紹介の場で、新体操部の華麗なる技を目の当たりにし、洋画劇場でよく見ていたジャッキー・チェンのようになれるかもというとんでもない勘違いに気づかず、即入部。*10
 
こちらもTHE・音尾琢真といった感じで育ってきています。器用なので気乗りしないものでもいい成績をおさめられるし、根性はあるから続けられるし、でも何もしないときは何もしないでもいられる、自分でやりたいことを見つけたと思ったら突拍子も無い思考だった、という。個人的に、音尾さんが自分でやりたいと思ったこと=突拍子も無い思考というのが、前述した体操部への入部、後述する演劇研究会への入部を経てオッティオットマンにまで繋がっていて、ブレないなぁと感心します。
 
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安田さんもかなり変わった思考の持ち主ですが、私は音尾さんが一番変わっていると思っています。本気で意図がわからないときがあって、人間て面白いなっていうもはや動物学的観点にさせてくれる音尾さん。
 
 
国語の授業で教科書を読むと先生が「いい声だ」と褒めてくれ、また歌や踊りが好きだったことから、ミュージカルスターになりたいという夢を見ます。突拍子も無い。
 
 
高校の終わりくらいに「役者になりたい」という気持ちが芽生える。しかしながら目指していたのはなんとミュージカル役者!東京の芸大に行こうとしたが、親の反対もあり、演劇研究会のある北海学園大学へ。すぐさま演劇研究会の門をくぐる。*11
 
実は大阪芸大に合格して行く予定だったんですけど、「学費を払えないからダメだ」と親の猛烈な反対があり、行かせてもらえませんでした。*12


東京と大阪どっちなの音尾さんー!これはもう本人に聞くしかないと思いますが、個人的には大阪芸大が本当かな?と思っています。CUE HISTORY MUSEUMの方はインタビュー形式で、会報の方はスタッフがまとめた生い立ちという感じなので、大阪芸大の方が本当なのではないかと踏んでいます。
 
 
  • 1994年
4月
大泉洋音尾琢真北海学園大学経済学部入学。
森崎、4年生に進級(在籍5年目)。
安田、3年生に進級。OOPARTS公演『HOMO-SAPIENS』出演。
戸次、2年生に進級。
 
 
やっと入学〜。音尾さんは戸次さん同様、演劇がやりたくて入部した新入部員でした。しかし、音尾さんの背中を更に演劇研究会へと押した人物が、実はひとり。
 
音尾:爽やかすぎたよね。僕は、新入生の時の部紹介で戸次さんを初めて見たんですよ。ステージに当時の会長とイケメンがひとり立ってて、それが戸次さんだった。僕、正直それまで演劇部ってものに、あんまりいいイメージがなくてね。
大泉:なかったよね、あの頃。
音尾:中学や高校の演劇部って、美男美女が集うような華やかなイメージってなかったでしょ。だから大学でもそうかと思ってたんだけど、戸次さんを見て、「こんな爽やかな人がいるなら、入ってもいいかも」と思ったんですよ。
大泉:じゃあ、戸次さんのおかげで今があると言ってもいいくらいだ。
音尾:そうですね。まあ、安田さんでも大丈夫だったけど、森崎さんだとちょっと…。*13
 
戸次さんを見てイケメンがいるから入ってもいいかも、なんていう少女漫画の主人公のような気持ちだったとは(笑)。こうして入学早々に演劇研究会の門を叩いた音尾さんは、当時在籍5年目で演劇研究会の会長も引退し、ヌシと呼ばれていた森崎さんと出会います。森崎さんの右腕である安田さんは3年生に進級していましたが、前述の音尾さんが戸次さんを初めて見た発言でも別の方が会長であったようですし、安田さんが会長になったという話は聞いたことがないので、その性格からおそらく全力で遠慮したのでしょう。
 
 
音尾:発声練習を教えてもらっている時に、バーンと大会議室の扉が力強く開いて、「あーえーいーうー!」と、すごい声を出しながら入ってきた人がいたの。青いジャージを着て。*14
 
リアル扉をバーン!です。森崎さんて本当にキャラクターみたいな人ですよね。大泉さんは絶賛やさぐれ中でありましたが、音尾さんは前のエントリーでも少し出た森崎さんの名言「世界の弟」キャラを発揮。新入部員が初めて参加する日に、意気揚々とやってきた森崎さんは、演劇がやりたいと入ってきた同じ高校出身の弟キャラ・音尾さんを初日からたいそう気に入ります。こんな最強データ、森崎さんが好きになる要素しかない。
 
森崎:そしてその夜、君を飲みに連れて行ったと記憶しています。ただ、他に一緒にいくというやつが5講目があって、俺達はもう4時前から待ってるんだけど、そいつの講義が終わるのが6時くらいになて…まぁ、俺はそれシゲだったと思ってるんだよね。安田とシゲだったと思ってるんだけど、それを待ってたんだ。で、待っている間にきみとあと山下っていう男と、3人でトランプをした記憶がある。負けた奴は1枚脱いでいくって決まりをつくって。
音尾:あー、それは覚えがあります!
森崎:で、まずお前は、入部早々パンツ一丁にさせられた(笑)
音尾:それって、入部そうそうだっけ?
森崎:だと思ってる。俺はね。俺はあんまり負けないんだけど、まず負けてズボン脱いで、2回め負けた時にパンツを脱いだんだよな。そん時にお前がものすごく喜んだのを覚えている。
音尾:「まず、ズボンからすか!」って喜んだ気がする。
森崎:だからその時、なにか感じたんだろうね、俺も。「ハッ…こいつは…」っていう(笑)。「俺がパンツを脱いだ時にこいつは指を差して笑った!引いてない!」っていうものを感じたんだろうな。*15
 
森崎さんが安田さんと戸次さんの授業が終わるのを待っている間に音尾さんと意気投合。もともとの感性が人とはちょっとずれてる集団・ナックスが見事に集まっていく…。またもや、現役合格の音尾さん(3月誕生日の早生まれ)の入学早々なんてバリバリ未成年ですが「飲みに連れて行く」と載せちゃうOFFICE CUE(笑)。


また、この頃安田さんは順調にOOPARTSの舞台に立っていましたが、4月に「HOMO-SAPIENS」という公演で必死に覚えたダンスのあとに舞台から飛び降りて捻挫してしまったそうです。
 
 
安田:OOPARTSという鈴井貴之さんがやってた劇団があるんですけれども。
(中略)そこでの舞台でねえ、ファクトリーホールでやったんですよ。もう何年前でしょうねえ?1994年とかだから、もうずいぶん前ですねえ。10年くらい前でしょうかね?踊りながら人に持ち上げられて、その2階ぐらいの高さから落とされるっていう役をやったんですね。
僕必死にやってたんですけど、今考えるとスポットライトも何も浴びてなくて、誰も僕が落ちたことは分からなかったんだけど(笑)。元々その設定上落ちるっていう設定だったんですけれども、下にクッションかなんかあるのかな?って。何も無いんですねえ。「段ボールをとにかくバーッと並べとくから、そこ目がけて落ちてください」って言われたんですよ。
でも私の場合やはり天才ですから、もちろん段ボールなんかは落ちないワケですね。段ボールとちょっとずれたところにガタッと落ちましてね、捻挫をしたままやったとかね。*16
  
音尾さんと大泉さんが出会った頃の天才・安田さんは捻挫していたようです。それはさておき、会場はサッポロファクトリーホールなので、安田さんは他の4人よりも大きな会場で公演する経験が早かったのではないでしょうか。

 
さて。とりあえず、ナックス4人は一足早く形成されました。いつまで経ってもイジられる弟キャラの音尾さんですが、お芝居に対しての真摯な姿勢や物事を合理的に捉える面をメンバーは評価しています。何事も器用に飄々とこなす音尾さんですが、お兄ちゃん達4人はそれ以外のちょっぴりおバカな弟気質を「変わらないでいてほしい」と口を揃えて言います。
 
  
私は以前、音尾さんはナックスの末っ子、弟をきちんと自負していると知り、こりゃ絶対に変わらない!と感じました。
  
今後もたっぷり甘えていきたいですけど…ただ待って、お兄ちゃん達。僕はお兄ちゃん達に甘えていくけれども、「最強の弟」になるよ、と。「最強の弟」として使ってちょうだい、ということですね。今後の展望は「最強の弟」で!*17
 
自らこんな弟発言をできるなんて、結局4人は「最強の弟」の掌の上なのかもしれない。
 
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さて、次回はいよいよやさぐれた大泉さんがみんなと馴染んでいく様子を、地方公演を軸に時系列でまとめたいと思います。大泉さん、話がお上手ですが、正確さに欠けるので(笑)、見解も含めて時系列にまとめると、いかに5人が急速に仲良くなったかが浮き彫りになります!日数にして見ると本当に面白いです。しばしお待ちを!
 


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*1:会報2004年6月号より

*2:会報2004年6月号より

*3:『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』特典DVD「NACS CAMP2004」 

*4:会報2004年6月号より

*5:会報2004年6月号より

*6:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

*7:TBS『ぴったんこカンカン』2012年12月14日放送

*8:AIR-G’GOLGOLGO』2001年8月17日放送

*9:会報2004年6月号より

*10:会報2002年9月号より

*11:会報2002年9月号より

*12:CUE HISTORY MUSEUMより

*13:『下荒井兄弟の、スプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

*14:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より

*15:会報2006年3月号および『TEAM NACS TEN』より

*16:AIR-G'『GOLGOLGO』2003年8月1日放送

*17:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより

北海学園大学演劇研究会まとめ~可愛い後輩シゲと憧れの先輩二人~

さて、前回からスタートした北海学園大学演劇研究会のまとめ。今回は役者になろうと意気込んで入ってくる、新入部員・戸次重幸さん編です。

戸次さんは2008年1月1日から名字を「戸次」という芸名にしましたが、それまではずっと本名の「佐藤」で活動していました。NACSをあまり知らない方が読んでくださっている場合、名前がいくつも出てくるとごっちゃになってしまうと思うので、当時のインタビュー等で「佐藤」と書かれているものや呼ばれているものは、すべて「戸次」に変えさせていただきました。逆にわかりにくかったらすいません。


まず、戸次さんは安田さんと同い年ですが、一年浪人しているため、安田さんの一学年下の後輩ということになります。しかし、その浪人中に戸次さんは役者を志すのです。


高校時代、「格好いいと思ったから」という理由で弓道部に入部。高3の時には個人で全道大会まで進みましたが、一方でかなりのオタクだった戸次さん。

テーブルトーク型のRPGにはまり、自分でせこせこ作ったフィギュアを使っていた。アニメの他に「ドラクエ」がきっかけで、SFもの、推理ものの小説を読みふける毎日。相当に暗かったらしい。当然のごとく女の子には無縁で、いつも「一生童貞だろうな」と諦めきっていた。*1

今やナックスの二大イケメンと言われている安田さんと戸次さんですが、戸次さんの中学時代のあだ名は「のび太」。二人共暗くて話しかけにくいというか、自ら壁を作っているというか。元々の素材が良かったのが救いです。


個人的に、ジャニーズで育ったのでイケメンはもちろん好きですが、TEAM NACSは格好よければ格好よいほど笑えてくる特殊な集団だと再認識しました。格好いいのを生業としていないからか、なぜかこういう写真を見ると笑ってしまう。


戸次さんはオタク活動の影響で大学受験に失敗。浪人生活を送ることになってしまいますが、彼にとっての転機となる出来事が2つ。


まずひとつは、中二の時からずっと好きだった女の子に、ついに告白して撃沈したことです。別の高校に行ったけれどずっと好きだった女の子。近所に住んでいたため、電話で呼び出して告白をしましたが、あっさり振られました。そこで戸次さんは「なんだよ!振られるならもっと早く言って、早く振られれば次に進めたのに!」と思ったそうです。*2


しかし、この出来事はいささか遅かったかもしれませんが、戸次さんを前に進めてくれました。

1992年。ついに自分改革に目覚める。メガネからコンタクトに変え、タバコをおぼえ、メンズノンノでファッション勉強を始める。その甲斐あってか、すぐに彼女ができる。*3

会報なのに、ハタチになってない年にタバコをおぼえって書いちゃうんだね(笑)!いやぁ、すっかり垢抜けました、戸次さん。そして戸次さんにはもうひとつの大事な転機が。


テレビでやっていたブルーリボン賞の授賞式でイッセー尾形さんの一人芝居を見たことがきっかけで「演劇がやりたい!」と思ったそうです。これは有名な話ですが、戸次さんのが発言が少々疑問。


浪人中ということは1993年2月のブルーリボン賞の授賞式のはずなのですが、この年のブルーリボン賞イッセー尾形さんの受賞はなし。ノミネートまで範囲を広げるとデータを探せなかったので分かりませんが…。そして、戸次さんが言う「タクシーを待つ人」という名前のイッセーさんのお芝居はなく、おそらく「ヘイタクシー」のことだと思われます。酔っ払ったサラリーマンが帰りのタクシーを捕まえようとするもなかなか捕まらず、寒いからビルとビルの隙間に入ったら抜けなくなってしまったという話。



イッセー尾形 -ヘイタクシー part 1/2- - YouTube

イッセー尾形 -ヘイタクシー part 2/2- - YouTube

衝撃的な出会いに一気に芝居へのボルテージが高まり、いろいろな劇団の舞台を見始める。大学受験を辞めて芝居の道に進もうとするが、母の説得により大学だけは出ておこうと決める。*4


2月ってあんたがっつり入試の時期じゃないの!そりゃお母さん泣いて止めるわ!そしてはっきりした性格の戸次さんはお母さんの言葉に「それもそうだな!とりあえず大学は出ておこう!」と思い、地元の北海学園大学に入学します。

  • 1993年

4月
戸次重幸、北海学園大学工学部入部。
森崎、3年生に進級(在籍4年目)。テレビ初出演。
安田、2年生に進級。テレビ初出演。OFFICE CUEに所属。


実は戸次さんの在籍していた工学部は、他の4人が通っていた豊平キャンパスとは別の、山鼻キャンパスに通うのですが、1年生のみ豊平キャンパスで授業を受けていました。演劇研究会があった文科系部室棟(通称:文化棟)も豊平キャンパス。


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*5

彼は豊平キャンパスに入り浸っていた影響で留年しまくったのではないかと思いますが、元々頭が悪い人ではないので、音尾さんの卒業まではいようかな、なんて考えもあったように思います。

安田:僕が覚えているのは、シゲがよく部室でギターを弾いてたことかな。あと、ドライヤーかけてる姿。
森崎:ドライヤー、かけてたね!
大泉:髪、いっつも決まってましたからね。こんな大きなスプレーを持ってて。
音尾:VO5ね。
森崎:そうだ(笑)。あいつがきてから、ものすごい部室がスプレー臭くなってさ(笑)。でも、シゲは基本的に爽やかだったよね。俺は大学時代、こんなにかわいい後輩はいないと思ったね。シゲってすごい気がつくし、動くし、何でも一生懸命じゃない。すごくいい子だなと思って。
大泉:それが今や、シゲに爽やかなイメージなんて……。
全員:まったくないね。
森崎:いつからか「うっとうしい」に変わったよね。
大泉:学生時代は、ここまでではなかったと思うんだけど。
森崎:仕事で食えるようになってからかな?
音尾:そうでもない。貧乏なときも、それはそれでうっとうしかった。

安田:でもね、他の現場での彼は違うんですよ。今、一緒に仕事してる役者さんが、ある仕事で戸次くんと一緒だったんだけど、彼が「いやー、戸次くんは大人だね」と。
全員:ほお~~。
安田:っていうことだから、ナックスに対して気を許しているというか、身内だと思ってるんじゃないですか。
大泉:言ってますよね。「とにかく、ナックスがいる現場は楽しい」と。「だろうな」と、我々も見てて思いますけど。
音尾:たぶん、決して仲良くなりすぎてはいけない人だったんでしょうね。
森崎:なるほど、心を許しすぎたね(笑)*6

それはそれでうっとうしかったって、音尾さんひどい(笑)。楽しいことが周囲に手に取るように伝わっているのに、楽しい!と伝えようとする戸次さんは本当に素直な人です。戸次さん曰く、反論としてVO5はダイエースプレーがないときに使っていたもので、基本的にはダイエースプレーだったそうです。どうでもいいですけど(笑)。

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新入生の戸次さんは迷わず演劇研究会の門を叩きます。森崎さんは、この年は無事に進級できたようで3年生になっていましたが、在籍年数では4年生と同じ為、森崎さんが演劇研究会の会長となりました。しかし、前回のエントリーのように他の部員たちとはうまく行かず、安田さんが潤滑油の日々。

入学早々、演劇研究会に入部。先輩に森崎、安田がいた。それぞれ既にイナダ組、OOPARTSに参加していた。役者としてのフィールドを広げるため、森崎の紹介でイナダ組に参加。*7


演劇がやりたい!と入部してきた戸次さんにとって、他の社会人劇団に入って演劇をやっている森崎先輩と安田先輩は憧れの先輩でした。


前回のエントリーでも話しましたが、後に現事務所の社長・会長となる鈴井さんが主催していた劇団OOPARTSに、安田さんは森崎さんの身代わりとして差し出されました。身代わりとはいえ、安田さんは進んでOOPARTSに入ることを決めました。札幌にあった劇場でNACSもよく芝居をしていたルネッサンス・マリアテアトロ』という劇場、実は1993年当時『本多小劇場』という名前だったそうです。東京のあの有名な本多劇場との関係はよく分かりませんが、そこでは『本多小劇場遊戯祭』という札幌のいろいろな劇団が集まった演劇フェスティバルをやっていたそうです。当時、棚卸しのバイトをしていた安田さんは同じバイト仲間にOOPARTSの制作をやっている人がおり、その方からチケットを買い、OOPARTSのお芝居を観劇したことがありました。

そのお芝居を見て「そうか。お芝居ってこんなことが出来るんだ」っていうのを感じたわけです。で、それからたまたまお誘いの話があったので「それはもう是非是非!」と答えました。本当に最初に感銘を受けたお芝居、それが社長の主催するOOPARTSのお芝居だったんです。*8


まだお芝居を始めたばかりの安田さんにはとても衝撃だったようです。そして鈴井さんに気に入られた安田さんは、鈴井さんが立ち上げたばかりであった芸能事務所・CRIATIVE OFFICE CUEにタレントとして所属することになります。鈴井さんといえば『水曜どうでしょう』のイメージから大泉さんと長い付き合いであるというイメージもありますが、TEAM NACSの中で一番の古株は安田さん。捉え方を変えると、5人が出会う前から事務所に所属していた人がいて、でも友達から関係は始まって、結成したからといって他の全員が同時に事務所に所属した訳ではなく、バラバラというとても珍しいグループです。


そんな鈴井さんが企画・出演していたHTBの番組『週刊NANだCANだ』に、2年生に進級したばかりの安田さんは出演。初めてテレビに出ました。これは戸次さんから見れば憧れの的でしょう。そしてとにかくこの頃、戸次さんは森崎先輩が大好きで、かなり感化されていきます。

森崎:かなり変えていこうとしたからねぇ。
戸次:だからやっぱり尊敬しましたよ。リーダーの「公演を打つ」っていうことへの考え方を。例えば「チケットノルマ」の考え方。ノルマを”課す”っていう風にしてたから、リーダーは。1人30枚だっけ?50枚だっけ?やっぱりきついわけですよ。お金がない、自分の友達に買ってくれっていうのは。
森崎:チケット500円だったけどね(笑)
戸次:それでもただでさえ敷居の高い演劇だったから、普通に考えたらやっぱり本当に仲の良い友達2、3人にしか売れない。だけどそうじゃだめだ、と。1回公演を打つっていうことはそれをビジネスにしなきゃいけない。それでオレも定期公演の時に頑張ってノルマ売ってましたね。オレ、やっぱりそれは大事なことだったと思う。リーダーが持ってきた意識、社会人劇団からウチの研究会に持ってきてくれた意識っていうのはすごく大事なものだったと思うし、それがあったからNACSが多くの人に見てもらえるようになった、ていうか結成に至ったていうのは絶対言い過ぎじゃない。*9


すげー熱く語ってる、戸次さん。前のエントリーでふと書いた、演劇に対する考え方が似ているから5人組になった、というのはあながち間違っていないのかもしれません。

森崎:これ言ったことないかもしれないけど、究極の弟気質が入ってきたなって思ったの。TEAM NACSって5人いるけど、オレ以外の4人ってみんな実際に「弟」なんだよ。実のお兄ちゃんかお姉ちゃんが必ずいる。オレだけお兄ちゃんで、オレにしてみりゃ「ズルいな4人はー!」っていうことがよくあったりしたんだけど。
戸次:そりゃそうだ。今でもそう(笑)
森崎:当時は安田が骨組みをしっかり守ってくれてたから、シゲの存在がすっごい弟に感じて。「世の中にはこんなに甘えた子がいるんだ!」って思ってた。そしたらその1年後に、音尾ってのが入ってきてね(笑)。
戸次:これがオレを超えた!
森崎:上には上がいるんだなぁ(笑)。音尾っていうのは本当に世界の弟だと思うな。音尾が入ってくるまではシゲがすごい「弟」という…もちろん後輩としてめんこい(かわいい)っていうのもあるけども、「気ままですねぇ」「その日を生きてるよねぇ」って思ってた。*10


森崎さんは戸次さんを、可愛い後輩だけど、もはや可愛い弟として見てたってのが可愛い(可愛いの乱用)。「世界の弟」っていう音尾さんへの名言も出ちゃってますが(笑)、「世の中にはこんなに甘えた子がいるんだ!」と思った子と、その時に骨組みをしっかり守ってくれていた子は同い年なんだよ森崎さん…!森崎さんは絶対に真ん中三人を同い年と捉えてない。そんな森崎さんは、すぐに戸次さんをイナダ組へと連れて行きます。



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↑当時の、森崎さんが大好きすぎる戸次さん。出会ってすぐここまで仲良くなるものなのか、人ってのは。なんかやっぱりちょっとそっちの気があるんじゃないかと思われても仕方ないと思う、この写真(笑)。



森崎さんの考え方に感化されていたのは、戸次さんだけではありません。当時戸次さんの先輩とはいえ、まだ入部半年にもならず、しかし森崎さんの右腕であった安田さん。直接隣で学びながら、彼は行動でも思考でも森崎さんに付いて行っていました。

森崎:「チケットを売らなきゃダメだよ」「ノルマを課さなきゃだめだよ」って言っている中で一番苦労したのはやっぱり安田顕だった訳ですよ。安田顕がそのときチケット管理をしてて、今で言う”制作”ていう仕事を全部やってくれてたの。
安田:やりかたもわかんないし、こういう性格だからさ、あんまりできなかったんだけど(笑)。
森崎:当時ぼくはそういうことを全部安田さんに押し付けちゃってて。
安田:なんか「森崎さーん!」っていう慕う気持ちがあったんだよ、当時はね…いや、今ももちろんあるけど(笑)。例えるとね、森崎さんは遠くにいるのさ。遠くの岸辺から「なぁぁぁぁああーっ!!」って叫んでる(笑)。それをシゲとかぼくとかが反対側の岸からこう、渋々見てるんだよね(笑)。で「あれ?たぶん誰かいないとこれ、岸にたどり着かんぞあの人」みたいな感じで、かなり離れてる向こう岸まで一生懸命漕いでいった…そういう感じじゃないかな。ほとんどの人がやっぱり傍観してたと思うよ。*11


そして同じ志を持った三人は、夜な夜な飲み明かし、演劇研究会を変えよう!と語り合っていました。着実にTEAM NACS結成へと向かうトライアングル体制ができていきます。

森崎:でもやっぱりあまりクセがなくって、メインを張れる役者さんだなっていうのは当時みんな第一印象から思ってた。で、「こっち来い」って戸次くんを牽引した。
戸次:牽引?
森崎:安田と一緒に引っ張った。「あいつこっちに引き込め」って言って(笑)。
戸次:ところじゃ飲み会じゃ安田さんが誘ってもオレは行かないわけですよ(笑)。単純に飲み会が面倒くさくなっちゃって。ガンガン飲むでしょ?楽しい時もあったんですけど、なんか面倒くさくなっちゃって。大学生=酒飲むっていうのはオレは嫌で嫌でしょうがなくて。話が飛んじゃうけど、リーダーとかヤスケンがいなくなってオレが一番上の学年になったときは「あのね、お酒は味わって飲もう!」って言ったの(笑)。「イッキとかやめよう!もったいないじゃん!」ってイッキをやめさせました(笑)。*12


このシゲちゃんすごい共感する~!私お酒好きなんですけど、味わって飲むタイプなんで学生のノリの飲み会が好きじゃなかったです。テンション上がって声が大きくなるのはまだ許せるけど、無理やりコール始めてうるさくなるのが最高に苦手でした(笑)。私事で話が逸れましたが、以前ラジオでこんな会話がありました。

安田:シゲに最初に手を差し伸べたのは俺なんだよ。
戸次:なんだよ手を差し伸べたって(笑)
安田:戸次くん、来週の飲み会一緒に行かない?って俺が初めてシゲの家に電話したんだよ。
音尾:新歓コンパに来なかったシゲですよね?*13


聴いた当初は「へぇー、顕さん優しい」としか思ってなかったんですが、それが森崎先輩からの「安田、あいつをこっちに引き込め」という指示のもと動いていたとしたら従順で笑える(笑)。そんな三人が初めて一緒に舞台を踏んだのは、地方公演という、毎年6月に行われる北海学園大学の文科系サークルが地方の生徒数の少ない小中学校に出向き、出し物をする活動での公演。

地方公演は、昭和38年に吹奏楽団を中心とする本学音楽系サークルが、キャラバン隊を編成し、地方の比較的「生の文化」に接することの少ない児童生徒を対象として演奏会を行ったのが始まりです。

この地方公演は、毎年6月に実施され、文化協議会本部・演劇研究会・音楽系サークルからなる50名程度の一団を組織し、一週間程の日程で道内各地を巡回公演し、教育委員会や会場となる小中学校の後援・協力を得ながら、今年度で50回を迎えました。*14


この地方公演(通称・地演)で彼らが好きそうなジャンルの名作映画『ブルースブラザーズ』のような児童劇、『我ら宝島探検隊』というものをやったそうです。主演はなんと、入りたての戸次さん。まだ入部して2ヶ月なのにすごい。そして森崎さんはチビッコがキャーキャー言う中、『ブルースブラザーズ』の格好をして客席から登場して盛り上げる相手役に安田さんを指名。すっかり二人はコンビ扱い。


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安田:地方公演で一緒にブルースブラザーズみたいなことをやったんですよ。
森崎:あ〜、やったやったやった。
安田:彼は、処女作は『CHAIR』じゃなくて、児童劇の『我ら宝島探検隊』っていう作品なんですよ。
森崎:でも封印してますから(笑)。
安田:いいだけ子供達を騒がせた後、「うるさ〜い!」って一喝してたのが森崎さんだ(笑)
森崎:そうだそうだ。シゲが主役で、僕らが悪役。やっぱり地方公演って大きいんだよ。NACSも地方公演で結成したようなもんだし。*15

子供相手に尖ってるなぁ、森崎さん(笑)。可愛いジャイアンみたいな人です。この『我ら宝島探検隊』という森崎さんの処女作の題名、森崎さんだけではなく安田さんも戸次さんも、20年経っても正確に言えるところがなんとなく彼らの好きなところです。


10月
森崎・安田、HTB『モザイクな夜』コーナー企画に出演。

鈴井さんが構成作家として参加していたHTBの深夜番組『モザイクな夜』に二人が出演。おそらく、森崎さんはこの時がテレビデビューでしょう。知っている人も多いでしょうが、この『モザイクな夜』は『水曜どうでしょう』の前身番組。二人の映る放送は見たことがないので分かりませんが、かなり際どい企画ばかりだったため、身体を張ったものだと予想しています。


12月
安田、『Three Stories IV』にてOOPARTS初舞台。


安田さん、OOPARTSに所属して1年近く経って、やっと出演することができました。すでに名前が変わった後のルネッサンス・マリアテアトロでの公演でした。


やはり大泉さん音尾さんが入って5人になってからのほうがエピソードは沢山あり、新入部員・戸次さんネタは尽きましたが、この三人時代は「良くしていこう、良くしていこう」と踏ん張っていた印象ばかりが残ります。しかし、実は今後5人が揃い、活動している現在に向けて大事な出来事が。


演劇研究会の部員を増やすために、演劇研究会という名前を見直し、もっと親しみやすい名前にしようと、愛称を考え始めたのです。おそらく言い出したのは森崎さんで、賛同したのは安田さん戸次さんの二人でしょう(笑)。以前、地演で「甘えん坊のノックス」という役を演じた森崎さん。森崎さんの声が大きすぎるあまり、発音が悪くなって(演劇として本末転倒)、ノックスがナックスに聞こえてしまったのですが、「かわいい感じでいい!」という理由によりひらがなで「なっくす」という愛称を提案しました。


そう、ここで「ナックス」というワードが誕生しているのです!後に芸能活動する名前になるとはとてもじゃないけど思わないきっかけ(笑)。恥ずかしくて誰も使わず、結局「北海学園演劇研究会」のまま翌年の新入生勧誘「サークルガイダンス」へと向かうのですが、そこで入部したのが大泉さんと音尾さん。「なっくす」になっていなくて良かったのかは不明です(笑)。


さてさて、1993年からリーダーを慕い続けてすでに20年以上の戸次さん。彼はとても素直な人間なので、自分の気持ちをストレートに言うことができます。

俺ももちろんナックスのことを愛してるけど、リーダーが一番(ナックスを)愛してる。

解散の危機は正直ありました。でも俺の場合はリーダーの事も考えた。もしいま辞めたらリーダーはどんな思いになるんだろうって。俺の場合は半分以上はそれだね。森崎博之さんという人がいたから続けようと思った。*16


しかしそれは時に、森崎さんとぶつかる原因にもなります。お互いに当時から役者として、友達として本気の関係だからぶつかるわけですが、そんな後輩・戸次さんの姿を一歩引いた場所から一番長く見てきているのは、安田さん。

表面的には誤解されやすい奴だと思うんです。少しキツめの発言を、あっさり口にしたりするもんだから。でも、実際つきあってみると、あんなに無邪気で可愛い人はいない。楽しいことがあると、何も見えなくなるくらいに一人ではしゃいじゃうんですよ。それはもう、周りのテンションが下がっちゃうほどの勢いで(笑)。その姿は本当におもしろいんですよねぇ。だから実のところ、彼が思ってるよりもずっと、僕は彼のことが好きです。*17


戸次さんは、森崎さんにとって可愛い後輩でもあるけれど、安田さんにとっても可愛い後輩でもあるんですね。同い年とはいえ、安田さんにとっては初めて接する後輩でしょうから、とても嬉しい存在だったと思います。頑張って引っ張る森崎さんを一生懸命慕う安田さん戸次さんという三角形の図は、翌年入ってくる天パのやたら面白い男によってガラッと変わります。


次回は、初めての挫折を経験した人気者・大泉洋&ミュージカルスターになりたかった音尾琢真編です。もしかすると大泉編と音尾編に分けるかもしれません。とりあえず第一印象から仲良くなったきっかけまでを描けたらと。そのさらに次に、とにかく5人で楽しく大学生活を謳歌する怒涛の爆笑エピソードを放り込もうかと。もはや箇条書きでも面白いからすごいんですが、頑張ってまとめられたらと思います。しばしお待ちを…




1.
北海学園大学演劇研究会まとめ~ポジ×ネガのワンツー~ - それってつまり結局は

3.北海学園大学演劇研究会まとめ~きら星の挫折と世界の弟~ - それってつまり結局は

4.北海学園大学演劇研究会まとめ~エースとの最悪の出会い~ - それってつまり結局は

5.
北海学園大学演劇研究会まとめ〜キャンプにバンドに初舞台〜 - それってつまり結局は

6.
北海学園大学演劇研究会まとめ~解散までの前編・伝説の旭川旅行~ - それってつまり結局は

7.
北海学園大学演劇研究会まとめ~TEAM NACS解散~ - それってつまり結局は

8.
北海学園大学演劇研究会まとめ〜森崎博之の決意〜 - それってつまり結局は

9.
北海学園大学演劇研究会の 5人がTEAM NACS に就職した話 - それってつまり結局は

10.
北海学園大学演劇研究会の 5人がTEAM NACS に就職した話 その2 - それってつまり結局は





*1:会報2003年9月号より

*2:NACS GOTTA ME!』2004年6月5日放送

*3:会報2003年9月号より

*4:会報2003年9月号より

*5:北海学園大学HPより

*6:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレットより

*7:会報2003年9月号より

*8:CUE HISTORY MUSEUMより

*9:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*10:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*11:会報2006年9月号および『TEAM NACS TEN』より

*12:会報2006年6月号および『TEAM NACS TEN』より

*13:NACS GOTTA ME!』2002年5月25日放送

*14:北海学園大学HPより

*15:会報2006年9月号および『TEAM NACS TEN』より

*16:ハナタレナックス特別企画 演劇ユニット TEAM NACSの真実』

*17:『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』パンフレットより

北海学園大学演劇研究会まとめ~ポジ×ネガのワンツー~

私は幼稚園の時にSMAPを好きになってから、思春期の頃には嵐を好きになったり、周りの子と同じようになんとなくジャニーズを好きになっていくありふれた生活をしていました。

 

そんな時、彗星の如く現れたのが、面長で天パのとてもイケメンとは言えないよく喋る男だった。

 

当時、水曜深夜に嵐の番組『Dの嵐』が放送されており、私はそれを毎週録画していました。親があまりテレビに興味のない人だったため、お年玉など自分のお金を貯めて買ったレコーダーは、今では当然のようにある毎週録画機能がついていない物。番組表が出ている限り先の録画予約をいそいそとしていたわけですが、ある時ボタンを押し間違え、日本テレビではなくテレビ埼玉を録画してしまったことがありました。

 

そして、その当時水曜深夜にテレビ埼玉で放送されていたのが、『水曜どうでしょう』だったのです。

 

たまたま録画してしまったその回は、あの有名な一生どうでしょうします宣言の回で、風邪をひいていて明日も早いのに寝るのを邪魔された男の文句がずっと流れていたのだが、立て板に水とはこのことだ!とそのトークに度肝を抜かれた。彼が舞台役者であることも大きいと思われるが、コメディドラマでも無いのに噛まずに面白いことを面白いテンポで話す人間を初めて見た衝撃は今でも忘れられない。

 

そして毎週『水曜どうでしょう』も録画するようになり(ありがたいことにリピート放送をしていたので、カブの旅が終わった次の週にサイコロ1が番組表に載っていた時にはとても嬉しかった)、あれよあれよという間に大泉さんだけでなくTEAM NACSにハマっていた。理由は分かっている。5人組だったからだ。SMAP、嵐を好きになった私が大好物の基本データ。

 

リーダーがリーダーと呼ばれていて、上二人は夫婦のようで、自他共に認める双子みたいな仲良し二人組がいて、みんなからいじられ可愛がられる末っ子がいて。ジャニーズ5人組グループと似ている部分も多い彼らだが、彼らにあって、ジャニーズに無いあることがとても魅力的だった。

 

それは、芸能活動で出会ったわけではなく、普通の友達から始まり、自分達で仕事仲間になることを選んだということ。

 

私は友達と仕事をしようと思ったことはまだないし、彼らの友達としてのスタートはハタチ前後の大学時代。小さい頃から一緒だった訳ではないのに、どうやってその絆が生まれたんだろうか。

 

これはかなり興味深い事だった。とても探究心を引き寄せられる事実。そして確かに垣間見える、仕事仲間ではない親友に戻っているように見える瞬間。

 

こうしてどんどん彼らのファンになり、詳しく知りたいと思った際にある一点がもどかしいと感じていた。それは情報が少ないということ。

 

ジャニーズ事務所に所属しているタレントには莫大な数のファンがいて、中には「歩くジャニーズ百科事典では?」と思うほど詳しい人も少なくはない。しかし、TEAM NACSは北海道のローカルタレントだ。いくら全国公演の舞台で7万人を動員しようとも、きたえーるや真駒内アイスアリーナを満席にできようとも、主演映画がヒットしようとも、5人揃うレギュラー番組は北海道でしか放送していなく、私が好きになった2004年当時は多いとは言えないファンも貴重な人材でだった。

ジャニーズの場合、エピソードなどは誰かがまとめてくれるだろうと思っていると誰かがまとめてくれたりするし、自分が好きになったのが遅くとも、好きになる前の若い頃の姿を見る方法は大いにある。しかし、しがないローカルタレントは全てが貴重になってしまうのだ。「あれ、あの話いつのラジオだったっけ」なんて思って検索して見ても出てこないことも沢山ある。

 

ならば、己を信じて己を百科事典にするしかない。いつ見たってグッとくるエピソードを、いつも見れるようにしたい。 そう思って、この文章をまとめることにした。

かなり前置きが長くなりましたが、いよいよ始めます!映像からの引用は多少言い回しが違うかもしれませんがご容赦を。

  
 
  • 1990年4月

森崎博之北海学園大学法学部入学。

北海道旭川西高校から指定校推薦で入学。小学校の時からクラス委員をやったり、合唱コンクールでは指揮者をしたり、学校祭でみんなをまとめたりと昔からリーダー気質だった森崎さん。学校祭なども大好きで、高校時代はバンドやダンスも経験した森崎さんは、サークルの新入生勧誘で演劇研究会を見つけます。
 
高校時代に物凄く燃えたのが学校祭。その時からリーダーでした。とにかく学祭が好きだったり、あと僕バンドも趣味でやってたんで、準備をして仲間たちと一緒にやれることがいいぞ、と思ってて。そういう意味で考えていくと選択肢の一番最後の方に「あぁ、芝居っつーのもあるなぁ」と思って。で、選択肢の中で考えていくと、「一番総合的にできるのは芝居だなぁ、そういえば昔から学芸会とか好きだったぞ」と思って。じゃあ、やってみようかって*1
 
安田さんが入部してくるまでの2年間の森崎さんについての話は、あまり聞かないので分かりません。しかし、情熱的な人ですし、新入生の中でも演劇に対して熱心だったのではないでしょうか。率先して先輩の手伝いをしたりしていたかは微妙です。なんせ、森崎さんは学生時代かなり尖っていたからです。演劇にハマったが故に、割と自分の価値観を押し付けてしまいがちで、メンバーはよく「学生時代のリーダーはジャイアンだった」と言っています。2012年にはリーダーとして「守りながら攻めている」*2と発言していますが、当時は攻めてばっかりだったようです。
 
  • 1992年4月
 
北海道室蘭栄高校を卒業後、目指していた札幌の別の大学に落ちてしまい、滑り止めの北海学園大学へ。エッセイで「志望校に一つもひっかからなかった」と語っていた時は納得がいきました。室蘭栄高校そこそこ頭いいですもんね。 
北海道室蘭市本町一丁目四十六番地 (幻冬舎文庫)
 

余談として、後に年表で話しますが大泉さんが東京の大学を目指していて、一年目に受かったけれどお兄さんの早稲田を超えたくて浪人二年目を選び、失敗して学園大に入ったことと、戸次さんが大学には行かずに東京に行って芝居をしようとしていたけどお母さんに泣いて止められて渋々地元の学園大に入ったことは有名ですが、(追記)音尾さんは芸大に受かっていたけれど、ご両親の反対で渋々北海学園へ。*3入学理由を聞いたことのない森崎さんは指定校推薦で「あんまり勉強せずに大学生活も楽しめるちょっとレベル下げた大学」に入ろうと思っていたのではないかと思っています。レベル下げたといっても、就職に影響なんて全くしないちゃんとした大学ですし、私的にみんなの出身高校の偏差値を考えるともうちょっといい大学も目指せたはずだと思うので、納得がいきます。(出身高校の偏差値見ちゃう気持ち悪さすいません)それもこれも大学で出会って共に演劇を始める運命だと思っていますし、何より出会う前からみんな同じくらいの偏差値のグループって個人的にちょっと面白い。

 
さて、話は逸れましたが、お父様の影響で洋楽が好きであった安田さん。すぐに演劇研究会には入らず、ジャズ研究会に入部しました。しかし、自分には雰囲気が合わずグリークラブ、ESSと転々とします。ESSでは英語でのディスカッション大会でブライテストホープ賞を貰うほど、期待の新人でした。
 
日本語ではほとんど喋らないのに英語ではよく喋る安田さんがESSに入ったのは、大尊敬するジョンレノンの影響だと思われます。本気でジョンレノンになりたかった安田さんは何を思ったのか、大学デビューはなんのその、髪を伸ばし始め、一年後に戸次さんが入学した際には自分なりのジョンレノンになっていました。後に戸次さんが当時の安田先輩についてこう語っています。
 
戸次:胸まで髪の毛があって、丸い眼鏡をかけて、汚いカーキ色のジャンバーを着て、布テープで『ヤス』ってデッカく書いてある小豆色の紙袋(通称:ヤスバッグ)をどこ行くにも持ち歩いてて、とにかく気持ち悪いんだよ!*4

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↑本物のヤスバッグ。『ヤス』の間に破けたの補強してるから『ヤノス』に見えるのがツボです。

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当時を再現した安田さん。これは気持ち悪い。(失礼)

 
そんなかなり変わった人間、安田さんは毎年10月に行われる北海学園大学の学園祭・十月祭の模擬店で、やけに楽しそうに騒いでいる隣を見つけます。それは演劇研究会。
 
安田:その時学園祭で、ぼくは焼きそばを焼いていたんですよ。で、隣がちょうど演劇研究会で。すごい楽しそうに団子を売ってたんです。それがすごく明るくてね。「あ、ここちょっと楽しそうだ」と思って演劇研究会に入った。
森崎:安田さんは、その時楽しいところを求めてたんですね。(中略)演劇研究会は、今では学園祭では公演をやってるんだけど、当時はお芝居ではなく団子を売ることに燃えてたわけ。同級生に団子屋の知り合いがいて、その人から団子を安く仕入れて売っていたの。4個つなぎの小ちゃい団子だよ。味もあんとしょうゆだけ。演劇団子だかなんだかっていうような名前にして売ってて、僕がその団子屋の主人だったわけ。*5
  
後に東京の証券会社に就職して一年目に社長賞でハワイ旅行をもらうほどの商売上手、森崎さん。当時すでに部内で中心的メンバーだったようです。
 
そして安田さんは今までやったこともない演劇研究会に入部することになるのですが、この時の安田さんは現状を打破しようと考えていたのかな、と思います。幼少期から暗くて一人遊びが好きだった安田さん。今でも一人で佇んでいる時が幸せと発言したり、趣味が一人酒だったりしますが、決して一人ぼっちが一番いい人ではありません。心のどこかで仲間と騒ぎたかったのだと思います。だから楽しそうに騒いでいた、明るく見えた演劇研究会に入部したのでしょう。
 
以前、安田さんは初めて東京公演を行う際に、みんなでスーパーに出かけたのに、「先に帰る」と言い出し、挙句東京の街でひとり迷子になったことがあります。*6そのエピソードを聴いた当初は、ちょっと我慢して付き合って、みんなと一緒に帰ればよかったのに、と思っていましたが、後にメンバーと距離を置く理由を、安田さんはこう語っていました。 
 
正直、飽きちゃったら終わりだと思っているんです。だから普段もなるべく別の行動をとっていたほうが、一緒に何かをやるときに楽しいような気がして。(中略)『一緒に暮らしていても、初めて知ることってあるんだね』というようなセリフがあったんです。その感覚がすごく素敵だと思うし、僕自身そういう発見をしていきたいんです*7
 
全く、不器用な人です。しかし、不器用な上に当時は気持ち悪かった安田さん(ごめんね顕さん)と仲良くなれたのが他のメンバーです。小中高とほとんど友達がいなく、ぶっちゃけいじめられっ子だった安田さん。小学校時代のエピソードを話すと大体「それはいじめでは…?」と思って私はあんまり笑えない安田さん。唯一無二だと思うほどとても面白い人間なのに、見た目の暗さで誰も踏み込んでくれなかった安田さん。
 
かつて番組の心理テストで、親友と考えている人の人数を当てるというもので、大泉さんは結構本気トーンで「安田ってさ、俺たち以外に友達いるの…?」聞いていました。高校の柔道部で今でも年末年始に会うお友達がお二人いるそうですが、そのお二人以外には、おそらく学生時代の友達はメンバー、もしくはメンバーと共通の演劇研究会の部員だけかな、なんて思います。
  
そんな本気で友達のいない安田さんに、見た目ではなく中身で仲良くなったのが他のメンバーだったのです。確かに、他の部員も安田さんとは仲良くしていました。しかし、安田さんを見て「面白い奴だな!」とピンときて素直にそれを表現したのが他のメンバーだと思っています。彼らはそういう人です。だから大学時代からの関係性のままここまで来れたのでしょう。
 
前述の大泉さんと「お前らなんて友達じゃねぇよバカ野郎!」とギャグを言えるほどの友達になれた安田さん。嬉しかったでしょうね、本当に良かった。個人的に、メンバーの中に安田さんと正反対の、小学校から明るくて人気者だった大泉さんがいるのが、とても素敵なことだと思います。
 
  • 1992年12月

安田顕、演劇研究会に入部。

 ついに二学年差(追記情報)2回目の2年生の森崎さんと安田さんが出会います。森崎さんすでに留年済だった(笑)。

安田:「おう、君が安田か」なんて言いながら、どしどし入ってきたのを覚えてますよ。ジーパンの中にシャツを入れて、ジャケット着てね。あの頃は、仲間から「野獣」って呼ばれるくらいエネルギッシュな方でね。それが今じゃすっかり落ち着いてしまって……なにせパソコンのデスクトップが石庭ですからね。
全員:ハハハハ。
音尾:侘び寂びの世界に入っちゃった。
安田:それに趣味は、朝の散歩ですから。
戸次:最近は、食べるもの全部「しょっぱい」って言ってるしね。
大泉:あと、どこに行っても……。
全員:「寒いなー」(笑)。*8 
リーダーとしてみんなを引っ張ってきたぶん、大変なことをいっぱい経験して、僕らの倍近く生きてきたと思うんです。だから年齢以上に落ち着いちゃったのかなって。*9
そんな森崎さんが落ち着く20年ほど前の当時、演劇研究会ではよくカラオケに行ってパンツ一枚で騒ぐというTHE・大学生といった遊びがあったのですが、森崎先輩は新入部員の安田さんを誘いました。その誘いが良かったのか悪かったのか…いや、後々を考えれば彼の伝統芸になることなので良かったということにしますが、グリークラブに入っておきながら歌に自信のなかった安田さんは、「少しでもみんなに喜んでもらおう」と森崎先輩の誘いに歌ではなく全裸になるという行為で応えてしまいます。安田さんの思考回路は本当に摩訶不思議。
 
森崎:あいつはもう一枚脱いだから「これは変態だ」と。
全員:ハハハハ。
音尾:じゃあ、先輩が無理やり脱がせて、クセになったとかではなく……。
森崎:もちろん自発的ですよ。だんだん彼の中で自我が芽生えたんでしょうね。「オレはもっと上にいけるぞ」と。そしたら、オレたちが恥ずかしくて脱げなくなっちゃって。
大泉:まあ、そうだろうね。全部出すヤツがいるのに、パンツで終われないよね。
森崎:懐かしいなぁ、あの頃。*10
 
森崎さんが懐かしんでいるように、このパンツ一枚芸は全部脱いでしまう安田さんのお陰で、大泉さんたちが入部する頃には無くなっていたようです。まぁ、冷静に考えて現役入学した森崎さんと二年浪人している大泉さんが出会うことは通常の在籍年数ではありえないことで、森崎さんの同期はとっくに卒業していたからでしょうね。
 
しかし、これを機に森崎先輩は安田さんを「面白い奴だ!」と発見し、以降安田さんのことを側に置くようになります。そして見出されたのが嬉しかったのか、安田さんは社交的になっていきます。 
 
安田:いや、意外と…周りを緩和する役じゃなかったですか?ぼく。
森崎:誰と喋ってもちゃんとうまく順応してもらえるような感じでしたよね。究極の新入りでしたよ。
安田:こういう言い方はすごく語弊があるけど…当時、森崎さんって同期からイジられる方だったんですよね。なんかトラブルがあると「森崎のせいだ」みたいな感じになっちゃうわけですよ。なぜかね。そういう中でもぼくは、まぁ自分のことを褒めてもあれだけども、その同期の人たちとも仲良くして、森崎さんにも手を差し伸べるっていうかねぇ。
森崎:そう、当時はうまくいかなかったんですよ。ぼくはよその劇団で新しいモノを持ってこようとしてたりして、それでちょっと仲違いがあったりして。でもそんなのを安田さんがすごくフォローしてくれて。「いやー、いい人じゃないっすかー」みたいに振る舞ってくれて、それで見事に調和してくれてたよね。ぼくはもう、そんな顕ちゃんの苦労は全く知らずに「とにかくお前、ウチで酒飲むか?」みたいに、顕ちゃんを毎日ウチに呼んで酒を飲みましたね。
安田:飲みましたなぁ。*11
 もはや森崎先輩の右腕的な存在になっていた安田さん。尖っていた森崎先輩が感情的になって言葉足らずに他の部員と衝突する度に、森崎先輩には決して言わずに他の部員と仲を取り持ってくれていたようです。 
 
安田:この10年常に僕はネガティブなことばっかりあなたに言ってきたじゃないですか。でもどうですか?ともに歩んでいるわけでしょ(笑)?あなたはずっとポジティブに頑張っているわけでしょ?そのあなたと一緒に僕はずっとネガティブなことを言って、でも同じ道を歩んで、一緒に階段を上ってるわけじゃないですか。究極のポジネガティブだと思うんですよね。
森崎:あ〜〜
安田:そうでしょ?
森崎:よく分かりませんが…だからともに歩んできたんですかね?ポジとネガで。
安田:普通はやれてないでしょ?*12
 
噛み合ってるのかイマイチ分からない所がポジネガティブ。私の中で、大泉さんを知って意外とマイナス思考な人間だと感じてから、NACS内の陰と陽はこの二人です。傍から見たら大泉さんとのほうが陰と陽が当てはまりそうですが。
 
何より他の誰にも真似できない安田さんの演技力を当時から買っていた森崎さん。現在も森崎さんは、本公演の度に安田さんに主演でなくともキーパーソンとして、一番いい役を与えています。個人的に笑ったのは、2002年に、安田さんが1996年以来のTEAM NACS主演となった時に森崎さんが意気揚々とラジオ*13「安田さん『RECOVER』(1997年)以来の主役です!」と言った瞬間に戸次さんが「いや、『RECOVER』は僕主役なんですけど…やっぱり違ったのか!」と食いついたことです。贔屓が素直すぎるよ、森崎さん。
 
さて、前述にも少し出たように、森崎さんは今のTEAM NACSと同じように、外の劇団で経験を積んで、自分たち(当時は演劇研究会)に還元するという手法を取っていました。大学生にして芝居に対するこの考え方は、やはり単なるサークル活動では終わらせず、出来れば職業へと思っていたのでしょう。また、詳しくは不明ですが、森崎さんの他には現在のメンバーしか外の劇団で活動をしていたという話は聞きません。単なるサークル活動でいいのか、出来ればその先に踏み込みたいのか、その芝居に対する考え方の違いも、現在のメンバーでのTEAM NACS結成のきっかけとなったのでは?と思います。
 
さて、その外の劇団というのが、後に事務所の社長になる鈴井貴之さんが主宰していた伝説の劇団・OOPARTSと、NACSが一番出演している外部劇団・劇団イナダ組です。
 
劇団コンセプトは「ストーリー性のあるドリフターズ」であり、劇団名のOOPARTSとは「アウト・オブ・プレイス・アーティスツ」の略としていたが、これはオーパーツに考古学上の「場違いな工芸品」という意味があることから、そこからもじって「場違いな芸人達」というコンセプトで札幌演劇界に新しい風を送り込んだ。
 
Wikipediaより。
 
舞台にガラスの破片を撒き散らして、血だらけになった鈴井さんがお客さんがはけるより早く救急病院に運ばれるという演出どころじゃない騒ぎのお芝居をしてたというOOPARTS。しかし、当時の北海道では桁違いの動員数を誇っていました。
当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。
そんな鈴井さんと同年代で、同じく北海道で有名だった劇団が、劇団イナダ組です。鈴井さんとは正反対の、割と穏やかなお芝居。しかし、社会性の溢れるものが多く、じんわり考えさせられるお芝居です。OOPARTSは鈴井さんの独断と偏見での劇団だったため、90年代後半には完全消滅してしまいましたが、イナダ組はまだ現役で、イナダ組の役者とNACSの親友関係も続いています。最近、大泉さんが番宣で出た『火曜サプライズ』でウエンツ瑛士さんと共に何故かカラオケロケをしたラーメン屋の川井J竜輔さんも劇団イナダ組所属でした。 
 
そんな北海道の二大劇団で芝居を身につけていた森崎さん。最初はイナダ組に所属しており、OOPARTSの稽古場の斜め向かいに住んでいたこともあり、OOPARTSからも声をかけられました。二大劇団から声をかけられるのはすごいことだと思います。
 
(追記情報)2回目の2年生の時、定期公演を観に来ていたイナダ組の人に声をかけられ、『バブリスト』で客演として参加。これまでの演劇概念をみごとに打ち壊され、世界観が変わったと感じた時期であった。*14

 

森崎さんはOOPARTSにも一度入りましたが、イナダ組の公演と被ってしまい(追記情報)イナダ氏から主演抜擢の話を受け、どうしようと考えた結果、安田さんを半ば身代わり状態でOOPARTSに紹介します。ていうか森崎さんすごい!引き抜きに2回目の客演でいきなり主演!
 
しかし、その人選は間違っていなかったと思います。森崎さんのお芝居はやはりイナダ組のほうが合っているし、安田さんのお芝居はOOPARTSのほうが合っている。また、鈴井さんが安田さんをえらく気に入り「君の白地図に色を塗るのは俺だ」という名言を残しているほどで。ここで鈴井さんが安田さんを気に入ってくれなかったら事務所に入れず、こうして芸能活動ができるようにはなっていなかったかもしれません。その安田さんは、森崎さんを支えながらどんどん演劇にのめり込んでいきます。 
 

新鮮でした。普段、メイクなんかしませんからね。ドーランを塗ったり、スポットライトをどーんと浴びて。すべてが新鮮でした。*15

 
前述のように、決して明るくはない学生時代を過ごしていた安田さんが、スポットライトを浴びて大きな声を出す。何回も言いますが、演劇研究会に気の合う人がいてよかったね、安田さん。
 
さて、かなり長くなりましたが、戸次さんが入部する前までのエピソードは出尽くしました(笑)。間違っていたらすみません、教えてください。安田さんは入学早々演劇研究会に入部したわけではありませんが、このように後輩三人が入学する前からすでに森崎さんとの絆ができていました。12月に入部して、戸次さんが4月に入部するまで4ヶ月ほどしかありませんが、この二人の古い友情に後輩三人がどこか憧れを持っているような感覚が個人的に好きです。ワンツー、ワンツーうるさいもんね君たち(笑)。
 
 
また、安田さん戸次さん大泉さんは同い年ですが、三人共大学での学年は全て違う先輩後輩、という奇妙な関係もまたミソで。安田さんが時折、戸次さん大泉さんに対して叱ったり、話し方がお兄さんになるところが微笑ましいです。最後に、本当にちょっとしたことだけど、私の中でのワンツーの好きな会話を。
 
 
安田:リーダーですよね、役割は。
森崎:はあ、リーダーです。お前は不動のサブリーダーです。*16
 
 
さて、次回は演劇をやりたいと意気込んで入ってくる、新入部員・戸次さん編です。いつ更新できるかはわかりませんが、楽しいので頑張ります。
 
 
 
 
 
 
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*1:LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』特典DVD「NACS CAMP2004」 

*2:ハナタレナックス特別企画 演劇ユニット TEAM NACSの真実』

*3:CUE HISTORY MUSEUMより

*4:ハナタレナックス』ハナタレ部屋

*5:ファンクラブ会報2006年9月号、および『TEAM NACS TEN』より

*6:ラジオ『NACS GOTTA ME!』2004年5月22日放送

*7:papyrus』2009年4月号

*8:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレット

*9:papyrus2009年4月号

*10:『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』パンフレット

*11:ファンクラブ会報2006年9月号、および『TEAM NACS TEN』より

*12:ファンクラブ会報2006年9月号、および『TEAM NACS TEN』より

*13:NACS GOTTA ME!』2002年1月5日放送

*14:会報2003年12月号

*15:LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』特典DVD「NACS CAMP2004」 

*16:papyrus2009年4月号